王道ですが、何か?

樹々

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第一王道『異世界にトリップ、てきな?』

3.いや、無理ですから

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 ぼんやりと空を見上げている。

 見上げることしか、できないでいる。

 マーブル色をした空は、黒い色を混ぜ始めている。雨が降るのだろうか。

「アキラ」

「ああ、起きたんですか」

 ぼうっと空を見上げていた僕を、ハリスが迎えに来てくれた。酒は完全に抜けたのだろう、頭を掻きながら笑っている。

「悪い。酒のこと、聞いた。まさかサキュバスの力を持ってるなんて知らなくてさ。早く言ってくれたら飲まないのによ」

「あなた、エッチになるらしいですよ」

「言うなよ。恥ずかしい」

 健康的な肌を赤く染め、ふいっと顔を背けている。その仕草が少し可愛かった。

「まあ、あんたが強い人で良かった。つか、サキュバス退けるなんて、あんたすげーな」

「さきゅばすがどれほどの物か知りませんが、色気はあったんでしょうね。綺麗でしたよ」

 綺麗な金髪に、フサッとした耳。尻尾も触り心地が良さそうだった。ただの綺麗なオオカミだったなら、触ってみたかったけれど。

 相手は僕をBLの道へ引きずり込もうとしていた。黙ってやられる訳にはいかない。

「酒飲んだ時の記憶は無いからな。あ、言っとくけど、ちゃんとオオカミにもなれるんだからな」

「そうですか」

「……反応薄いな」

「よく言われます」

 ハリスから視線を外すと、またマーブル色の空を見上げた。僕の世界の空には、こんな不思議な色は出ない。雲のようで雲ではない。太陽のようで、太陽ではない淡い光。月のようで月ではない朧気な瞬き。

 どれも幻想的だ。

「……元の世界に戻りたいのか?」

「どうでしょう」

「どうでしょうって。自分のことだろう?」

「そうですね、最初は当然のように戻らないと、と思ったものです」

 異世界トリップのお決まり、勇者になれ、なんて言われたら困ると思って。

 だが、この世界に来たからといって、特に何かを強要されることもなく、事件に巻き込まれたりもしていない。

 マーブル色した不思議な空を見ていると落ち着く。

 道はアスファルトで舗装されていないし、車もない。移動はもっぱら馬で、田舎よりも田舎な感じなのに、それがとても居心地がよくなっている。

 このまま、ここに居るのも有りかもしれない。魔法は使えないけれど、お節介なハリスなら働き口を見つけてくれるだろう。

「……なら、ずっとこっちに居るか?」

「……それもどうでしょう」

「なんだよ、訳わかんねぇな」

 確かに、自分の心が分からない。

 ここは過ごしやすい。忙しなく働かなくて良い。村の人たちも穏やかで良い人たちばかりだ。

 でも、どうしてだろう。

 元の世界に、戻りたいという思いもある。

 強く戻る理由は思い出せないけれど、背中を誰かに引っ張られている感じがしている。

「ここに来た理由が無いのなら、ここに居る理由も無いと思います」

 さわさわと黒髪を撫でる風は気持ち良い。自然が近いこの場所は空気が美味しかった。

 風に吹かれる僕を見つめていたハリスは、景気を付けるようにパンッと手を打っている。

「馬、乗るか!」

「どうしてです?」

「湖に行ってみれば、何か分かるかもしれないだろう?」

「確かに、一理ありますね」

 行き詰まったら、まずは最初に戻ってみる。湖に強い魔力があるのなら、僕をこの世界へ連れてきた何かが分かるかもしれない。

 ハリスと一緒に馬小屋まで行くと、白い馬の背に飛び乗った。すぐに背後にハリスの体温を感じる。支えるように回った逞しい腕に掴まった。

「……アキラってさ」

「はい?」

「……何でもねぇ。行くぞ」

 かけ声を掛けると、馬が走り出す。二度目のため、僕も上手く馬のリズムに合わせて揺られた。

 元の世界に戻ったら、乗馬を習ってみようか。僕も白馬を颯爽と操ってみたい。

 全身に受ける風を堪能していた僕は、自然と笑っていた。

 腰に回っていたハリスの手に、力がこもったことには気付かずに。

 流れる景色に目を奪われていた。
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