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ころがって
【六】旦那様と桃缶
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「…ええと…」
「ん?」
布団の上で身体を起こして、僕はその傍に座ります旦那様を見詰めていました。
今は、僕が熱を出してから、二日目の午後を過ぎた頃です。
熱はまだあるのですが、昨日と比べると大分楽になった気がします。
起き上がろうと思えば、起き上がれます。
身体は怠いのですが、自力で歩いて厠へ行けます。
それなのに。
旦那様が常にお傍に居て下さって、離れてくれません。
そして、今も。
何かを口にしたいからと、台所へ行こうとする僕を止めて、代わりに台所へ行きましたと思いましたら、透明な硝子の器に桃を入れてお戻りになりました。その桃をすぷぅんに乗せて、僕の口元へと持って来ています。
「ああ、大きかったか? どれ…」
食べるのを躊躇っていましたら、旦那様がすぷぅんに乗せた桃を器の中へと戻して、すぷぅんを刺して更に小さく切って行きます。
いえ、そうでは無くてですね。
本日は元からお休みですから良いのですが、昨日は僕のせいで仕事を放り出して来たとの事です。
本当に、申し訳ないです。
僕が勝手に勘違いをして、朝から水浴びをしてしまったせいで、学び舎の皆様にも、旦那様にも、天野様、その職場の皆様にも、相楽様にも、多大な御迷惑をお掛けしてしまいました。
何と申し開きをすれば良いのか、皆目見当もつきませんし、これ以上旦那様のお手を煩わす訳にも行きません。
「ほら、口を開けろ。冷やして置いたから、美味いぞ」
そう思っていますのに、旦那様は柔らかいと思われる微笑みを浮かべて、僕の口元にすぷぅんに乗せた桃を差し出して来ます。
「あ、の。お気遣いは嬉しいのですが、僕一人で食べられますので、旦那様は少しお休みになられた方が良いかと…」
せっかくのお休みなのです。
僕が熱を出したのは、自業自得なのです。
髪を切って下さるとのお言葉に浮かれてしまって、その他を疎かにしてしまった僕への罰なのです。
ですから、旦那様がこんな僕を気に掛ける必要は無いのです。
「病人が気にするな。俺が構いたいから、こうしているだけだ。俺が、こんなに気を遣う事なぞ滅多にないぞ? 遠慮するな」
遠慮します。
遠慮させて下さい。
お願いします。
僕はどれ程、周りに迷惑を掛けたら気が済むのでしょうか?
もう情けないやら、恥ずかしいやらで、顔が熱いです。
きっと、赤くなっている筈です。
ですが、それは熱のせいです。
その筈です。
そう思って欲しいです。
そう思っていましたら、旦那様が何かを考え込む様な仕草を見せまして、とんでもない事を口にして来ました。
「…そうだな。では、お前がこれを食ってくれたら休むとしよう」
ふえ?
「俺を休ませたいのなら、遠慮せず食う事だな」
ふえええっ?
「ほら、口を開けろ」
ふわあああああっ!?
「…そ、それは、ず、ずるいです…っ…」
何故だか、悪い笑顔を浮かべている様にも見えます旦那様のお顔を、上目遣いになりながら睨む様にしますと。
「何処がだ? お前は俺を休ませたくないのか?」
僅かに肩を落として、寂しそうなお顔をされてしまいました。
うう…。
「それにだ。髪を切ってやると言っただろう? 今日は無理だが、熱が下がったら切ってやる。楽しみにしてたんだがな」
「ふえ…? 切って下さるのですか?」
その優し気なお声に顔を上げましたら、旦那様はその細い瞳を更に細めて頷いて下さいました。
「約束しただろう? その為にも、少しでも食って、良く寝て、早く治さないとな」
「…は、い…」
罰当たりな事をしてしまいましたのに…。
お約束だなんて、罰当たりな僕には勿体ないお言葉です。
それでも、やはり嬉しいと思ってしまう僕は、何処かおかしいのだと思います。
「ほら」
再び、すぷぅんが僕の口元へと近付いて来ますが、今度は素直に口を開きます。
旦那様に少しでも早く休んで貰う為です。
僕が食べれば休むと仰いましたからね。
早く食べてしまいましょう。
ああ、桃の冷たさが気持ち良いですね。
すうっと、喉を通って行きます。
相楽様のお母様からのお見舞いの品でしたね。
熱が下がりましたら、お礼に伺わなければなりません。
お返しには何を御用意したら良いのでしょうか?
確か、以前お会いした時には"だいえっと"だと、糖分は敵だと口にされていらした様な?
