旦那様と僕

三冬月マヨ

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はじまって

【六】旦那様は思考する

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 月の無い夜だった。

 この日、俺達は一つの村の応援に来ていた。
 初めて訪れる村だった。
 住民は二桁の小さな村だ。
 街灯も無い、水道も無い、辺鄙な村。
 国から廃村にしたいと。金は出すから住民の移動をとの計画がある村。しかし、年寄り連中が動きたがらない。今更、新天地なぞでやって行けないと。さほど歳の行っていない連中は、とにかく国が提示する金額を吊り上げようとしていると聞いた。
 住居の手配はするから、この金額で。
 いやいや、仕事もそう簡単に見つかる物なのか。仕事も手配してくれ。それが出来ないなら、もう少し色を付けてくれ。
 そんな押し問答が繰り返されていると聞いた。
 そんな村だったが、あやかしから住民を守る為に駐屯している者達は居る。

 月は痩せ細る。
 日に日に痩せ細る月。
 そして、姿を消す月。
 この様な夜は、妖の数が増え、動きが活発になる。
 どう云う理由か理屈かは知らない。
 昔からそうだ。
 駐屯している人数では対応しきれない可能性がある。
 何事も起こらなければ、それに越した事は無い。
 だが、何かが起こってからでは遅いのだ。
 夕刻を過ぎた頃にその村に入り、万事に備える。
 万が一、妖が村の中に入り込んで来た場合の対処法、村人達の避難場所は何処か等を確認する。
 それらが終わり、一息入れようとした処で、警鐘が鳴り響いた。
 その報せに、場は瞬時に騒がしくなる。
 住民の避難等は駐屯している者達に任せ、応援に来た俺達は妖を狩る方へと回った。

『俺は子供を保護した!』

 天野からの連絡を聞きながら、目の前に迫った四つ足の妖を斬り付けた。
 黒い体毛に覆われた顔に、妙に長い手足に胴体。
 見開かれた赤いまなこ
 妖の姿は様々だが、共通点はこの血の様に赤い眼だ。
 夜の闇の中でも、異様に光る赤い眼。
 そして、人語を操る。
 たどたどしかったり、こちらよりも流暢だったり。
 その赤い眼に刃を突き立ててやれば、妖の姿は砂が崩れる様にボロボロと崩れて行き、やがて何も残さずに消えた。
 刃を振って、付着した妖の体液を落として鞘に収め、他に入り込んだ妖は居ないかと、俺は走り出した。

 ◇

「…何だ、あの子供は」

 さして広くも無い村内に妖の姿が無いのを確認して、篝火の焚かれた避難場所と指定された場所へ行けば、十にも満たない小さな子供が一人、隊員に混じって握り飯を握っていた。
 着ている着物はヨレヨレで、至る処に染みや泥が固まりこびり付いていた。

「おう。ご苦労さん。いや、あれが保護した子供なんだけどさ…」

 訳ありなんだよな、と、俺の姿を見て側に来た天野が言葉を続けようとしたが、それを聞くより早く俺は動いていた。

「お疲れ様です、お役人様。お食べになられますか?」

 無言で握り飯を持つ手首を掴んだ俺に、その子供は驚いて泣き出す事も無く、大きく丸い目を向けて来てそう言った。
 青白く痩せこけた顔とは反対に、その瞳の色濃い黒はやけに印象に残った。

 ◇

 雪緒ゆきおの問題過ぎる発言から一月ひとつきが経った。
 が、特に何かが変わったと云う事は無い。
 やたらと雪緒の夢を見る事になった以外は。
 いや、後日に…。

『では、僕が試しに弄ってみますから、間違いが無いか指南して頂けますか?』

 …との追撃を受けた時は、白目を剥いて死ぬかと思ったが。

 そんな雪緒は今、縁側に座る俺の目の前で洗濯をしていた。
 日に日に気温が高くなって汗ばむ季節になって来たせいか、水の冷たさが気持ち良いのだろう。
 わざわざ井戸から水を汲み上げて、たらいに移して使用している。

 兎にも角にも。
 雪緒は俺の子供である事に変わりは無いし、雪緒からそんな色のある目で見られた覚えも無い。
 だから、俺の夢を見て夢精したと云うのも、偶々たまたまだったのだろうと思う事にした。
 恐らくは、俺の夢の前か後にでも、艶めかしい夢を見たのだ。
 それを口にするのが恥ずかしくて、印象に残ってた俺の夢を引っ張り出して来たのだろう。
 大体だ。
 鼻を摘まれて夢精ってなんだ。
 どんな自虐趣味の持ち主だ?
 俺はそんなにお前の鼻を摘まんでいるのか?
 そんな夢に見る程に?
 仕方が無いだろう。そこに鼻があるから、つい摘まんでしまうのだ。そこに鼻が無ければ、幾ら俺だって摘まんだりはしない。その鼻がいけない。
 そもそも鼻を摘まむ様になったのは、鞠子まりこから貰ったチョコレートを、片手で持てる物を、両手で後生大事に持って、前歯でちまちまと齧ってたりするからだ。そんなどこぞの栗鼠りすの様な様相を見せられたら、手を出したくもなるだろう。

「…って、何を考えているんだ、俺は…」

 はあ、と、溜め息と共に呟いて片手で顔を押さえた時。

『バキッ!』と云う嫌な音と共に『あ』と云う雪緒の声が聞こえて来た。

 雪緒が情けない顔で二つに割れた洗濯板を手に立ち上がり、俺の方へと歩いて来た。

「申し訳ございません、旦那様」

「ああ、いい。気にするな寿命だったんだろう。新しいのを買いに…」

 洗濯板を見せながら頭を下げる雪緒に、俺は軽く手を振って言葉を止めた。

「…旦那様?」

「ああ、すまん。買い物に行くから支度をしろ」

 立ち上がって俺は雪緒にそう告げた。
 そうだ、あれを買おう。
 以前に買おうとしたら、おたえさんに『私は未だ足腰は元気ですよ!』と、怒られた物だが。

「あ、はい。僕は洗濯物がありますのでご一緒は出来ませんが、お支度のお手伝いはさせて戴きますね」

「お前が来ないと意味が無い。途中で構わないから支度をしろ」

 そう口にしながら、鼻を摘まもうと伸ばした手は、地面に立つ雪緒と縁側に立つ俺からでは高低差がある為に辛い姿勢になるから、雪緒の頭の上に軽く手を乗せたのだが。

「あ」

「ん?」

 戸惑った様な雪緒の声が聞こえて、何だとその顔を覗き込めば、それは何故か茹蛸の様に赤く染まっていた。

 ――――――――――――――――――――――――は?
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