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本編
4.目覚めた所にいた人達
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「違うんだ。俺の話を聞いてほしい、───」
自分を見つめるその男の子の顔は、ぼやけていてよくわからない。でも何故か、悲しそうな表情をしているのはわかって。
自分の名前を呼ばれた気がしたけれど、はっきりとは聞き取れなかった。
「この婚約は……確かに公爵と父上の話し合いで決められたものだ。でも拒否権がないわけじゃなかった。父上からお前との婚約者を打診された時、迷わず頷いたよ……俺がお前を、一番近くで守りたかったから」
膝に置いていた手に、彼の手が触れる。
婚約ということは、あの婚約者を名乗っていた彼だろうか。そうは思ったけれど、違う気がする。彼の手は、こんなに温かくなかったから。
それに周りの風景も、あの暗い地下室ではない。どこか知らない綺麗な部屋の、そのベッドの上に自分はいるらしい。男の子はその傍で、悲しそうに彼女を見ていた。
「今回のことでよくわかった。俺はお前がいないとダメなんだ。失うなんて……考えただけで耐えられない」
あの彼とは違って、目の前の彼の手は優しい癖に弱々しい。彼女は思わず、その手を握り返した。
「情けないと、思うか?」
「そんなことないよ」
口が、自分の意思とは関係なく動く。でもそう思ったのは本当だった。
「私で本当にいいの? 後悔しない……?」
不安だったのは、彼のその感情が一時の気の迷いか何かではないかということで。だから彼女は、そう聞いたのだ。
彼は、ただ優しく笑った。
「するものか」
頬に手が触れる。握り合う手と同じく、やはり温かい。
顔が近付き、鼻先が触れ合った。
「今ここで、それを証明したっていい」
そこまでしなくても、彼の今の行動で全部わかったから。それでも首を横に振らなかったのは、彼女は彼女なりの欲があったからで。
返事をするように目を瞑れば、彼の吐息が顔に触れて。
そして、唇同士が触れ合う感触がした。
これは夢、なのだろうか。
それにしては握られる手の温かさも、唇の柔らかさもひどくリアルな気がする。
ふと口の中に何かが流し込まれた。それは、甘いような酸っぱいような、苦いような、不思議な味をしていて。拒絶する間もないまま、彼女は反射的にそれを嚥下した。
唇に触れていた温かさが、離れていってしまう。
「リリィ……」
知らない声が、知らない誰かの名前を呼んだ。
「すまなかった……あの時、お前から目を離さなければ……こんなことには……」
悲しげな声は、ついさっきまで見ていた夢の男の子のものとは違うようで、どこか似ていた。握られる手の感触も、その温かさも、何もかも。
「守ると約束したのに……」
彼が自分のために悲しむ必要はないのだ。
それを伝えようとしても、声を出すどころか目を開けることすらも出来なくて。
だからそっと、握られている手を握り返す。とは言っても、あまり力は入らなかったけれど。
「……リリィ?」
どうやら、彼はそれに気が付いたようだ。しかし今の彼女に、答える力は残されていない。
「ッ……」
手が、強く強く握られた。
「死なせはしないさ……だから早く、目を開けてくれ……」
やっぱり、その手の力は強いのにその声は弱々しい。
誰かも知らないその温もりに包まれながら、彼女の意識はまた暗い微睡みの中へと落ちていった。
~*~*~*~
「リリィの容態はどうだい?」
「体力回復を促す薬や栄養剤を一日数回に分けて飲ませているので、発見時よりも良くはなっています。しかしまだ……完全に回復するには時間がかかるかと」
「そう、か……」
誰かの話す声が、朧気だった彼女の意識を覚醒させる。やはり聞き覚えのない二人の男の声だ。一人は、あの男と同じような中高年の男らしい。もう一人は、彼女よりも少し年上くらいだろうか。
誰だろう。気になって少しだけ瞼を動かしてみる。そうすると、ほんの少しだけ開いた。
「リリィのことは、君にお願いしてもいいかな?」
「勿論です。そのために、俺はここにいます」
「頼もしいな。頼りにしているよ」
はやり目が霞んでよく見えないけれど、すぐ近くに二人の人影が動いているのは見える。よく見ようとするけれど、部屋の明るさに思わず顔をしかめた。一人の男が、そんな彼女の様子に気が付いたらしい。
「リリィ……? 目を覚ましたのかい?」
こちらを向いた一人の男が、そう知らない誰かの名前を呼んだ。やっぱり〝リリィ〟とは、自分のことを指しているらしい。
もう一人の方も、彼女の方へと振り向いた。
「起きたか? 俺の声、聞こえるか?」
声は、聞こえている。しかし今の彼女には、それに応える術がない。
「だ、ッ……は、けほっ……」
喉が渇き、掠れ、上手く声を出すことが出来なかった。
「無理をするな。少し待っていろ」
若い男によって、ゆっくりと抱き起こされる。
「ぁ……」
「大丈夫だ」
何をされるのだろう。不安や恐怖や警戒で体を強ばらせた彼女に、彼は優しく声をかけた。その手に、水の入った吸い飲みがあるのが見えて。
───いいから食べなさい!