そうなりますと、甘い物は控えた方が良いですよね?
となりますと、甘くない物になりますよね?
何が良いのでしょうか?
甘くない物…辛い物とかでしょうか?
塩辛とかはどうでしょうか?
七味を掛ければ辛くなりますし、ご飯のお供に合いますし。
「良し、食ったな。夜には粥を作ろうと思うがいけるか?」
「は。いえ、夜は僕が…ふが…」
桃を食べたお蔭でしょうか?
夕餉の支度ぐらいなら出来ると思いまして、そう口にしようとしましたら、鼻を摘ままれてしまいました。
「だから、そう云うのは熱が下がってから言え。ほら、寝ろ」
そうして、睨まれてしまいました。
仕方がありません。
ここは大人しく退きましょう。
今の僕が何をどう言おうと、説得力はありませんものね。
「…はい…。あの、旦那様もお休みに…」
「ああ、そうだな」
旦那様は、そう言いますと、僕の布団の傍でごろりと横になりました。
身体をこちらへと向けて、頭の下に腕を置いています。
「あ、あの、旦那様? お休みになられるのでしたら、こちらでは無くて…」
そんな畳の上でだなんて、休める筈がありません。
昨日の学び舎からの事は、記憶が曖昧で。
夜も、時々目が覚めた時には、常にお傍に旦那様が居ました。
ですから、恐らくはずっと付きっ切りだった筈です。
お眠りになられたのか定かではありませんが、恐らくは、きっと。
ですから、自室でお休みになられて欲しい処なのですが。
「ここで良い。ほら、お前も横になれ。顔が赤くなって来てる。熱が上がって来ているのかも知れん。夜には薬を飲もう」
「ふえ…」
いえ…それは…多分…旦那様が、そこにそうして居るからで…。
ですが、これ以上旦那様のお手を煩わす訳には行きませんし…。
ああ。僕が横になれば、自室へ向かわれるおつもりなのかも知れませんね。
恐らくはそうなのでしょう。
それならば、早々に横になった方が良いですよね。
もぞもぞと身体を動かして、掛け布団を顔の半分程の位置まで引き上げて、僕は瞳を閉じました。
本当に顔が熱いので、熱が上がって来ているのかも知れません。
夜には、しっかりとお粥を戴いて、お薬を飲みましょう。
そうすれば、この顔の熱さも治まる筈です。
………多分。
「ん?」
布団の上で身体を起こして、僕はその傍に座ります旦那様を見詰めていました。
今は、僕が熱を出してから、二日目の午後を過ぎた頃です。
熱はまだあるのですが、昨日と比べると大分楽になった気がします。
起き上がろうと思えば、起き上がれます。
身体は怠いのですが、自力で歩いて厠へ行けます。
それなのに。
旦那様が常にお傍に居て下さって、離れてくれません。
そして、今も。
何かを口にしたいからと、台所へ行こうとする僕を止めて、代わりに台所へ行きましたと思いましたら、透明な硝子の器に桃を入れてお戻りになりました。その桃をすぷぅんに乗せて、僕の口元へと持って来ています。
「ああ、大きかったか? どれ…」
食べるのを躊躇っていましたら、旦那様がすぷぅんに乗せた桃を器の中へと戻して、すぷぅんを刺して更に小さく切って行きます。
いえ、そうでは無くてですね。
本日は元からお休みですから良いのですが、昨日は僕のせいで仕事を放り出して来たとの事です。
本当に、申し訳ないです。
僕が勝手に勘違いをして、朝から水浴びをしてしまったせいで、学び舎の皆様にも、旦那様にも、天野様、その職場の皆様にも、相楽様にも、多大な御迷惑をお掛けしてしまいました。
何と申し開きをすれば良いのか、皆目見当もつきませんし、これ以上旦那様のお手を煩わす訳にも行きません。
「ほら、口を開けろ。冷やして置いたから、美味いぞ」
そう思っていますのに、旦那様は柔らかいと思われる微笑みを浮かべて、僕の口元にすぷぅんに乗せた桃を差し出して来ます。
「あ、の。お気遣いは嬉しいのですが、僕一人で食べられますので、旦那様は少しお休みになられた方が良いかと…」
せっかくのお休みなのです。
僕が熱を出したのは、自業自得なのです。
髪を切って下さるとのお言葉に浮かれてしまって、その他を疎かにしてしまった僕への罰なのです。
ですから、旦那様がこんな僕を気に掛ける必要は無いのです。
「病人が気にするな。俺が構いたいから、こうしているだけだ。俺が、こんなに気を遣う事なぞ滅多にないぞ? 遠慮するな」
遠慮します。
遠慮させて下さい。
お願いします。
僕はどれ程、周りに迷惑を掛けたら気が済むのでしょうか?
