抱き締めても良いですか?

樹々

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抱き締めても良いですか?~エピソード0~

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 愛歩は本当に優しい子だった。人のことも良く見ている。
 僕に味覚が無いことをすぐに見抜いた愛歩は、スムージーを提案してくれた。味はわかなくても、水のように飲み込めるからかすんなり喉を通っていった。
 おかげで栄養を取れなかった体が、内側から潤っていく。愛歩が学校に行っている間も、起きていられる時間が増えていった。
 愛歩がお勧めしてくれた漫画や、お笑いのテレビ。今、世間では何が流行っているのか興味もわいてきた。
 僕がベッドから起きている時は、お手伝いさんもたくさん声を掛けてくれるようになった。人と、話せる時間がどんどん伸びていった。
 そして。
 突然、戻った味覚。
 愛歩の夢を見た翌朝、少しだけスムージーの味が分かった。甘くて、本当に甘くて、何年ぶりになるのか、食べている物の味が分かった。
 けれどお昼頃までは感じられた味覚も、夕飯を食べる頃には消えていた。泣いてしまった僕に、愛歩はとても心配そうだった。
 ヒートで一週間、離れることが決まっていたから、これ以上、心配をかけたくなくてなんとか笑った。愛歩のおかげで起きて話せるまでになったのだから、これ以上のことを望んではいけない。
 ベッドの中で涙を拭いた。少しだけでも戻ったのなら、この先にも望みがあるはずだから。固形物も頑張って飲み込もう。もっと元気になって、愛歩に釣り合うようになりたい。

 優しい愛歩が、大好きだ。

 彼はアルバイトとして来てくれていると分かっている。できそこないのαである僕では全く釣り合わないほど優しくて格好良くて素敵なΩだ。
 そんな彼に釣り合うαになりたい。

 僕がΩで愛歩がαだったら良かった。

 愛歩に抱き締められると、幸せでたまらない。ずっと抱き締めて欲しいと思うほどに。
 でも、僕がαで、愛歩がΩだから。
 せめて隣を歩ける体が欲しい。愛歩がヒートを終えて帰ってきた時、心配しないように体を丈夫にしておきたい。
 薄暗くした室内で眠った。愛歩から充電した体力のおかげで、寝苦しさは感じなくなっている。すぐに深い眠りに入った。
 明日、起きたら笑おう。
 愛歩が安心して離れられるように。
 眠っていると、唇が熱くなった。昨日の夜も感じた、じわりとした熱。

 なんて浅ましい。

 夢の中で、愛歩とキスをしていた。大好きな愛歩に抱き締めてもらい、甘いキスをしてもらっている夢を見ている。
 憧れていた。
 好きな人と一緒に過ごして、恋人らしくキスをする。僕の男としての欲望が、あさましい夢を見せているのだろう。
 でも。
 夢の中でなら。
 僕は愛歩の恋人になれるだろうか。
 こんな風に、愛歩にキスをしてもらいたい。抱き締めて欲しい。
 もっとキスして欲しいという願いが届いたのか、舌先に熱いものが触れた。じわじわと舌に熱がこもっていく。あまりに熱くて、体が揺れた。
 覚醒した意識。けれど舌に触れる熱いものはまだ感じている。
 瞼を開けると、僕は誰かに覆い被さられていた。いつも僕を抱き締めてくれる、優しい愛歩だった。
 彼の舌が、僕の舌に触れている。目が覚めたと気付いていないのか、何度も絡めてくる。
 体が、下半身が、じんっとして、思わず愛歩の肩を叩いた。飛び起きた彼は、ベッドから転がり落ちていった。
 体中が熱を持ってしまったかのように熱い。震える手で唇に触れると濡れている。僕の唾液なのか、愛歩の唾液なのか、濡れた唇。
 本当に、本当に愛歩とキスをしていた。
 夢ではなかった。
 キスをしてくれるのなら、起きている時にしてほしい。
「……酷いよ」
 黙ってするなんて。恥ずかしくて手で顔を覆った。変な顔をしていなかっただろうか。ちゃんとできていただろうか。
「……気持ち悪いですよね、うがいしましょう」
 愛歩の声が沈んでいる。

 どうして、彼は僕にキスしてくれたのだろう。

 少し落ち着くと、愛歩がキスをしてくれた理由が気になった。こんな風に、夜中に忍び込んできてまで、僕にキスしてくれた理由。愛歩の性格なら、よほどの理由が無ければ黙ってしたりはしないと思う。

 舌に触れていた、愛歩の熱い舌。

 ようやく、兄さんが前に言っていた言葉の意味を理解した。指の隙間から愛歩を見ると、薄暗い中で肩を落としている。
 言ってくれたら良かったのに。愛歩が嫌じゃなければ、僕はいつだって触れて欲しいのに。
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