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006 聖女と悪役令嬢と婚約者
しおりを挟む大きく、深呼吸をする。
息を整えた私は、男に向かって語りかけた。
「――命を助けてくれないかしら」
それは命乞いの言葉だった。
もちろん、通用するはずがない。私の予想どおり、男は無慈悲に首を振った。
「お嬢ちゃん、悪いな。可哀想だがお前は殺さなくちゃいけない。顔も見られちまったしな」
「……私は侯爵たるグランディス家の娘よ。もし私を殺めれば、貴族たちは必死で犯人を探すことになるわ。……あなたにとっては、都合が悪いんじゃない?」
「な、に……。バカな、侯爵家の令嬢がこんなところに、いるはず……」
男の声は、動揺の色が含まれていた。それもそのはずだろう。聖女などと持てはやされているとはいえ、ミレーユは子爵家の小娘であり、かりに犯罪に巻き込まれて死亡したとしても、そこまで大規模は事件捜査はおこなわれない。
だが――トップクラスの領地と財力を持った侯爵家の人間ともなると話は別だ。親族が殺害されれば、躍起になって犯人を捜すことになるだろう。つまり……私を殺すことのデメリットが大きすぎるのだ。それを男も理解しているようだった。
「つまらない暗殺の仕事なんて……やめたらどう? 金が欲しければ、別の方法だってあるわよ。たとえば――もし私を誘拐して身代金を要求すれば、あなたがいまやっている仕事よりも、もっと莫大な金が手に入るんじゃないかしら」
「…………」
男の沈黙は、心中が揺れ動いていることの証だった。金で雇われて学園に侵入しているのだ。金の話を持ち掛ければ、少しは気を引けることもわかっていた。
――つまらない命乞いの言葉の数々。
それはべつに、無策な苦しまぎれというわけではなかった。
目的は――単純に、男の注意を引くことに過ぎない。
そして、その戦略は……十分に効果を発揮した。
「――トラス・ガーラント」
「……なんだって? 誰のことだ」
「…………あなたを倒す者の名よ」
「な――」
言葉を上げようとした男が、横に弾けるように吹き飛んだ。巨大な土くれが、その頭部を強烈に殴打したのだ。――第三者による魔法の介入だった。
うまく直撃したおかげか、男はピクリとも動かず横たわっていた。脳震盪を起こしているのだろう。一撃が決まってしまえば、呆気ないものである。
私は尻餅をつきながら、こちらに駆け寄ってくる学生に目を向けた。そのプラチナブロンドの髪は、月明かりを受けて銀色に輝いている。思わず見惚れてしまうくらい綺麗だった。
――ヒロインのピンチに駆けつけるヒーローだなんて、まったくあまりに出来すぎだ。
私はふっと笑いながら――全身を支配する疲労と苦痛と安堵感に、徐々に意識を手放してゆくのだった。
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