もう情けないやら、恥ずかしいやらで、顔が熱いです。
きっと、赤くなっている筈です。
ですが、それは熱のせいです。
その筈です。
そう思って欲しいです。
そう思っていましたら、旦那様が何かを考え込む様な仕草を見せまして、とんでもない事を口にして来ました。
「…そうだな。では、お前がこれを食ってくれたら休むとしよう」
ふえ?
「俺を休ませたいのなら、遠慮せず食う事だな」
ふえええっ?
「ほら、口を開けろ」
ふわあああああっ!?
「…そ、それは、ず、ずるいです…っ…」
何故だか、悪い笑顔を浮かべている様にも見えます旦那様のお顔を、上目遣いになりながら睨む様にしますと。
「何処がだ? お前は俺を休ませたくないのか?」
僅かに肩を落として、寂しそうなお顔をされてしまいました。
うう…。
「それにだ。髪を切ってやると言っただろう? 今日は無理だが、熱が下がったら切ってやる。楽しみにしてたんだがな」
「ふえ…? 切って下さるのですか?」
その優し気なお声に顔を上げましたら、旦那様はその細い瞳を更に細めて頷いて下さいました。
「約束しただろう? その為にも、少しでも食って、良く寝て、早く治さないとな」
「…は、い…」
罰当たりな事をしてしまいましたのに…。
お約束だなんて、罰当たりな僕には勿体ないお言葉です。
それでも、やはり嬉しいと思ってしまう僕は、何処かおかしいのだと思います。
「ほら」
再び、すぷぅんが僕の口元へと近付いて来ますが、今度は素直に口を開きます。
旦那様に少しでも早く休んで貰う為です。
僕が食べれば休むと仰いましたからね。
早く食べてしまいましょう。
ああ、桃の冷たさが気持ち良いですね。
すうっと、喉を通って行きます。
相楽様のお母様からのお見舞いの品でしたね。
熱が下がりましたら、お礼に伺わなければなりません。
お返しには何を御用意したら良いのでしょうか?
確か、以前お会いした時には"だいえっと"だと、糖分は敵だと口にされていらした様な?
そうなりますと、甘い物は控えた方が良いですよね?
となりますと、甘くない物になりますよね?
何が良いのでしょうか?
甘くない物…辛い物とかでしょうか?
塩辛とかはどうでしょうか?
七味を掛ければ辛くなりますし、ご飯のお供に合いますし。
「良し、食ったな。夜には粥を作ろうと思うがいけるか?」
「は。いえ、夜は僕が…ふが…」
桃を食べたお蔭でしょうか?
夕餉の支度ぐらいなら出来ると思いまして、そう口にしようとしましたら、鼻を摘ままれてしまいました。
「だから、そう云うのは熱が下がってから言え。ほら、寝ろ」
そうして、睨まれてしまいました。
仕方がありません。
ここは大人しく退きましょう。
今の僕が何をどう言おうと、説得力はありませんものね。
「…はい…。あの、旦那様もお休みに…」
「ああ、そうだな」
旦那様は、そう言いますと、僕の布団の傍でごろりと横になりました。
身体をこちらへと向けて、頭の下に腕を置いています。
「あ、あの、旦那様? お休みになられるのでしたら、こちらでは無くて…」
そんな畳の上でだなんて、休める筈がありません。
昨日の学び舎からの事は、記憶が曖昧で。
夜も、時々目が覚めた時には、常にお傍に旦那様が居ました。
ですから、恐らくはずっと付きっ切りだった筈です。
お眠りになられたのか定かではありませんが、恐らくは、きっと。
ですから、自室でお休みになられて欲しい処なのですが。
「ここで良い。ほら、お前も横になれ。顔が赤くなって来てる。熱が上がって来ているのかも知れん。夜には薬を飲もう」
「ふえ…」
いえ…それは…多分…旦那様が、そこにそうして居るからで…。
ですが、これ以上旦那様のお手を煩わす訳には行きませんし…。
ああ。僕が横になれば、自室へ向かわれるおつもりなのかも知れませんね。
恐らくはそうなのでしょう。
それならば、早々に横になった方が良いですよね。
もぞもぞと身体を動かして、掛け布団を顔の半分程の位置まで引き上げて、僕は瞳を閉じました。
本当に顔が熱いので、熱が上がって来ているのかも知れません。
夜には、しっかりとお粥を戴いて、お薬を飲みましょう。
そうすれば、この顔の熱さも治まる筈です。
………多分。
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