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本編
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しおりを挟む人生に雨はどれくらい降るのだろう
雲は晴れ、眩しい太陽を見るために
私は今、何をすべきなのか
ねぇ、誰か教えて
空がこの病室を去ってから2週間が経った。
その間、ずっと気分は優れなくて。
と言うか、どん底にあった。
唯一、喜ぶべき事と言えば、声を取り戻したという事くらい。
でも今となってはそれさえもどうだっていいって思えるくらい全てに投げやりになっていた。
一方、大地はと言うと、言葉どおりあの次の日にやってきて諦めるなとか、色々と言っていたけれど全く耳を貸さなかった。
完全無視とでも言うのだろうか。
悪いとは思いながらも、笑いのネタなどにされることを考えればその態度は間違っていないと思う。
偶然にもその様子を見ていた花岡先生が何かを察したように大地を追い出し、さらには出入り禁止令を出してくれた。
そのおかげなのか、それから大地はパッタリと現れなくなった。
今の私にはその気遣いがとても有難かった。
自分のことだけでも手一杯、頭一杯だったから。
そんな私に訪問者が一人やってきた。
扉を開けて私の元へとやってきた女性は花束と、そして名刺を差し出した。
「はじめまして、橘さん。私はこういう者です。」
目の前のその名刺を素直に受け取り、名前を確認するけれど全く身に覚えのない人だった。
「葵の所属事務所を経営してると言った方がわかりやすいかしら。」
そう言ってその女性、一条社長は私に微笑んで見せた。
空の・・・
前にも同じような事があった気がする。
あの時はマネージャーさんだったけれど。
もしかしてこの人もあの時と同じ用件なのだろうか。
でもそれならばもう私の所に来る必要なんてない。
だって私はすでに空とは何の関係もないのだから。
「突然お伺いしてごめんなさい。お体の方は如何ですか?」
「え、ええ、大丈夫です。」
「そうですか。それを聞いてホッとしました。その・・・この度は私どもの社員が大変な事をしてしまい、本当に申し訳ございませんでした。」
そう言って深く頭を下げる。
「え?」
社員?
一体なんの話?
怪訝そうに見つめ返す私の反応で、一条社長は何かを察したらしく新たに質問をしてくる。
「先日、葵がこちらに来たかと思います。その時に今回の件に関して何か話をしませんでしたか?」
「いえ・・・特には。あの・・・何か?あ、どうぞお掛け下さい。」
椅子へと促しながらも話の続きが気になって仕方がない。
一条社長は私の返事を聞くと、ゆっくりとした動作で近くの椅子に座った。
そして私を真っ直ぐに見据えると、
「そう・・・ですか。では私の方から話しましょう。あなたにとってはとても辛いお話かもしれませんが。」
そう言って神妙な表情をした一条社長を私は不安げに見返していた。
一体、何があるというのだろう。
わざわざ社長という肩書の人が私の入院している所にきて話すという行動に出た事。
しかも空がここに来たことも知っているという事は少なくとも私と空の関係をそれなりに知っているという事だ。
思った以上に、何か大事になっているのは間違いない。
そんな考えが頭に浮かんだ私に、一条社長は鞄の中から1つのファイルを取り出し、差し出してきた。
「これは?」
「そのファイルが全ての始まりです。」
その一言を聞きながら、私はファイルを捲った。
飛び込んできたのは私の名前。
調査報告書と題したその書類の内容は私に関することだった。
しかも何これ・・・
「ひどい・・・。」
内容はあまりにも現実とかけ離れたもので、憤りしか生まれないものだった。
「それは三沢が偽造して葵に渡したものです。」
「どういうことですか?」
私のその問いかけに一条社長は最初から順に話を始めた。
彼女の話す内容は信じられない事ばかりで、しかも私が考えていた以上の現実で。
まさか・・・知らないところでそんなやり取りがあったなんて。
「大丈夫ですか?橘さん。」
一条社長が私の肩に手を置き、顔を覗き込んでいた。
その時ようやく自分で身体を抱きしめていることに気付く。
「だ、大丈夫です。ちょっと驚いただけですから。」
「ごめんなさい。まだ体調が完全ではないのに、このような話をしてあなたを苦しめて。」
「いいえ、聞けて良かったです。」
ショックは受けたけれど、今は聞けて良かったと本当に思う。
だって、少しだけ救われた事があったから。
あの日、空は私を見捨てて出ていったんじゃなかったという事。
怒りに任せて抱いた後、空は私の為に部屋に残ろうとしてくれた。
