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もう一つの器編
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しおりを挟むディーレインはその場に膝をつき、崩れ落ちる。
ア・ドルマの言う通りその光景はディーレインの許容できる範疇を超えていた。
「ファナ……ファナ、どうして……」
ずっと、妹はもうどこかで死んでしまっているかもしれないと頭の隅では考えていた。
しかし、「いや、そんなことはない。必ずどこかで生きているはずだ」と僅かな希望に縋り付いていたというのも事実。
微かに残ったディーレインの生への執着がこれで完全に途切れたことになる。
「私が見つけたときにはすでに彼女は事切れていた。ただ、遺体はなんとか持ち帰ったが」
打ちひしがれるその背中にア・ドルマの言葉が投げかけられる。
ディーレインは涙の流れ落ちるその瞳でア・ドルマをキッと睨む。
「お前か……お前がやったのか」
ドス黒い魔力がディーレインの体を包み、膨れ上がる。
シモンヤの森で帝国兵を相手に戦った時と同じ感覚だった。
冷静に考えれば、妹ファナを殺したのがア・ドルマではないとすぐにわかっただろう。
ディーレインと信頼関係を築きたいと言った彼が、妹のファナを殺すとは考えづらい。
仮にその言葉が嘘だったとしても、わざわざディーレインを呼びつけて妹の死をいたずらに悟らせ怒りを買う必要などない。
ディーレインは右手をア・ドルマに向けて伸ばす。
すると、彼が体に纏った魔力が延びた。
腕の延長となった魔力はア・ドルマの首を掴み、締め殺そうとする。
そんな状況になってもア・ドルマは動かなかった。
部下であるア・マルティも同様だ。
まるでそうなることが最初からわかっていたかのように平然としている。
「やはり、貴様の魔力は私との相性が抜群に良い」
ア・ドルマはディーレインの魔力の腕を掴むと自らの下に引き寄せる。
最も簡単にディーレインはア・ドルマに捕まってしまう。
「貴様に真実を見せよう。貴様の妹を殺したのが誰か、真に怨嗟を向けるべき相手が誰かを知るが良い」
ア・ドルマは逆にディーレインの胸ぐらを掴んだ。
二人の顔が近づき、ディーレインはア・ドルマの赤い瞳を見た。
その瞬間にディーレインの頭の中に流れ込むように映像が浮かんでくる。
妹、ファナの記憶だった。
数年前、ディーレインがハルバシオンから脱出した時。
それよりも少しだけ早くファナも脱出を試みた。
共をしたのは八魔部隊の一人、ニルカである。
二人はディーレインと同じように魔法をかけた小舟に乗り、大海原へ飛び出す。
しかし、無駄だった。
ビアルカ族の空襲部隊がその様子を見ていたのである。
船に向けて火炎魔法を叩き込むビアルカ族。
小さな船は最も簡単に壊れ、二人は海へと投げ出される。
しかし、ファナはここで死んだわけではない。
運良く岸に流れ着いたのである。ただ、共のニルカとは逸れてしまった。
さらに運の悪いことに追撃にきたビアルカ族に見つかり捕まってしまう。
そこからのファナの人生は悲惨なものだった。
当時、十三歳という若さだったにも関わらずファナは誰もが惹かれるような美貌を持っていた。
加えてシドルト族という優秀な魔法使いの一族の血を濃く継いでもいた。
そんなファナをハルバシオンの国王は奴隷として売り捌いたのである。
いや、ファナだけではない。
国王は戦争で捕まえたシドルト族のうち、より優れた魔力を持ったものを戦争奴隷として他国に売り渡した。
戦争ですっかり疲弊した自国の軍資金を稼ぐためであった。
ディーレインはこの記憶の中で初めて八魔部隊も奴隷として売られていたことを知る。
海でファナと逸れて、他の岸に流れ着いたニルカ。
そして、捕まったシドルト族を救出するために一人で立ち向かったジルメール。
残りの六人も全て戦争奴隷として各地に売られていた。
ファナを買い取ったのはどこぞの小国の王子だった。
それなりの金額、されど決して高すぎることのない値段でファナは買い取られた。
それはファナの命の価値を金なんかで定める侮辱に近い行為である。
小国に売られ、海を渡ったファナはその国でさらに辛い思いをする。
その国の王子はファナを城の塔に幽閉したのである。
まるで、鳥籠の中の鳥を愛でるかのようにファナを決して外には出さず、塔の中で鎖に繋いだのだ。
ファナは自由を奪われた。
窓一つない塔の中では空の青さを見ることすらできず。
話ができるのは時々やってきては下卑た笑みを浮かべる王子のみ。
夏は蒸し風呂のように暑く、冬は外と変わらないほどに寒い塔の中。
そんな環境でファナの体が持つわけもなく、彼女はすぐに病に倒れ冷たい床の上で息を引き取ったのである。
最後の最後まで、最愛の兄に再び会える日が来ることを願い、「兄さん」と口にしながら。
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