───あんたが死ぬと、私達が旦那様や奥様に叱られるのよ!
あのメイドの声が、脳内へと響く。
「ひ、ッ……」
「……怖いのか?」
彼女の呼吸の揺らぎやその小さな悲鳴を、彼は聞き逃さなかった。
何かを考え込んでいる様子で唇を噛み、やがて自分よりひと周りもふた周りも小さい彼女の体を抱き寄せる。耳元から、とくりと男の心音が聞こえて。見上げれば、少しだけその顔が見えた。美形、というのだろうか。あの屋敷で見ることがなかったタイプの顔に、少しだけ見入ってしまって。
「溺れさせようとしているわけじゃない。このまま水を飲むことが出来なければ、余計に衰弱してしまう。わかるな?」
このままではお前は死ぬ、とでも言いたげだった。
死んでしまったっていいのになんて思ったけれど、彼はそれを望んでいないらしい。心配そうに一歩後ろからこちらを見ている男も。
自分を生かすことになんのメリットがあるのだろうか。もしかしたら、もう自分の特異体質を知られているのかもしれない。そんな警戒はあるけれど、結局彼女には逃げ道はない。
逃げ道がないから、渋々口を開けたのだ。
不覚にも、その彼の気遣いで安心感を覚えてしまったから……では、決してない。断じて。
開けた唇の端に、吸い飲みの先端が当てられる。流し込まれる水は、予想以上にゆっくりで少しずつだった。彼の目は、じっと彼女を見ている。むせることも出来ないくらいゆっくり流し込まれる水を、彼女が正常に嚥下出来ているかどうかを確認ているらしい。
(そこまで気を使わなくていいのに……)
水を飲まされることに抵抗を覚えてしまったのも自分で、彼らを警戒しているのも自分だった。しかしそんなことが申し訳なくなってしまう程、彼らは彼女にひどく気を使っていた。
吸い飲みの水を三分の一飲んだくらいだろうか。その先端が、口から外される。結局むせるようなことも、苦しさを感じることもなかった。
「大丈夫だっただろ?」
「は……ぃ……」
まだ声は出づらいけれど、それでも喉の渇きが潤ったからか少しばかりは出るようになっていて。
「これで一安心かな」
少し遠くで見守っていた男が、こちらを覗き込んでくる。こちらもやはり美形というか。先程〝あの男のような〟と考えてしまったことを、どこか申し訳なく思ってしまった。
「あ、りがと、ございました……」
警戒心は抜けないものの、頭を下げて二人の顔を見回す。
「あの……どちらさま、でしょ、うか……?」
少しだけマシになった喉から、そんな言葉を絞り出した。
聞かなければいけないことだと思ったのだ。彼らが自分を害する者達にしろ、助けてくれる者達にしろ。
しかし彼らは、そんな彼女の質問に答えようとはしなかった。答えられそうになかった、というのが正解かもしれない。
ただ彼らは彼女に悲しげな瞳を向けて、力なく笑う。
「ああ、そうか……そうかもしれないと聞いていたけれど、いざそう言われてしまうと……中々に辛いものがあるね」
一人の……中高年の男の方がただそれだけ言って、彼女の手をそっと握った。
自分を見つめるその男の子の顔は、ぼやけていてよくわからない。でも何故か、悲しそうな表情をしているのはわかって。
自分の名前を呼ばれた気がしたけれど、はっきりとは聞き取れなかった。
「この婚約は……確かに公爵と父上の話し合いで決められたものだ。でも拒否権がないわけじゃなかった。父上からお前との婚約者を打診された時、迷わず頷いたよ……俺がお前を、一番近くで守りたかったから」
膝に置いていた手に、彼の手が触れる。
婚約ということは、あの婚約者を名乗っていた彼だろうか。そうは思ったけれど、違う気がする。彼の手は、こんなに温かくなかったから。
それに周りの風景も、あの暗い地下室ではない。どこか知らない綺麗な部屋の、そのベッドの上に自分はいるらしい。男の子はその傍で、悲しそうに彼女を見ていた。
「今回のことでよくわかった。俺はお前がいないとダメなんだ。失うなんて……考えただけで耐えられない」
