【完結】虐げられてきた白百合が、その一途な溺愛に気付くまで

五蕾 明日花

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本編

27.手を伸ばす白百合

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 (私が標的……なんだろうなぁ)

 そんなことを、窓の外を眺めながら思う。
 両親とか兄とか、シンシアとか。詳しいことは何も教えてくれないけれど、それが自分への気遣いだということはその表情や言葉の端々から伝わってくる。

 自分の知らないところで、自分に関する何かが起こっているのだろう。
 そんな中で自分が出来ることと言えば、彼らの言いつけを守り部屋で大人しく待っていること以外にない。

 (ジュスティーヌの処刑、か……)

 今日、街で何が行われているか。両親や兄がどこへ向かっていったか。それを知ったのは、聞こえてきてしまった使用人達の密談からだった。どうやら新しい使用人達は、所構わず噂話をするのが好きらしい。
 元いた使用人達の口の硬さを知ったのは、あの男爵夫妻の処刑が随分前に終わっていたのをその密談で知った時だ。

 (知らなかったなぁ……)

 どうやら知らないうちに守られていたらしい。
 自分の無力さが嫌になってしまうけれど、とは言え自分の今の体調や精神状態を鑑みれば、今は療養に励む以外に出来ることはないだろう。下手に動けば、それこそ場をしっちゃかめっちゃかにしてしまうだけだ。
 歯痒い気持ちを抑えながら、リリィはベッドの上であまり頭に内容が入ってこない本を捲る。

 「お嬢様……!」

 ふと、扉が開き一人のメイドが顔を覗かせた。シンシアではない、知らない赤髪のメイドだ。最近新しく入った使用人のうちの一人だろうか。

 「御無礼をお許しください……! 屋敷の中に賊が侵入してきました……!! 逃げましょう! 私が案内します!!」

 焦る様子のメイドに対し、リリィは冷静だった。

 「…………シンシアは?」

 ベッドから動かず、本から目を離さず、ただそれだけを聞く。

 「シンシアさんは、先に避難されています……! お嬢様は私がお連れします!! 早く……早くしないと賊が……!!」

 赤髪のメイドはリリィの方に手を伸ばすけれど、彼女はそれを横目で一瞥するだけだ。本から目を離さず、ただ笑って首を横に振る。

 「申し訳ないけど、その手を取ることは出来ない」
 「えっ……」

 リリィのその返答に、赤髪のメイドはどこか絶望したような表情をした。
 賊が侵入している中での避難を拒否したからだろうか。しかしそれにしては、少々絶望し過ぎている気もする。

 「どうして……? お、お嬢様、だって、早くしないと……!!」
 「シンシアはね、信じて部屋で待っててほしいって言ってたんだ。何があっても、部屋から連れ出さないってことも。彼女がその言葉を裏切ることがない人だっていうのは、私がよく知ってるから。まだ……全部を、思い出したわけじゃないけど」

 だから、と。リリィは本から顔を上げ、赤髪のメイドに向けて笑いかけた。

 「申し訳ないけど、貴女の言葉は信用するに値しないんだよ。それにね、今日は長年ここに仕えている使用人達以外はお父様から休暇を言い渡されてるのは、風の噂で知ってるの。最近、噂話がよく聞こえてくるから。貴女は、入ってきたばかりの新人だった……よね? どうしてここにいるの? どうして、どこに、私を連れ出そうとしているの?」
 「あ……あ、の……それは……」

 静かで穏やかな、しかしどこか圧のあるリリィの追求に、赤髪のメイドは顔を真っ青にして目を泳がせている。
 彼女は、その場を動こうとしない。その目が泳ぎながらも、横をちらりと見た気がして。

 「ねえ───」

 他に誰かいるの?
 そう、聞こうと口を開いたちょうどその時だった。

 「はははっ。しばらく逢えないうちに、随分と強い女性になったみたいだね。ねえ、マイン」
 「…………え」

 聞き慣れた、しかししばらく聞いていなかった声。この屋敷の人間からは一度たりとも呼ばれず、そしてもう二度と呼ばれたくなかった呼び名。
 それらが聞こえ、リリィは体や顔を強ばらせた。

 動けないでいるうちに、メイドの横をすり抜けて一人の護衛の男が部屋に入ってくる。護衛の男だ、その姿だけは。
 しかし取り捨てられた制帽の下から出てきたその顔は、ここに居るはずのない、居てほしくない男のものだった。

