旦那様と僕

三冬月マヨ

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やがて

【十三】旦那様と闖入者

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 …どうして、こうなった…。

 縁側に座り盃を片手に、庭に咲く向日葵を見ながら、俺は溜め息を零した。

「…だから、ねっ! 本当に、本っ当に、せいは可愛いくてねっ!!」

 …誰か、この酔っ払い親父を引き取りに来てくれ………。

「初めてねっ! 作ったのが、雪緒ゆきお君の為って!! 何でパパじゃないのかなっ!? でもねっ! その初めての手料理を食べたのは、パパだからねっ! もう、可愛くて可愛くて、ジャリジャリでも美味しかったよね!」

 いや、可愛いご子息とやらが迎えに来い。
 雪緒を連れて迎えに来い。

「…でねっ! 雷がねっ!! 音がねっ!!」

 …雪緒…早く帰って来てくれ…。

 俺はまた溜め息を零すと、グイッと盃を煽り、空に浮かぶ真白の月を見上げた。

 ◇

「じゃあね~。今日一日、よおく頭を冷やして、明日雪緒君を迎えに行くんだよ~」

「明日のお昼まで用意しておいたから、夜は雪緒君に作って貰うんだよ!」

「とっとと帰れっ!!」

 散々俺をからかい倒した二人は、漸く帰って行った。
 台所に立ちながらも、あれやこれやと俺の悪口や、雪緒の素直さや、ひたむきさを散々語りあっていた。
 こそこそと話せば良い物を、わざわざ茶の間まで聞こえるぐらいの声の大きさで語ってくれて、その度に、俺の胃が痛んだ。

「全く!」

 二人が門扉を通った後、俺は力任せに戸を閉める。
 バンッと音が鳴り、戸に嵌められていた摺り硝子が僅かに揺れた。

「…っ…!」

 戸に触れたままだったせいで、俄に背中の傷に衝撃が走り、顔を顰めてしまう。

 …何をやっているんだか…。

「…はあ…」

 軽く息を吐いて、茶の間へと戻る。
 そこには、みくが作った夕餉の品々が並んでいた。
 飯は片手で食べやすい様にと、握り飯にしてある。
 煮魚があり、ほうれん草のおひたしに沢庵、冷奴、豆腐となめこの味噌汁だ。
 箸置きにあるのは箸ではなく、銀色のフォークとスプーンだ。

「…まだ早いが…食べてしまうか…」

 時計を見れば、まだ十八時前だった。
 独り言ちて、卓袱台の前に腰を下ろして、味噌汁の碗を手に取る。
 軽く一口のつもりが、賽の目にされた豆腐となめこが大量に口の中に入って来て、危うく吹き出す処だった。いや、口の端から少しばかり零れているが。

「雪緒、布巾を…」

 と、口に出して、雪緒が居ないと云う事に気付く。

「……………」

 軽く頭を掻いてから立ち上がり、台所へと向かう。

「手拭き用の布巾はどれだったかな…」

 何時もならば、雪緒が用意してくれていたから、何処に何があるのか、さっぱり解らん。
 食器棚の引き出しを開けてみれば、何枚かの新しい手拭いが出て来た。
 食器を拭く為の物だろうか? 
 まあ、構わないか、と、それを手に取り、濡れた口周りを拭う。
 それを手に茶の間へと戻れば、何やら静かで寒々しい気がした。
 いや…じわりと汗が滲むし、耳を澄まさなくても、虫の鳴き声も、蝉の鳴き声も聴こえるが…だが…妙に静かに感じる。

「…いて…」

 …また、胃が痛み出して来た。

「…味噌汁だけ飲んで、後は朝に回すか…」

 味噌汁を飲んでから、薬を飲む。
 食えなかった物は、冷蔵庫へ。

「…って、いっぱいだな…。まあ、一晩くらいなら傷まない、か?」

 盆に乗せたままの料理を、再び卓袱台へと運ぶ。

「…………………」

 相楽から『抜糸するまでは禁酒』と言われているが、まあ、少しくらいなら良いだろう。
 呑めば、幾らかは食えるかも知れん。

「……………………不味い………………」

 こんなに酒って不味かったか?
 一口だけ口を付けた盃を卓袱台へと置き、もう何度目かになるか解らない溜め息を零した。

「…雪緒…」

 …雪緒は、今頃飯を食べているのだろうか…?
 今日はまだ、陽が沈みかけた今でも暑いから、食欲が落ちているかも知れん。
 昼は素麺だったし…いや、星が揚げた天麩羅もあったが…。
 雪緒は素麺と冷奴ときゅうりの浅漬けだけで済まそうとしたらしいが、星がそれだけじゃ足りないと騒ぎ出したんだったな。茶の間ここでそれを聞きながら、笑いを堪えていたのだが…。
 ほんの数時間前の事なのに、何故か随分と前の事の様に思えるな…。

