移動先は三食昼寝デザート付き

三冬月マヨ

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希求

【完】※

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 希求のぞみが不思議そうに目を丸くする傍で、塊羅かいらは紫の項に牙を立て、その血を啜った。

「…はは…?」

 希求の問い掛けに応えず、恍惚とした表情を浮かべる塊羅の喉が上下に動いて行く。
 ばたばたとした足音が止まったかと思えば、静かだった部屋に怒声が響いた。
 
「蜘蛛がっ!!」

「我らの悲願がっ!!」

「見殺しにしたのか!!」

 影達が、長であるホウへと詰め寄り詰っているが、ホウは無言で塊羅を見下ろしていた。
 幸せそうに笑いながら、紫の肩に頭を乗せて目を閉じた塊羅を。

「…はは…? ちち、きた。こわいことない…おきて? はは…?」

 希求が掴んだ塊羅の腕を揺する。
 小さく揺れる塊羅は、希求の揺さぶられるままで居るだけで、己の力で動く事は、もう無い。

「はは?」

 ホウが居ない時の塊羅は、何処か寂しそうではあるが、希求の前では笑って居た。ホウが居れば、時々寂しそうにはする物の、ホウを見て、希求を見て、笑っていたのだ。
 だが。
 今は、その塊羅の目は閉じている。
 閉じられた瞳には、誰の姿も映らない。

「はは。むらさきも。おきて? ちちがおこるよ? なかがいいって」

「…ノゾミ」

 ホウが希求の隣に立ち、静かに声を掛ける。
 影達の罵声は何時の間にか止んでいた。ホウを詰った処で、塊羅が死んだ事実は消えない。それを悟ったのかは知らないが。

「ちち。はは、おきない」

 希求の肩に手を置いて畳に膝を置いたホウが、塊羅の頬に手を伸ばし、まだ柔らかく温もりのあるそこをそっと撫でた。

「…カイはもう起きない…このままだ」

「…おきない…?」

 ホウの言葉に、希求はこてんと首を傾ける。癖の無い、艶やかな黒髪がさらりと揺れて、それを見たホウは僅かに顔を歪め、唇を噛んだ。

「…寝かせてやれ…」

「…はは…」

 そう言われた処で、まだ幼い希求に理解出来る筈も無い。
 希求は、ゆっくりと体温を失っていく塊羅の身体を揺さぶる。
 目を開けて、と。
 名前を呼んで、と。
 己を見て笑って、と。
 幾度も幾度も。
 気が付けば頬は涙で濡れ、声も枯れていたが、それでも希求は『はは』と呼び続けた。

「…二人を埋める穴を…」

 気の済むまで泣かせてやれば良い。しかし、このまま二人の亡骸を晒して置く訳にも行かない。ホウが立ち上がり、項垂れる影達にそう指示を出すが。

「…っ…!! いやだ…っ…!!」

 希求が弾かれた様に、顔を上げて叫んだ。
 母と離れるだなんて嫌だと。
 眠っているのなら、何時かは起きる筈だと。
 だから。
 
「なっ!?」

 希求の叫びと共にその小さな身体が輝き、光が溢れ、それは膨らみ塊羅を包み、また大きく広がって行った。

 ◇

 庭から、物寂し気な虫の鳴き声が聴こえている。
 庭の木々は赤く色付いているが、やがて茶色く枯れ、その枝から落ち、風に攫われて行くのだろう。
 あの日、塊羅が儚くなってから十年が経とうとしていた。
 希求が放った力は、塊羅に向かっただけでなく、この地を完全に俗世から覆い隠した。
 大陸の蜂達は、蜘蛛…塊羅が死んだと知ると、あっけなく手を引いた。小さな島国だ。得る物等、たかが知れてると判断したのだろう。あの老人が、どう大陸の蜂達と取り引きしたのか、また、ホウ以外の蜂達が、どう踊らされたのか、それを知る者は居ない。今、この島国に居る蜂は、ホウと希求の二人だけなのだから。

 今はすっかり綺麗になった、塊羅の部屋でホウは酒を呑んでいた。
 短かった赤い髪は、今は腰の下まである。
 時折手入れをされている為、みすぼらしいと云う事は無い。
 ホウの視線の先には、淡い光に包まれて眠る塊羅の姿があった。
 綺麗な布団に寝かされて、清楚な白い着物に身を包んだ塊羅が。十年前と変わらぬ姿で。幸せそうな笑みを浮かべたままで。
 ホウは特に感情を乗せるでも無く、物言わぬ塊羅を見詰めていた。
 希求がどんな力を使ったのかは、解らない。
 恐らく本人にも解らないだろう。
 
