Calling

樫野 珠代

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秘書編

38






部屋に戻った朱里はそのまま自室へと駆け込んだ。
そして倒れ込むようにベッドサイドに崩れ落ちた。
「う・・・っく・・・。」
泣き顔をベッドに押し付け、声を押し殺して泣いた。
もう泣かないはずだったのに。
母親になると決めた日から強く生きようと決めたのに。
こんなに悲しいのはきっと彼の言葉が重く深く胸に突き刺さったから。
その彼の言葉が何度もリピートする。
彼は私との未来を信じていた。
私と一緒に生きようとしてくれていた。
そして共に立ち向かおうとしてくれていた。
彼の想いが今更ながらに深く強く伝わってくる。
それなのに私は何もせずに結局、身分の違いを理由に逃げただけ。
努力なんてしなかった。
足掻こうとしなかった。
それどころか・・・彼の気持ちをどこかで疑ってたのかもしれない。
好きだと言ってくれたけど、でも未来を約束したわけじゃない。
ただそばにいてほしいと言われただけ。
好きだと言ってくれただけで十分、なんて思ってたのは最初だけで、彼と一緒に居れば居るほど彼への想いが強くなってた。
そして彼との未来が見えなくて、確証もなくて、そんな自分の不安定な位置にきっと心が耐えきれなかったんだと思う。
だから会長に言うことをすんなり受け入れられた。
いろんな言い訳を自分にしながら。
そして・・・彼を頼ることさえ、できなかった。
突き放されることを恐れて。
その時点で彼の気持ちを信じていなかったことになる。
「はは・・・こんな私じゃ、彼に嫌われて当然よね。」
自分を戒める言葉を口に出す。
ちょうどその時、足もとにあった鞄の中で携帯が震えた。
そう言えば・・・木島から電話があって、いつの間に鞄に戻したのだろう。
記憶がない。
あの時は目の前に現れた恭介のことでいっぱいになったから。
朱里は涙を拭き取ると、携帯を取り出した。
やはり木島からの電話だ。
朱里は鼻を啜りながら、携帯に出た。
「もしもし。」
『風立さん!よかった・・・出てくれて。』
「ごめんなさい、さっきはその・・・」
『ああ、言わなくてもわかってる。恭介がそっちに行ったんだろ?』
「どうしてそれを・・・?」
『恭介のやつ、仕事をほっぽり出して会社を飛び出して行ったからきっとそっちに向かったんだろうと思って。そのことを知らせようと君にずっとメールをしてたんだけど、ひょっとしたら見てないかもしれないと思ってあの時電話もかけたんだ。』
「そうだったんですか・・・。」
『・・・・その様子じゃ、あまり良い報告は聞けないみたいだね。』
朱里の沈んだ声に木島はすぐに何があったかを察した。
「私、バカなんです。自分を守る為にそこから逃げ出したことに今ようやく気付いたんです。今さらですよね・・・ホント、情けない。・・・社長はそんな私に嫌気が差したみたい。さっき、呆気なく見放されました。ふふ、自業自得ですよね。」
『・・・なぁ、風立さん。君は幸せだったと言い切れるか?』
「え・・・?」
『俺、言ったよな?君が幸せであるならそれでいいって。俺に誓って言える?この1か月幸せだったって。』
「それは・・・。」
断言できない。
確かに幸せな時間もあった。
自分の中に新しい命が宿ったことを知った時。
病院で生命の営みを見れた時。
何かをしながらふと自分のお腹に手をやった時。
その時だけは幸せに感じた。
でも・・・それだけじゃない。
『逃げても結局は幸せになれなかったんじゃない?』
「・・・そう・・・かもしれません。」
何度も見た悪夢が脳裏に浮かぶ。
心は正直だ。
自分の中にある不安や寂しさ、辛さ、悲しさを夢として具現化する。
そして改めて今の自分がどういう状態なのか、簡単にわかってしまう。
『逃げても逃げなくても結局君の辛さは変わらなかったんだろ?だったら元の場所へ帰るべきじゃないか?少なくとも元の場所には君がすべきことがあるだろ。恭介のそばで、あいつと一緒に幸せになるためにすることがさ。そっちの方が君らしいと俺は思うよ。それに恭介がそばにいるだけでかなり心強いし、君の自信にも繋がると思う。』
「木島さんは・・・何もかも知ってるんですね。私と社長のことも・・・。」
気持ちが落ち着いたせいだろうか。
冷静になっている自分がいた。
木島が二人の関係を知っていると気づけたのもそのせい。
『全てというわけじゃないよ、二人を見ててなんとなくそうかな・・・って思ってた。』
「そうですか・・・。」
誰にも知られてないはず。
そう思ってたのは私だけなのかもしれない。
彼が気付いたということはひょっとしたら他にも気づいていた人がいるのかも。
『ほら、のんびりしてる暇はないぞ。恭介が待ってる。』
「待ってなんか・・・それにもう・・・。」
『遅いなんて言うのは、まだ早いと思うよ。君はまだ何もしてない。やれるだけのことをやって、それでも駄目だった時にだけその言葉を使うべきだ。』
凛とした声が耳元に響く。
そうだ、まだ私は何もしてない。
すべきことがあるのにしないのは、逃げること。
さっき、そのことでずっと後悔してたじゃない。
朱里は顔をキュッと引き締めた。
「ありがとう、木島さん。私、やれるだけのこと、やってみます。」
『ああ。俺達のためにも一刻も早く元サヤに戻ってくれ。このままじゃ、俺達の身が持たないから。』
「え?」
『いや、こっちの話。じゃ、すぐに電話しろよ。』
そう言うと木島は朱里の返事も聞かずにぶちっと電話を切ってしまった。
朱里は携帯を閉じ、胸に抱いた。
ありがとう。
心の中で木島に対し、もう一度、感謝した。
そして再び携帯の画面を広げた。
そこに目的の名前を映し出す。
電話、しなきゃね。
そう思ってもなかなか通話ボタンが押せない。
怖い。
さっき、あんな形で別れたばかりで何と言って話し出せばいいのかわからない。
電話はつながるだろうか。
彼は出てくれるだろうか。
不安要素が次々と浮かぶ。
「こんな不甲斐ないお母さんじゃ駄目だよね。」
朱里はお腹を擦り話しかける。
落ち着いて話せるなら、この子のこともきちんと話さなければならない。
彼はどんな反応をするだろう。
それを考えることも躊躇われる。
・・・・・・あーもう!やめた!くよくよばかりしてても始まらないわよね!
チャンスは今しかない。
当たって砕けろだわ!
そう思って考えるよりも前にエイッとボタンを押した。
相手の携帯を探す音。
そして呼び出す音。
全てが心臓に悪い。
3回コールした瞬間、その音は止んだ。
つまり・・・相手が出たということ。
『・・・もしもし。』
相手の声を聞いて、朱里は思わず息を呑みそして喉を鳴らした。



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