矢は的を射る

三冬月マヨ

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それが、幸せ

08.ヤキモチ

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 …何だろ…一般的にヤる前って、こんなに疲れるんかな…。
 パワーワードだなんだってブツブツ呟く先生を宥めて、何とか風呂場に押し込んで、ちょっと…いや、かなり疲れた。押し込んだ後も、残り湯とか何とか叫んでたけどな。

「…いや…俺がフダンシを知らなさ過ぎるだけか…」

 呟いて、俺は先生のパソコンのブックマークを漁り始めた。
 先生の好きな小説を読めば、少しはフダンシを理解出来るかも知れない。

「…雪華せっか幻影ノベルズ…これか? 無料の小説投稿サイトって…あ、その前にアオッターチェックのが良いのか? どんなの読んでんのか解るし…」

 先生のアオッターは、たまに…本当にたまに見る。
 見るけど、気が付いたら何時も遠い目をして閉じてたんだよな。
 いや、やっぱ、ギャップが凄くて。
 今みたいに近くに居るんなら良いんだけどさ。
 離れていると、そのアオッターの先生が実際の先生みたいに思えて来て。
 記憶の中の先生が、それに変わりそうで何か怖かったんだよな。
 だって、俺が知ってる先生は落ち着いた大人でさ…このアオッターみたく、感情のままに叫んだりはしないし、こんな字の間違えも無い。
 …職員室での叫びには驚いたけど…でも、あれは目の前での出来事だったから、ああ、先生でもこんな風に叫ぶんだな、って思えたけど。
 こんな液晶で文字だけを見てると、全然、俺の知らない先生でさ…何か…胸がざわざわすんだよな…。
 いや、先生の知らない一面を見られるのは嬉しいんだけど…こんな、何て言えばいーんだろ? 間接的? うん、間に何かを挟んで知るんじゃなくて、直に…傍で見たい…知りたい…んだよな…。
 だから、今日、またあの先生を見る事が出来たのは良かったし、嬉しかった…まあ、ちょっと…ちょっと引いたけど…けど、でも…。

「…やっぱ好きなんだよな…」

 液晶に並ぶ先生の叫びを見ながら、俺はぼそっと呟いた。
 すぐそこに先生が居るからかは解んねーけど、赤い顔をしてこれを打ち込んだのかとか、ちょっと涙目になって打ち込んだのかとか、困った様な顔をとか…今日見た、先生の色んな顔を思い浮かべながら、それを眺めて行くのは楽しい。
 今日、来て良かった。
 腕を動かして、袖を鼻につけて匂いを嗅ぐ。

「先生の匂い…落ち着くんだよな…」

「かは…っ…!!」

 なんかもう、今日一日どころか数時間も経たないのに、聞き慣れて来た奇声に後ろを振り返れば、先生が床に両手をついて、蹲っていた。
 それは良いんだけど…裸ってか、首にタオル掛けて、腰にバスタオルを巻いただけの姿で、俺はドキリとしてしまった。先生って風呂上りはバスタオル派なのか? 俺の親父はパンイチ派だけど。

「…推しが…可愛い事を言っている…尊いが過ぎる…何故、こんなにも可愛い事を躊躇いも無く言えるのか…本当にこんなに真っ直ぐで良いのか…まさに純真、無垢…! 尊い…尊ぶべき命…」

 …ちょっとじゃなく、ドン引きしても良い様な気がして来た。
 でも。
 こんな先生は、俺しか知らない…んだよ、な?
 アオッターは、文字だけのやり取りだし、リアルじゃねーし。
 リアルの、生の先生が、俺だから。
 俺の前だから、見せている…そう思って良い…んだよ、な? 二人きりになったら、抑えられないって言ってたんだし。

「…的場のお薦めの小説って、何?」

 床とにらめっこしてる先生の傍に行って、床に膝をついて肩に手を置いて聞けば『へ?』って、間の抜けた声と顔が返って来た。

「最後まで読めるか自信はねーけど。軽くサクッと読めるヤツ教えてくれよ」

「え? あ?」

 俺の言葉に、先生は目を白黒させてる。 
 そんなに驚かなくてもって思いながら、俺は話を続ける。

「読めば、的場の事をもっと解る様になるかも知れねーし…的場が好きなの…俺が好きになっても…いーだろ?」

 恥ずかしくて、ちょっと唇を尖らせて軽く視線を外して言えば、バチンッてデカい音が聞こえた。

「…へ…って、何やってんだよ!?」

 それは先生が両手で自分の頬を思い切り叩いた音で、俺は先生の両手首を掴んで、顔から引き剥がした。

「いや、すまん。俺が暴走したばかりに…俺が好きな物だからって、無理する必要は無い」

 赤くなった頬が痛そうだけど、先生は気にする風で無く、真っ直ぐと俺を見詰めて言った。

「…無理じゃねーし」

「いや、お前、小説は読まないだろう? こころを勧めた時だって…」

 うっ。
 何時の話だよ?
 覚えてんなよ、そんな事。

「…だって…」

 だってさ…アオッターの叫びを見ながら思ったんだよ…。

「的場の叫びに…俺は居ねーじゃん…」

 …あんなに叫んでんのに…。

「え?」

「…ああやって叫んでる時、その小説の事ばかりで、俺、居ねーじゃん…」

 …あれを打ち込んでる時、俺の事なんて先生の頭の中には無い…。

「…矢田…」

 それは小説の事を書いてんだから、当然と言えば当然なんだけどさ…何か…俺が居ないのは…嫌だ…。

「今は読めなくても、簡単なのから読んで…慣れて行けば、的場と同じのが読める様になるかも知れねーじゃん…的場と同じ話出来るし…したら…それ読んでる間も…叫んでる間も…俺、的場の中に居るじゃん…」

 胸のざわざわ…。
 言葉にして解った。
 …俺、ヤキモチ妬いてたんだ…。
 小説に。
 小説にのめり込む先生に。
 何だよ、俺、やっぱガキのままじゃん。
 なんも成長してねー。

「…矢田…」

 俯いた俺の耳に、ふって笑う先生の声が聞こえた気がした。
 したと思ったら、俺の口に柔らかい何かが触れた。
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