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第十一話 やっと手にした平穏は
しおりを挟むどれだけ切に願っても、無慈悲に朝はやってくる
鉛のように重たい身体を起こし、涙で熱く腫れあがった瞼を擦る
「はぁ…」
ベッドの脇に置かれた時計に目を送ると、午前8時を指していた
「……学校…怠いな…行きたくない…」
カーテンの隙間から眩しいくらいの日差しが差し込み、二度目の入眠を拒む
頭が段々と冴えてきた頃に、昨夜の嫌な記憶がフラッシュバックした
「……うぅ…ッ」
身体の至る所をいたぶられ、未だに残る形容し難い不快な感覚が蚯蚓のように這う
「もういいや…学校行こ…」
ベッドから足を降ろし、部屋を出て誰もいないリビングに辿り着く
机にはおにぎりとインスタントのスープの袋がお椀に入っていて、その下にメモ紙が置いてあった
“パートに行ってくるのでご飯食べてね。夜は遅くなります”
母はオレが幼い頃に離婚して女手一つで1日にパートを何個も掛け持ちして育ててくれた
こんな親に対してなんて親不孝な息子なんだと我ながら思いつつも、表ではヤンキーのフリをし続ける事が、自分にとって最善の判断だと勘違いしていた
ラップに包まれたおにぎりを学ランのポケットに突っ込んで、オレは家を後にした
.
「おー、弥勒ギリ間に合ってんじゃん」
またも前の席に座る田中がオレを見るなり話しかけてくる
この男は先輩と仲が良く、昨日の配信を仕組んだ奴らも全員コイツの紹介で会った
なので正直、昨日のことがあった今日なので何か先輩に言われているのではないかと身構えていたがそんな素振りはなかった
「……あのさ…」
やめとけばいいのに、オレはつい気になって何か吹聴しているんじゃないかと遠回しに尋ねたが、田中はさぁ?と素知らぬ顔で特に何も聞いていないと答えた
オレは疑問に思いつつも、放課後までは油断できないと気を引き締めて、この日の授業を何事もなくやり過ごした
「……おかしい…」
放課後が来て帰宅時間になっても、昨日の先輩達は誰も絡んでは来なかった
移動教室で見かけても、こちらをチラッと一瞥してはそそくさとどこかへ行ってしまう
こんなにも平和な一日はいつぶりかと思うほど、誰も何も突っかかってはこなかった
そして一番驚くべきなのは、SNSや動画サイトで先輩が勝手に作ったオレのアカウントが跡形もなく消えていたのだ
アカウント自体は出ては来ないが、拡散された分まではそのままで、特に再生回数が伸びた動画なんかは何個も別で投稿されてしまっていた
「…まぁ…いいか…帰ろう」
一度流れてしまったものに関してはしょうがない
そこは諦めたとしても、これからはあんなやりたくもない事を無理強いさせられないんだと思うと、久々に訪れた安寧に疑問は抱きつつもホッと胸を撫で下ろし、オレは帰路に着く
「色々身構えてたらお腹減ってきたなぁ」
どっか寄り道でもしようか、なんて考えていると、学校から数百メートル歩いた所で、後ろから話しかけられる
「……マツリちゃん…だよね?」
オレはビクッと肩を強張らせた
昨日の男の顔が蘇る
額に冷や汗をかきながらゆっくりと後ろを振り返ると、そこには中年の太った男性が立っていた
「……え」
「やっぱり!学ラン姿もカワイイね…昨日の生放送見てたんだけど家が遠くて間に合わなかったよ…」
喋る度に汚い息遣いと唾が飛び、オレは眉を顰めて思い切り不愉快な顔を見せる
やはり動画は消えても記憶は消せない
こんな奴らの頭の中やきっとスマホのフォルダには、オレの醜態が保存されているんだ
「僕…めちゃくちゃ積んだんだよ…投げ銭もいっぱいした…知ってるよね…?今日も沢山お金あげるから…僕にもご奉仕してくれない…?」
フガフガと声を荒げてこちらに近づいてくる中年男性に、腕を掴まれそうになる
オレは咄嗟にそれを避けるが、後退りしたタイミングでちょっとした段差につまずき尻餅をついてしまう
(しまった…!)
「だ、大丈夫…?ちょっとピリッとするけど…抵抗するなら仕方ないね…」
男は懐からスタンガンのような物を取り出す
マズイと思ったオレは、立ち上がるよりも先に這いつくばりながら逃げようと後ろを振り向いた瞬間、中年男性の悲鳴が聞こえた
「フギャッ」
それと同時に、ドスンと地鳴りがする
驚いて男の方を見ると、そこには昨日散々オレをいたぶった相高の千紘と市井が立っていた
「まだこんなキモブスがうろついていたのか、だいぶ片付けたと思ってたんだけどな」
「スマホは…あった!中身は…やっぱり何枚も保存してるね、全部削除…っと」
オレは恐怖と怒りで身体が震えてしまい、力が抜けて立ちあがることがままならなかった
そんなオレを見兼ねたのか、千紘がこちらを見るなりオレに近づいてくる
「…く…来るな!」
「なんだよ。あのオッサンと一緒の反応すんなよ、助けてやったのに」
「マツリちゃん、昨日は一人で帰ったの?戻ったら居なくて心配したんだよ?」
二人は詫びれる様子もなく平気で被害者のテリトリーにズカズカと足を踏み入れてくる
立って逃げようにも、未だに足が震える
「ん?立てないのか?ったく手のかかるヤツだな」
「腰抜かしちゃったんだ、カワイイね。もうこのオッサンは気絶してるから大丈夫だよ」
千紘が手を伸ばしオレの腕を引く
市井がヘラヘラと笑いオレの頭を撫でる
「…るな」
さわるな、触るな……
「触んな!!」
腕を引かれて立ち上がったところで、オレは二人を突き飛ばし竦む身体を奮い立たせ踵を返して逃げた
ひたすら走って、やっと手に入れた平穏な日常に水を差されたくなかった
「ったくアイツ…人がせっかく…」
「まぁまぁ、それよりもこんなヤツらがまだうろついてるかもしんないし、ちょっと周辺見とこうか…それに…」
市井は、走り去る戸祭の背中を見送り目を細めてボソボソと呟く
「もっと危険な目に遭えば、少しは俺達の事好きになるでしょ。吊り橋効果だよね」
「お前、やっぱサイコだよな」
辰巳に言われたくないと反論し、二人は戸祭を追うことなく学校から公園までの道のりで怪しい不審人物がいないかをくまなく探し始めた
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