それを聞けただけで十分。
「いくら当人達に任せていたとはいえ、少なからず事務所側にも責任があります。出来る限りの償いはさせて頂きます。」
「償いなんてそんな・・・必要ないです。元々、私の知らない場所で起こっていた事だし。」
「ですが、被害を受けた事実は存在します。その事実がある限り、被害に対してこちらが慰謝料を払う義務があります。」
私の言葉を打ち消すかように一条社長は鋭い口調で覆いかぶせてくる。
「ただ、一つだけお願いがありまして。今回の件を口外しない事をご了承頂きたいのです。本来ならばそういう立場にはない事は十分わかってはおります。ですが、わが社もまだまだ業界では新参者。今回の件が公になれば、かなりの打撃を受ける事でしょう。社で働いてくれている社員を守るためにも避けられるものは避けたいというのが正直なところなんです。」
一条社長は申し訳なさそうに視線を下げた。
社長の話は十分理解できた。
毎日のように賑せているゴシップが原因で業界から姿を消していく人だって数え切れないほどいるだろう。
本人はまだいい。
けれど所属する事務所はその対応や賠償問題など大きな痛手を受ける。
それによって経営悪化する可能性だってあるはず。
そうなればそれまで懸命に働いてきた人達の生活にも影響がおよぶのは目に見えている。
「心配しなくても今回の件は公にしません。それに償いなんて本当に必要ないんです。これはあくまでプライベートなものだし、むしろご迷惑をかけたのは私の方だと思うんです。空・・・葵は今や注目される人間で、そんな人と一緒に暮らす事自体、危険な事でスキャンダルになってもおかしくない状況だったんですよね。たまたま今回、こんな形になってしまっただけで、もし今回の事がなかったとしてもいつかは別の形で皆さんにご迷惑をかける事になったと思うんです。だから・・・。」
「橘さん。」
私の言葉をじっと聞き、結論を告げる時になってようやく一条社長は口を開いた。
「あなたのお気持ち、お気遣いは十分にわかりました。個人的にはそのお言葉を素直に受け入れたいのですが、経営者の立場だとなかなかそうはできないんです。今はよくても後々問題になる可能性もある。そうならない為にも出来るだけ早期に対処しておかなければならないんです。だから、そうですね・・・これは取引と思って下さい。」
「取引?」
「そうです。私達の条件を呑む代わりにあなたには出来るだけの援助をする、そういう取引です。もちろん書類も作成させて頂きます。」
どうやら話を受け入れなければ話が終わりそうにない。
本当に必要ないんだけどなぁ。
心の中で溜息をつきながら、渋々と承諾する気持ちを固めた。
「わかりました。全て受け入れます。」
そう言うと一条社長はホッとしたように頷いた。
「あなたにとって不利になるようなことは決してありませんのでどうぞご安心ください。早速ですが、私共が考えております補償についてお話をさせて頂きますね。まずこちらの入院に関する費用、そして退院後の通院などにかかる費用、そして新しい生活に必要な費用、当分の生活費などを考えております。もちろん他にもご要望があれば、仰ってください。」
そう言って手帳を用意し始めた。
ペラペラとページをめくり、開いた先に何かを書き始め、そしてペン先が止まる。
私はそれを見ながら彼女の発した言葉の中に不自然なものを感じていた。
『新しい生活』
一瞬聞き流しそうになったその単語が次第に私の心を鷲掴みしていく。
知ってるんだ、この人。
私と空の関係が終わった事を。
そうだよね、ここまで色々な事を知っているんだもの。
今更隠すなんて意味ないか・・・
「何もありません。それだけで十分です。私には勿体ないくらい。」
「しかし・・・。」
私の表情を見て彼女は言葉を呑みこみ、、そして話を切り替えた。
「わかりました。突然の話なので、急には考えられないですよね。」
そう言うと、パタンと手帳を閉じ鞄に戻すと、立ち上がり、
「今日はこれで失礼しますが、何かご要望などございましたらいつでもご連絡下さい。特に新居についても色々と条件を伺いたいので。では、お体をお大事に。」
そう言って会釈をして部屋を出ていった。
消えていった後姿を追いかけながら思う。
空と関係がなくなってしまった今、何を望めというのだろう。
何も望むものなんてないし、考えられない。
そんな私の思いを表すかのように外は雨が降り出し、窓を打ち始めた。
それからの数日は慌ただしく過ぎていった。
なぜなら私の退院が決まったから。
タイミングが良すぎると言うか、何とも言葉に出来ない感情が混ざりながらも結局、一条社長と連絡を取らざるを得なくなり、新居の相談も悪いと思いながら進めていく。
