寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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番外編

寝癖と塩と金平糖【後編】

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「…瑞樹みずき

 申し訳無さそうな声が後ろから聞こえるが、瑞樹は振り向けない。
 
(…あんな…また…早くに…うう…)

 足を伸ばしても、その中で寝ても、まだ余裕がある湯舟の中で、瑞樹は優士ゆうじに背中を向けて両膝を胸に抱えて落ち込んでいた。
 勿論、優士の手で達してしまったせいでだ。

「天野さんの事で、暫くそうする余裕が無かったんだから、気にする事は無い。頭を出せ。髪を洗う」

「…うう…」

 色々と言いたい事はあるが、その気力が今の瑞樹には残っていなかった。

「…瑞樹…」

 動かない瑞樹に、優士は優しく声を掛け、手を伸ばしその頭に触れる。

「…洗われるのが嫌なら、僕の頭を洗ってくれないか?」

「え」

 振り返れば、優士は椅子に腰掛けて瑞樹に背中を向けて、少しだけ項垂れている様に見えた。

「僕だって、瑞樹に洗って貰いたい」

「ず…っ…」

 ずるいと思ったが、瑞樹だって優士を洗いたいと思ったのだ。宿舎の狭い風呂場では、あちこちぶつけたが、ここではそれが無い。

(…捨てられた犬みたいだ…)

 無論、それは仔犬ではなく、獰猛な大型犬なのだが。それでも、その背中は寂しそうで。
 瑞樹が浴槽で膝を抱えている間に、優士は身体を洗っていた。その背中を伝う雫が、降る雨の様にも見えて、余計にそう見えるのかも知れない。

「…洗ってやるから、悪戯するなよ…」

 ちゃぽりと音を立てて瑞樹は立ち上がり、浴槽から足を出す。

「それは、僕の台詞だと思うが?」

 そんな瑞樹の様子に、背中を向けたまま優士は小さく笑い、少しだけ金平糖を滲ませて憎まれ口を叩いた。

「するかよっ!!」

 売り言葉に買い言葉で、瑞樹は真面目に優士の頭を洗う事しか出来なくなった。
 
(くそ~…いつもいつも優士ばかり…。俺だって、優士を喜ばせてやりたいのに、何で俺ばかり良い思いを…)

「…なあ、瑞樹」

 ぶつぶつと口を尖らせて、頭の中でそんな事を思いながら、柔らかな髪を弄っていたら、不意に優士が声を掛けて来た。その声は少しだけ不安を滲ませていて、瑞樹は僅かに首を傾げた。

「ん?」

「…本当に、大丈夫なのか…?」

「は?」

「…あやかしと対峙しても…もし不安なら…その…治療隊に戻っても…僕から…高梨隊長に…」

「ばか!」

 優士らしくなく、ぼそぼそと話すその背中を、瑞樹は力任せに平手打ちした。

「痛っ!?」

 びくんと跳ねた背中を、瑞樹は後ろから腕を回して抱き締める。

「俺が戻る場所は、高梨隊長の処…お前の処だろ。…実際に妖とやり合ってみないと、はっきりとは言えないけど…多分…大丈夫…そんな気がする…」

「…瑞樹…」

「…そりゃ…あの腕を見た時は…取り乱したし絶望したけど…でも…上手く言えないけど…母さんの時とは違う…俺…薄情なのかな…? 天野さんには良くして貰ってるのに…」

「…瑞樹…」

 腹に回された瑞樹の腕をそっと掴んで、優士は背中を瑞樹の胸に預け、顔を上げた。見上げれば、瑞樹は顔を下げて来た。その瞳は、泣き出しそうなぐらいに揺らいでいて、眉も情けないぐらいに下がっていた。結ばれた唇は、可哀想なぐらいに震えていて、だから、優士はそっと目を細めて笑う。

「…悪戯してくれないか…?」

「へ…」

「…瑞樹は薄情なんかじゃない。こうして、僕を見てくれている。あの頃とは違うんだ。お前は、強くなった」

「…優士…」

 甘く、金平糖の様に甘く見詰められ、微笑まれ、その瞳を伏せられれば、流石の瑞樹だって、優士が何を求めているのか解る。
 だから、覆い被さる様にして、薄く開かれた唇に、瑞樹は自分の唇を重ねた。
 そこからは、性急だった。
 元から、こうなる事は想定していたし、優士に悪戯されて達したとは云え、天野の事があり、行為その物はご無沙汰だったから。

「…は…っ…」

 優士の息が熱くて甘い。
 枕を優士の腰の下に置き、何度も愛して来たそこを、瑞樹は香油を纏った指で抜き差ししていた。ゆっくりと丁寧に。

「…っ、も、う、十分だろう…早く…」

 柔らかな布団の上で、敷布を掴み優士が切なげに啼く。赤く色付く肌に、瑞樹はごくりと唾を飲み込む。ただし、下の分身からは、だらだらと我慢出来ない汁が溢れ出しているが。