「…カイ…」

 小さく呟いて、ホウはその身体に触れようと手を伸ばす。
 しかし、それを拒む様に、伸ばした指先にちりりとした痛みが走った。
 手を己の身体の方へ戻し、ホウはその指先を見る。
 二本の指先の皮は捲れ、赤い血を流していた。
 これは、あの日からだ。
 希求の力なのか、或いは塊羅の望みなのか。
 ホウは、塊羅に指一本触れる事が出来なくなっていた。
 抱き締めようものならば、その身体は醜く刻み込まれる事だろう。
 ふっ、とホウが小さく息を吐いた時、きしりとした音が聞こえ、部屋の障子戸が開けられた。

「父よ」

 背後から掛けられた声に、ホウは振り返らず、手に持っていた盃を畳の上に置いた。
 さりさりと畳を踏み、その背中に歩み寄るのは、変声期も間近の希求だ。

「父よ。私は子種が出るようになりました」

 あと一歩で、その背中に触れると云う処で希求は止まり、そう告げた。

「…そうかよ」

 事務的に、感情も無く告げる息子の言葉に、特に感慨を覚えずに、ホウも同じ様に短い言葉を返した。

「だから、貴方はもう用済みです。蜘蛛が手に入ればまぐわせる予定でしたが、その必要は無くなりました」

 塊羅が逝ってから十年の歳月が流れ、ホウと希求の関係も変わっていた。これが、血を分けた親子の会話だろうかと思う程に、二人の関係は冷えていた。
 あの日、塊羅が逝くまでは、間違いなく温度があった筈なのに。
 塊羅が逝った後、ホウは蝶達に希求を任せた。
 蝶達は塊羅の死を悼み、悲しみにくれた。
 そして、ホウが塊羅を見殺しにしたと影達から聞き、それを希求に言い聞かせて来た。『貴方様は、そうならぬ様に』と。まだ幼い希求に。『蜂は蜘蛛に卵を産み付けるが、本来はその蜘蛛を守る者』、『それが出来ぬ蜂は、蜂では無い』と。時間を掛けて、そう言い聞かせて来た。
 そう育てられて来た希求だ。
 声も顔も幼いのに、希求の表情にも、声音にも何の感情も乗っては居なかった。
 塊羅譲りの艷やかな黒髪に、ホウ譲りの金に近い琥珀色の瞳を持ちながらも、二人の様に感情を表す事は無かった。

「ああ」

 ただ、淡々と事実を述べる息子に、ホウは身体ごと振り返り、感情を見せずにただ頷く。

「何か、言い遺す事はありますか。私から母を、蜘蛛を奪った大罪人よ」

「…ねぇな」

 息子の言葉に、ホウは短く喉を鳴らして嗤う。
 可愛気の無い餓鬼だと。

「そうですか。では、ね」

 希求の右手がすっと天を指すように挙げられる。
 その動きで揺れた黒髪を見て、ホウはふと目元を緩ませた。

(…ああ…悪かぁねえなあ…)

 ホウの脳裏に浮かんだのは、暗い路地裏に立つ塊羅の姿だった。
 大陸の衣服を纏い、奴隷市場の小屋の壁に背中を預けてぼんやりと立っていた塊羅。
 何処にでも居る、平凡な男だった。
 その黒髪以外には、何の特徴も持たない男だった。
 だが、その黒髪が揺れ、その黒い瞳がホウを映した時、ホウの心は震えた。

(…そうか…)

 確かに、震えたのだ。
 それは蜘蛛だったからなのかも知れない。
 しかし、そうでなければ二人は出逢えなかったのだ。

(…蜘蛛が…お前で良かった…俺の蜘蛛がお前で良かった…そう言えば…良かったんだな…カイ…ラ…――――――――)

 希求の手が空を裂いた。
 ホウの首が宙を舞い、遅れて赤い飛沫が宙を汚す。
 一拍遅れて、首を失った身体が床の上に倒れた。
 ドクドクと赤い、紅い血を流し藺草の畳を濡らして行く。
 しかし、ホウの真後ろに在る、塊羅の身体にその血が掛かる事は無かった。淡い光が明滅して、降り掛かる血を全て弾いていたのだ。総て。

「…大罪人よ、其の記憶、せいぜい役に立ててあげます」

 希求は床に落ちる寸前に、異能を使って胸元に寄せたホウの首に向かって囁く。

「母を喚んだ異界、そこには数多の蜘蛛が居るのでしょう?」

 赤い髪を鷲掴みにして、顔の高さまで上げて目を細めて囁く。

「一人と言わず、沢山の蜘蛛を喚びましょう。この中にある地図を使って…ふふ…」

 クスクスと希求は嗤う。
 母の様な蜘蛛が良いと。
 己と同じ髪色を持つ蜘蛛が良いと。
 目線を合わせたその首は、ただ穏やかに瞳を閉じ、口元は笑んでいた。
 ポタリポタリと、紅い雫を落としながらも、その死に顔はとても穏やかで幸せそうに見えた。

 一陣の風が吹き、開けた入口から入って来た。
 秋の終わりを思わせる、冷気を孕んだ風は部屋の中で渦巻いて、血の匂いを外へと運び、やがて音も無く止んだ。
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