あの彼とは違って、目の前の彼の手は優しい癖に弱々しい。彼女は思わず、その手を握り返した。
「情けないと、思うか?」
「そんなことないよ」
口が、自分の意思とは関係なく動く。でもそう思ったのは本当だった。
「私で本当にいいの? 後悔しない……?」
不安だったのは、彼のその感情が一時の気の迷いか何かではないかということで。だから彼女は、そう聞いたのだ。
彼は、ただ優しく笑った。
「するものか」
頬に手が触れる。握り合う手と同じく、やはり温かい。
顔が近付き、鼻先が触れ合った。
「今ここで、それを証明したっていい」
そこまでしなくても、彼の今の行動で全部わかったから。それでも首を横に振らなかったのは、彼女は彼女なりの欲があったからで。
返事をするように目を瞑れば、彼の吐息が顔に触れて。
そして、唇同士が触れ合う感触がした。
これは夢、なのだろうか。
それにしては握られる手の温かさも、唇の柔らかさもひどくリアルな気がする。
ふと口の中に何かが流し込まれた。それは、甘いような酸っぱいような、苦いような、不思議な味をしていて。拒絶する間もないまま、彼女は反射的にそれを嚥下した。
唇に触れていた温かさが、離れていってしまう。
「リリィ……」
知らない声が、知らない誰かの名前を呼んだ。
「すまなかった……あの時、お前から目を離さなければ……こんなことには……」
悲しげな声は、ついさっきまで見ていた夢の男の子のものとは違うようで、どこか似ていた。握られる手の感触も、その温かさも、何もかも。
「守ると約束したのに……」
彼が自分のために悲しむ必要はないのだ。
それを伝えようとしても、声を出すどころか目を開けることすらも出来なくて。
だからそっと、握られている手を握り返す。とは言っても、あまり力は入らなかったけれど。
「……リリィ?」
どうやら、彼はそれに気が付いたようだ。しかし今の彼女に、答える力は残されていない。
「ッ……」
手が、強く強く握られた。
「死なせはしないさ……だから早く、目を開けてくれ……」
やっぱり、その手の力は強いのにその声は弱々しい。
誰かも知らないその温もりに包まれながら、彼女の意識はまた暗い微睡みの中へと落ちていった。
~*~*~*~
「リリィの容態はどうだい?」
「体力回復を促す薬や栄養剤を一日数回に分けて飲ませているので、発見時よりも良くはなっています。しかしまだ……完全に回復するには時間がかかるかと」
「そう、か……」
誰かの話す声が、朧気だった彼女の意識を覚醒させる。やはり聞き覚えのない二人の男の声だ。一人は、あの男と同じような中高年の男らしい。もう一人は、彼女よりも少し年上くらいだろうか。
誰だろう。気になって少しだけ瞼を動かしてみる。そうすると、ほんの少しだけ開いた。
「リリィのことは、君にお願いしてもいいかな?」
「勿論です。そのために、俺はここにいます」
「頼もしいな。頼りにしているよ」
はやり目が霞んでよく見えないけれど、すぐ近くに二人の人影が動いているのは見える。よく見ようとするけれど、部屋の明るさに思わず顔をしかめた。一人の男が、そんな彼女の様子に気が付いたらしい。
「リリィ……? 目を覚ましたのかい?」
こちらを向いた一人の男が、そう知らない誰かの名前を呼んだ。やっぱり〝リリィ〟とは、自分のことを指しているらしい。
もう一人の方も、彼女の方へと振り向いた。
「起きたか? 俺の声、聞こえるか?」
声は、聞こえている。しかし今の彼女には、それに応える術がない。
「だ、ッ……は、けほっ……」
喉が渇き、掠れ、上手く声を出すことが出来なかった。
「無理をするな。少し待っていろ」
若い男によって、ゆっくりと抱き起こされる。
「ぁ……」
「大丈夫だ」
何をされるのだろう。不安や恐怖や警戒で体を強ばらせた彼女に、彼は優しく声をかけた。その手に、水の入った吸い飲みがあるのが見えて。
───いいから食べなさい!