「だ、めだ。まだ、三本目が挿入ったばかりだから…」

 張り詰めた己の息子が痛いが、これは先刻の仕返しなのだ。ゆっくりじっくり、優士を焦らしてやろうと瑞樹は思っていた。
 そう、思っていたのだ。

「…意地悪しないでくれ…早く…それとも、それは飾りなのか?」

「…っ! そんな訳あるかっ!!」

 しかし、目元を赤く染め、涙を滲ませて見上げて来られては、そんな仕返しの事など頭から飛んでしまった。

「…っ…!」

 挿れていた指を一気に引き抜き、優士の左脚を持ち上げ、右手では己の熱い男根を掴む。

「…優士が悪いんだからな…」

 ぐっとヒクヒク動くそこに充てがい、拗ねた様に唇を尖らせて瑞樹が言えば。

「ああ、僕は悪い子だ…だから…お仕置きをしてくれ…」

 優士は目を細めて、口の端だけで挑発的に笑う。

(これの何処が捨てられた犬だって!?)

「…こ、のっ…!!」

(鎖引き千切って、脱走して来た犬…いや、狼だ!)

 その叫びを叩き付ける様に、瑞樹は一気に腰を押し進めた。

「っ!」

 衝撃に優士の背中が弓の様にしなり、脚が暴れる。掴んでいる方とは違う足が、瑞樹の背中を打つが、今の瑞樹にはそんな物は気にならない。

「…くそ…」

(…もう、何でこうなるんだよ…)

 瑞樹がまだと口にした様に、優士のそこはぎゅうぎゅうときつくて。痛い思いも、苦しい思いもさせたくなかった瑞樹は、後悔からぽろぽろと涙を溢してしまった。

「…何でお前が泣くんだ…」

 若干、引いている様な優士の声に、瑞樹は泣きながら叫ぶ。

「優士のせいだろっ! もう…っ…もう…っ…」

 ぽろぽろと涙は流れ、ぽたぽたと優士の身体へと落ちて行く。

「…悪かった…焦らしているのが解ったから…つい…」

「うぅ…優士の鬼ぃ…」

 瑞樹の頬へと手を伸ばして優士は触れる。ゆっくりと流れる涙を拭いながら、瑞樹を安心させる様に笑う。

「…僕なら大丈夫だ…ほら、香油を足してゆっくり動いて…」

 そこを埋める圧迫感は何時もの事だ。何時もよりは、引き攣る感じがするが、切れてはいない筈だ。香油の力を借りて滑りを良くすれば、何とかなる筈だからと優士は笑う。

「…これも、一つの勉強だ。そうだろう?」

「うぅ…」

 優士に諭されて、瑞樹は布団の脇、優士の腰の辺りにある香油の入った瓶に手を伸ばす。
 ゆっくりとぎりぎりまで抜いて、竿に香油を塗り、もう一度ゆっくりと腰を進めた。

「…ん…良い子だな…」

「うぅ…」

 額に汗を浮かべて言われても…と、瑞樹は言葉なく、涙を流す。
 受け入れる側の辛さは瑞樹には解らないし、解りたくても、優士がそれをさせてくれない。
 
「…どれだけ…俺を甘やかせば気が済むんだ…」

 ぽつりと涙の合間に、そんな言葉が出てしまう。それも、何だか恨みがましく聞こえた気がする。

「…甘やかしているつもりは無い…ん…っ…!」

 そのつもりは無いと言おうとした優士だったが、香油の力を借りて動きやすくなったのか、瑞樹が腰を回す様に動いたせいで、それは最後まで言葉にならなかった。

「…甘やかしてるだろ…何時も…いつだって、俺の事ばかり…こんな…無理矢理突っ込まれて…俺だけ…気持ち良くて…」

「…は…っ…馬鹿だな、瑞樹は…」

「ば、ばか!? 馬鹿なのは優士だっ!」

「…み、ずきが…良ければ…僕も…気持ち良い…」

「わっ!?」

 優士の伸びて来た腕が瑞樹の首に回り、引き寄せられ、顔が近付く。それにより繋がりが深くなり、優士が熱い息を零した。

「…辛そうに…見えるか? 僕は…今、この瞬間が嬉しくて堪らない…。こうして、お前と一つになって、互いの事しか見えないし、互いの事しか考えられない、この時が何より愛しい…」

「いっ、いと…!?」

「好きだけでは足りない。言葉だけでも足りない。瑞樹、口付けを…」

「…優士…」

 ぽろぽろとぽたぽたと、涙はまだ流れる。流れては落ちて、優士の顔に掛かる。
 その目尻に浮かぶ涙は、誰の為だ? 
 その赤らんだ目に映るのは? 
 その濡れた唇がこうのは、誰だ?
 優士が首に腕を回して求めるのは?
 ちょんと跳ねた寝癖を直してくれるのは?
 その胸に残る傷も。

