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月夜の夜明け編
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しおりを挟む異変が起きたのは魔法使いファナスが漁村を出立して王都に帰ってから三日後のことである。
それまで、ファナスの施した魔法と薬の力で呼吸も安定し熱も下がっていた流行病の患者達の容体が急に悪化したのである。
「そんな……ファナス様は安静にしていれば大丈夫と仰っていたのに」
救いを求めて家の前に集まった病人の家族達を前に村長は狼狽える。
急いで使いの者を王都に向けて走らせて、その道中でファナスを見つけたら戻ってもらえるよう頼ませることにする。
それと同時に王都に向けて手紙も出し、村の危機を伝える。
しかし、肝心の病気に対しては今できることは何もなかった。
「お母ちゃん! しっかりして、お母ちゃん!」
シュレンガーの母も他の村民達と同じように容体が悪化していた。
熱はこれまでにないほどに上がり、咳は止まらず。
苦しそうに胸を押さえてもがく母親を前にシュレンガーは涙を流して寄り添うしかなかった。
唯一の救いはファナスが旅立つ前にくれた薬だけである。
お金もなく、支払いができないからと断るシュレンガーにファナスは無理矢理薬を持たせて
「お金はいらないよ。もしものためにこの薬をとっておきなさい」
と手渡したのである。
「お母ちゃん、これ。先生がくれた薬だよ。きっと効くから、きっと良くなるから」
ファナスは母親に薬を飲ませる。
しかし、薬は全く効かなかった。
熱も下がらず、苦しそうに咳を続けている。
さらに悪化して、吐血までしていた。
「そんな……どうして。先生がくれた薬なのに……」
薬が効かないのならばファナスにできることはもう何もなかった。
母親のそばに寄り添って、治るように祈るしかない。
シュレンガーの家の扉が乱暴にノックされる。
母親の一大事でそのノックに応える余裕はシュレンガーにはなかったが、扉は強引に開かれて一人の男が入ってくる。
ハンクである。
「シュレンガー、大丈夫か!」
焦った様子でドカドカと家の中に入ってくるハンクにシュレンガーは何とか顔を上げて
「おじさん、入ってきちゃだめだよ。お母ちゃんの病気がうつっちゃう」
と言った。
しかし、ハンクはそんなことは全然気にしていなかった。
「そんなこと言っている場合か。今、村じゃ同じように容体の悪化した病人達が大勢いて大混乱しとる。村長がファナス様を呼び戻すための使いを送った。ルシア、どうかそれまで持ち堪えてくれ」
ハンクはシュレンガーの母の名前を呼び、額に浮いた汗を拭う。
言葉とは裏腹にその表情はもう覚悟を決めていた。
ファナスが漁村を旅立ってから既に三日が経っている。
それを追いかけて使いの者が同じ道を辿ったとしても、追いつくのに三日以上がかかる。
時間的には追いつくのはちょうど王都にファナスがつくかどうかの頃合いだった。
だから村長は同時に手紙を王都に向けて出したわけだが、どちらにせよ王都に漁村の状況が伝わってから再び魔法使いが派遣されるまでにはかなりの時間がかかってしまうのだ。
シュレンガーの母だけでなく、容体の悪化した流行病の患者達の様子を見るにとてもそんな長い時間を病気と戦えるとは思えなかった。
しかし、ハンクはその事実をシュレンガーに伝えることができなかった。
まだ幼く、既に父親を亡くしているシュレンガーにたった一人の家族である母親まで失うという事実は重すぎた。
だから伝えられず、一緒に母親を看病してやることしかできなかったのだ。
それからさらに二日が経って、四日が経って。
漁村では流行病に侵された者達が次々と息を引き取っていった。
不幸中の幸いというのか、どういうわけか流行病はそれ以上他の者には広がらず、元々罹っていた者達の命を奪うだけだった。
シュレンガーの母親はまだ生きていた。
子供を一人残しておけないという思いが強かったのか、血を吐きながらも懸命に生きようともがいていた。
村民達は使いの者がファナスを連れて戻ってくるのを祈るように待ったが、連絡は一向に来なかった。
それからさらに三日が過ぎて、普通ならば王都からの返事が何かしら届いても良さそうな頃合いにシュレンガーの母は静かに息を引き取ったのである。
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