───あんたが死ぬと、私達が旦那様や奥様に叱られるのよ!
あのメイドの声が、脳内へと響く。
「ひ、ッ……」
「……怖いのか?」
彼女の呼吸の揺らぎやその小さな悲鳴を、彼は聞き逃さなかった。
何かを考え込んでいる様子で唇を噛み、やがて自分よりひと周りもふた周りも小さい彼女の体を抱き寄せる。耳元から、とくりと男の心音が聞こえて。見上げれば、少しだけその顔が見えた。美形、というのだろうか。あの屋敷で見ることがなかったタイプの顔に、少しだけ見入ってしまって。
「溺れさせようとしているわけじゃない。このまま水を飲むことが出来なければ、余計に衰弱してしまう。わかるな?」
このままではお前は死ぬ、とでも言いたげだった。
死んでしまったっていいのになんて思ったけれど、彼はそれを望んでいないらしい。心配そうに一歩後ろからこちらを見ている男も。
自分を生かすことになんのメリットがあるのだろうか。もしかしたら、もう自分の特異体質を知られているのかもしれない。そんな警戒はあるけれど、結局彼女には逃げ道はない。
逃げ道がないから、渋々口を開けたのだ。
不覚にも、その彼の気遣いで安心感を覚えてしまったから……では、決してない。断じて。
開けた唇の端に、吸い飲みの先端が当てられる。流し込まれる水は、予想以上にゆっくりで少しずつだった。彼の目は、じっと彼女を見ている。むせることも出来ないくらいゆっくり流し込まれる水を、彼女が正常に嚥下出来ているかどうかを確認ているらしい。
(そこまで気を使わなくていいのに……)
水を飲まされることに抵抗を覚えてしまったのも自分で、彼らを警戒しているのも自分だった。しかしそんなことが申し訳なくなってしまう程、彼らは彼女にひどく気を使っていた。
吸い飲みの水を三分の一飲んだくらいだろうか。その先端が、口から外される。結局むせるようなことも、苦しさを感じることもなかった。
「大丈夫だっただろ?」
「は……ぃ……」
まだ声は出づらいけれど、それでも喉の渇きが潤ったからか少しばかりは出るようになっていて。
「これで一安心かな」
少し遠くで見守っていた男が、こちらを覗き込んでくる。こちらもやはり美形というか。先程〝あの男のような〟と考えてしまったことを、どこか申し訳なく思ってしまった。
「あ、りがと、ございました……」
警戒心は抜けないものの、頭を下げて二人の顔を見回す。
「あの……どちらさま、でしょ、うか……?」
少しだけマシになった喉から、そんな言葉を絞り出した。
聞かなければいけないことだと思ったのだ。彼らが自分を害する者達にしろ、助けてくれる者達にしろ。
しかし彼らは、そんな彼女の質問に答えようとはしなかった。答えられそうになかった、というのが正解かもしれない。
ただ彼らは彼女に悲しげな瞳を向けて、力なく笑う。
「ああ、そうか……そうかもしれないと聞いていたけれど、いざそう言われてしまうと……中々に辛いものがあるね」
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