(…こんな優士を見るのは…俺だけだ…。…俺以外の奴に触ってほしくないし、触らせない…)

「…俺も…好きだけじゃ…足りない…」

 優士の瞳から溢れる熱を受け止めて、瑞樹は流れる涙をそのままにして笑い、その唇に口付けた。
 どれだけ好きだと言っても足りない。
 きっと、愛してると云う言葉でも足りない。
 何度、身体を重ねても、やはり足りない。
 だから、何度でも繰り返すのだろう。
 何度でも幾度でも。
 何時か、死が二人を別つまで。
 先の事なんて解らない。
 もしかしたら、互いに誰か別の人を好きになる事があるのかも知れない。
 そんな事が無いとは言えない。言い切れない。
 そう思うのは、少しだけ大人になったからだろうか?
 でも。
 それでも。
 今のこの気持ちは本当だから。

「…ゆ…じ…」

 ほろほろと涙は流れ落ちて行く。
 しょっぱいし、上手く喋る事が出来ないし、みっともないと思う。

「…ん…」

 けど、優士はそんな瑞樹を見て優しく甘く微笑む。
 それは金平糖の様に甘く、瑞樹の零した涙を受け止めて吸い取ってくれる。
 本当に、どれだけ甘やかせば気が済むのだろう?
 きっと、それは、二度とあんな瑞樹を見たくないからだろう。
 甘えているだけなんて情けない。
 そう思うが、今、この時だけは甘えた方が良いのだろう、きっと。
 それで、優士が喜んでくれるから。
 それに、変に意地を張るより、その方が楽に息が出来るのだから。
 金平糖が溶けるくらいに、二人は互いを求め、熱を吐き出した。

 ◇

 青い青い空が広がっていた。
 今、二人が立って居るのは、瑞樹の実家前だ。
 中では、瑞樹の父、そして優士の両親が、今か今かと二人が『ただいま!』と来るのを待っている。
 
「…うう…緊張して来た…」

「実家に帰るのに、そんなに緊張してどうする」

「や、だって…」

 と、瑞樹は懐に手を伸ばす。
 そこにあるのは、白い封筒に入れた婚姻届がある。
 夏の長期休暇に入り、二人は地元へと帰省した。
 それは、電話で話した事を詳しく話す為…勿論、妖云々は省くが…と。

「字を間違えるなよ」

「間違えるか!!」

 互いの親の目の前で、婚姻届を書く為だ。
 あの日、貪る様に互いを求めあった。その、翌朝…いや、昼近かったが…休みで良かったと思う瑞樹に、優士が言ったのだ。

『結婚しよう』

 と。
 棚ぼただが家もある。
 何も迷う事はないだろう? と。
 布団の中で互いの温もりを感じながら、金平糖を滲ませた瞳で言われれば、何時もの様に『雰囲気!』とか言える筈もなくて。

『…お、おぅ…』

 と、瑞樹は顔を赤くして頷いた。

「ゆ、優士さんを下さい…いや、幸せにします…で、良いのかな…」

 懐の上から、その封筒を押さえて瑞樹はもごもごと言う。
 役場に行き、婚姻届を貰って来た。その場で書かなかったのは、互いの親の前で書こうと優士が言ったからだ。

『祝福されながら書こう』

 と。

『あの七夕の日の、高梨隊長と雪緖ゆきおさんの様に』

 と。
 優士に改めて求婚されるまでは、結婚を考えていると云う話を、瑞樹はするつもりだった。それが一転して、結婚します宣言に変わったのだ。心臓が破裂してもおかしくはないと思うが、優士の表情は相変わらずの塩だ。
 懐を押さえる瑞樹の手に、優士の手がそっと重なる。
 緊張する瑞樹に、優士は何時もの塩な表情と声で告げる。

「僕は瑞樹の嫁になると言うつもりだが?」

 その言葉に、瑞樹の顔は一気に赤く染まった。

「恥ずかしいから止めろ!」

 しかし、優士は止まらない。顎に指をあてて、補足の様に言う。

「何故だ? 本当の事だろう? ああ、家事は瑞樹の方が得意だから、そちらで受け取られると面倒か。じゃあ、肉体的…」

「わー! わーっ!!」

 顔色一つ変えない優士に、瑞樹はただ喚く事しか出来なかった。

 きっと、夏が来るたびにこの事を思い出すのだろう。それを、何時か自然と笑って話せる日がくれば良いと瑞樹は思った。

 空は青く蒼く、何処までも続いている。
 果てのない空の下で、大切な人達が笑顔で居られる様に。
 やがて、茜色に染まる空に、感謝して一日を終え、また明日と笑える様に。

 瑞樹は、今は青い空を見上げて笑った。
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