「…何故…」

 …何故、あんな言い方になってしまったのか。
 何故、もっと優しく言えなかったのか。
 何故、相楽に言った様に話せなかったのか。

「…子供、か…」

 …俺の方が子供だな…。

 フォークを手に取り、煮魚を一口食べる。

「…不味くは無いのだが…」

 …何かが違う…。
 先の味噌汁もそうだ。
 何かが足りない。
 何が足りないのかなんて俺には解らないが。
 それでも、違うんだ。
 雪緒が作る物は、もっと…。

「…雪緒が作った飯が食いたい…」

 …俺が食うのを、何時も何処か嬉しそうに見ていたよな…。
 ゆっくりと静かに、俺の前で食っていて…。
 何時も、俺よりも遅くに食い終わって…。
 俺が食い終わったら、飯を中断して晩酌の用意をしてくれて…。
 そうして、俺が呑む様をまた、嬉しそうに見ている…。

「…何故…お前が居ないんだろうな…」

 一人で食う飯も、一人で呑む酒も美味くない…。

「…静かで…寂しいな…」

 …一人とは…こんなにも寂しい物だったのか…。
 …いや…。
 …雪緒が居ないから…。
 何時も、何時も傍にいたお前が居ないから…。
 お前が居なければ、ここはこんなにも寂しい…。
 お前が居ないから、俺は………。

「…甘えて欲しいとか…」

 …甘えていたのは…俺だ…。
 あんな風に言ってしまったのは…雪緒なら解ってくれると…。
 雪緒なら、大人しく退いてくれるだろうと…そう思っていたんだ…。
 それが甘え以外の何だと云うんだ?

「…本当に…馬鹿だな…」

 …雪緒は、もう俺の顔なぞ見たくも無いのだろう…。
 …だから…出て行ったのだ…。

「…三下り半か…全く…」

 のろのろと立ち上がり、茶の間を後にする。
 陽が落ちても、開け放たれた縁側から入る風は熱を孕んでいて、じっとりと纏わり付いて来る。
 暑いと文句を云う前に、気が付けば雪緒が団扇で風を送ってくれたりした。

「…嫁…か…」

 …出来過ぎた嫁だよ、全く…。

 そっと雪緒の部屋の障子を開けて中へ入る。
 月明かりだけを頼りに、それを手に取り、静かに胸に抱えて縁側へと出て座り込んで、膝の上にそれを、雪緒の宝物を置いた。

「…出て行くなら…忘れるな…」

 …取りに…戻って来い…。
 …お前の大切な物が、ここにあるぞ…。
 …きらきらでぽかぽかな…。

「…………鞠子まりこ……」

 目の先に咲く、月の光に照らされた向日葵を見る。

 …お前は…幸せだったと言った…。
 …その言葉に、偽りは無いか?
 …その笑顔に、嘘は無いか?

「…俺は…」

 …雪緒を幸せに出来るのか…?
 …ずっと…きらきらでぽかぽかなままで居させてやる事が出来るのか…?
 …俺は…雪緒をどうしたいんだ…?
 …俺は…―――――――――――。

「…………ああ、良い月夜だ」

 どれぐらいそうしていただろうか?
 ふと聞こえて来た声に、意識を戻された。

「うむ。見事に落ち込んでいるな。全く、後悔先に立たずとは、今の君の為にある言葉だな。そう思わないかね? ゆかり君?」

 …………………………………………は…?

 月明かりの下、しれっと挨拶も無しに、庭先まで不法侵入して来た、右手に風呂敷包みを持った、白いシャツに紺色のズボン姿の男は…。

「し…っ…司令!?」

「ノンノン。今は、君の叔父として居るのだから、そんな呼び方は嫌だね。えみ叔父さんと呼んでくれないか」

 だから、顔の前で人差し指を立てて揺らすな。
 自分のゴツさを理解するべきだ、この親父は。

「……………………………こんな時分に何用ですか?」

 僅かに痛み出した額に手をあてて尋ねれば。

「ううん。相変わらず、つれないね、君は。なあに、落ち込む君と花見をしたいと思ってだね。あ、台所借りるよ。よいせっと」

「は? あ、ちょ、待っ!」

 俺が止めるのも虚しく、司令は縁側に風呂敷包みを置くと、そのまま靴を脱いで縁側へと上がり、台所へと向かって行った。

「…って…花見…?」

 桜なぞ、とうの昔に散っているのだが?
 一体、何しに来た?
 雪緒はどうしたんだ?

 俺は訳が解らず、ただ立ち尽くしていた。
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