こう言う時、実家が近くにあれば戻るのに・・・
何度もそんな事を思いながら、ここ数日お世話になっている日吉さんと話を進める。
日吉さんというのは、一条社長の代理で来ている女性で、物件を探してくれたり、退院の手続き処理など諸々のことを全て任されているみたい。
話しやすく、気さくな人。
おかげで物件探しの希望条件は無理難題をさらっと口にしてしまった。
駅がそこそこ近くて家賃が安く、部屋が広い所。
窓が大きく、風通しも良く、3階以上でベランダが広ければさらにいい。
ざっと言えばこんな感じの内容を朝、彼女にしたらそれをメモり、すぐに退出。
夕方に戻ってきたかと思えば、病室にパソコンを設置し、希望した条件をクリアしていそうな部屋を自分が撮影した映像で私に見せる。
「こんなに素敵なところをこの家賃で?」
「はい。大家さんに頼みこんでみました。」
そう言ってにっこりと笑う日吉さんに脱帽状態。
社長に任されるだけのことはある。仕事の出来る人ってこういう人をいうのね。
何よりもあの大地を花岡先生同様、軽くあしらったくらい。
昨日の事を鮮明に思い出し、苦笑した。
相当のツワモノだ。
昨日の午後―――
久しぶりに大地が顔を見せに来て、それはたまたま日吉さんと初対面をしている時で、大地は怪訝そうに日吉さんを見ながら私に話しかけた。
「よぉ、久しぶり。退院するんだって?」
「そうみたい。」
「ま、何にしても良かったな。身体が良くなりゃ何だってできるしな。あ、入院費は気にすんな。俺が出すからさ。」
「え?」
突然の申し出に驚きながら、大地を見上げる。
一方の大地はニヤッと笑い、
「ほら、前に・・・。」
「お話し中、失礼します。青井大地さん、でいらっしゃいますね?」
話をしはじめた大地の言葉を割き、日吉さんが一歩前に出てきた。
「あ?ああ、あんたは?」
「挨拶が遅れました、私はこういうものです。」
そう言って私にも渡した名刺を大地にも渡す。
そして、手短に彼女に与えられた役割を大地に伝える。
聞き終わった大地は、
「マジかよ。」
その言葉は真っ直ぐに私に向けられる。
ギロっと強い視線とと共に。
なんで睨むのよ。
「他に今は選択の余地がなかったし・・・。」
「ばかやろ!俺がいるだろ!」
いきなり大声で私を罵倒してきた大地にびっくり。
「なんのために俺がいるんだよ!あー、だから嫌だったんだよ、おまえを一人にすんのは!言っただろ?おまえの考えは間違ってんだって。その上、これから先も間違ったままいくのかよ!」
「大地、落ち着いて。」
「落ち着いてられっかよ!」
ヒートアップする大地にはもうお手上げだ。
困り果てた私に救いの手を差し出したのは、今日初顔合わせの日吉さんだった。
「私の説明で何かご不満がございますでしょうか。でしたら橘様ではなく、私に直接お話し下さい。」
「ほぉ、不満がねぇかって?大アリだっつーんだよ!一体、どんな手を使ってみーを納得させたかしんねーけどな、俺は騙されねーぞ!おまえらは結局、みーとアイツを引き裂こうとしてんだろ?だからここまでするんだ。違うか?」
大地は日吉さんを指さし、強気で言葉をぶつける。
そんな大地から一瞬、視線を逸らし、ぼそり。
「くそ兄貴が。」
本当に小さく呟いた日吉さんは、その呟きが聞こえなかった大地ににこりと微笑み、
「でしたら、青井さん。自分のお金でここの入院費、および引っ越しの費用を支払い、新居の手続きを本人無しで済ます。あなたは橘さんのためにここまで出来ると仰るのですね?」
「当たり前だ。」
腕を組み、日吉さんを見下ろしながら大地は即答する。
「なるほど。それはもちろん、葵に借りているお金を全額返済した上で、ということですよね?」
「そ、それは・・・。」
さっきまでの勢いが急に消え失せ、大地がうろたえている。
つまり、大地は空から借りたお金で私の入院費を払おうとしていたと言う事か。
なんて兄だ。
「ただ、部屋を借りるにしても、ご自分の名義で借りるというならば話は別ですが、本人以外が手続きをするというのはなかなか難しいですよ。身分証明書なども必要になりますし。今、橘さんにはそういうものが手元にないと聞いております。おまけにあなたは葵に信用されていないとも聞いております。当然でしょう、弟の足を引っ張る様なお兄様のようですし。そのお兄様であるあなたに葵が橘様の持ち物を渡す可能性は低い。それでもあなたは橘さんに新居を提供できると?」
「う・・・。」
何も言えなくなった大地に大いに満足し、日吉さんは私との話を再開した。
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