 「アルバート……」

 なんで。どうしてここに。
 ああ、そうか、彼か。両親達や屋敷の人間達が警戒していたのは。

 「久しぶり。迎えに来たよ、マイン」

 その笑顔に、声に、呼ばれる名前に、リリィの体は自然と震え出す。
 逃げなければとは思うものの、染み付いた恐怖はすぐに大きくなり体を動かしにくくしていて。

 「や、だ……やめて、来ないで……」

 それでも何とか体を動かし、ベッドから飛び出る。膝に乗せていた本が、その弾みで床へと落ちた。
 そんな怯えるリリィの様子を、アルバートは愛おしそうに見つめている。

 「ここは君がいるべきところじゃない。ほら、帰ろう、マイン」

 そういって伸ばされてきた手を、すんでのところで避けた。

 「違う、嫌だ……やめて……私はマインじゃない……」

 ああ、逃げないと、逃げないと。

 「おかしなことを言うんだね、マイン。君はね、マイン。僕のものmine、なんだよ」
 「ッ、違う、違う違う……!!」

 後ずさった拍子に、ベッドサイドランプが手に触れた。それを手に持ってアルバートへと投げ付けたのは、防衛本能が働いたことによる無意識なもので。

 「うわっ……!」

 彼に命中し怯んだのを見た途端、リリィは一気に走り出す。

 「ま、待って……!」

 赤髪のメイドがそんなリリィの逃亡を阻止しようと手を伸ばしてきたけれど、その手が届く寸前で部屋の外へと飛び出した。

 「ねえ、誰か!! いないの!?」

 誰かいるはずだ。誰でもいい。待機している護衛の誰か一人にでも届けばいいと大声を上げるけれど、しかし人っ子一人くる気配がなかった。

 (どうして……!?)

 混乱している中でそれでも大声を上げ続けるけれど、やっぱり誰も来る様子はない。
 しばらく寝たきりだった体で。そうでなくても、まだ男爵達から受けた傷ですら癒えていない、万全とは言えない体調で走り続ければ、思っているよりも早く限界は来るもので。

 「あっ……」

 足がもつれ、体が傾く。
 ただ単に転ぶだけならどれ程よかっただろう。

 「おっと。危ないよ、マイン」

 後ろから、冷たい手に腕を掴まれた。
 自分は息絶え絶えだというのに、振り向いた先にあったその笑顔は相も変わらず穏やかなままで。

 「ぁ……」


───おっと。暴れんなよ、じょーちゃん。


 あの時、自分をあの男爵家の元へと攫ったあの男の手の感触を思い出す。
 ここでアルバートに捕まってしまえば、もう二度とこの家には帰ってこれないだろう。どうしてだか、そんな予感がして。

 「いや……はなして……」

 彼の手を振り解こうとするけれど、しかし上手く力が入らない。
 恐怖の涙が、宝石となってぽろぽろと床へ落ちる。その様子に、アルバートはうっとりとリリィを見つめた。

 「ああそうだよ、マイン。ほら、一緒に帰ろう」

 腕を引かれる。
 嫌悪感と、恐怖と。そんな感情が体を石のように固めて。

 「ぁ、や……ジュード、さま……」

 ああ、どうしてこんな時に彼の顔が思い浮かぶのだろう。
 いや、むしろこんな時だからかもしれない。

 「たすけて……」

 自分から距離を置いておいて、こんな時にだけ助けを求めて。なんと自分勝手なのだろう。
 そうは思いながらも、自分の腕を掴むのが彼ならばよかったなんて、そんなことを思ってしまって。

 「ジュードさま……」
 「ッ、うるさいなぁ……!」

 もう一度ジュードの名前を呼んだ瞬間、アルバートの穏やかな表情が崩れた。
 リリィの体を床へと薙ぎ倒し、馬乗りになって、その細い首へと手を伸ばす。

 「さっきからジュード、ジュード、ジュード、ジュード……!! ねえ、マイン! 君は、僕のものなんだよ!!」

 強い力で首を絞め上げられ、息が詰まって。

 「僕だけが君を愛して上げられる! 僕だけが、君の隣にいてあげられる! なのにどうして、わかってくれないんだよ!!」
 「ぁ、う……ぁ……」

 息が出来ない。アルバートの怒鳴り声が、だんだんぼんやりと遠ざかっていって。その怒ったような表情が、だんだん霞んでいく。

 「君はあの時からそうだった……! 君を一番愛していたのは僕だったのに……!! だから男爵を利用して、君を閉じ込めていたというのに……!!」

 訳の分からない怒号が、ひどく遠くで聞こえた。
 息が出来なくて、それどころではない。逃れようと藻掻こうにも、強い力の前には抵抗にすらならなかった。

 (前も、こんなことがあった気がする……)

 なんて。既視感のある感覚に、ぼんやりとそう思う。あの男爵の屋敷に閉じ込められていた時ではなくて、そのもっと前。


 あの時は、なんだっけ。
 ……ああ、そうだ。誰かに池に突き落とされて、それで溺れてしまったんだったか。
 ドレスが水を吸って重たくなっていって、体は水中に沈んでいった。
 今みたいに息が出来ない苦しさや恐怖の中で、何度も何度も彼の名前を呼んでいたんだっけ。


 「じゅ、ぅ……ど……」

 ああ、そうだ。こういう風に、何度も、何度も。

 「ッ……いい加減にしてくれ……!!」

 首を絞める手の力が、更に強くなる。それで完全に、息が出来なくなった。
 ぽろぽろと、涙が宝石となって零れる。


 思えばあの時も、誘拐された時も、そして今までも。
 何かあった時真っ先に駆け付けてくれたのは、彼だった気がする。


 「リリィッ!!」

 ああ、そうだ。こんなふうに。
 ぼんやりとしていく意識の中で、彼の声だけがはっきりと聞こえた。
 声のする方に顔を向ければ、あの頃と変わらない、しかし随分と成長した彼の姿が見えて。


 『たすけて、ジュード』


 最後の力を振り絞ってそれだけを紡ぎ、助けを求め手を伸ばし、リリィはゆっくりと目を閉じた。
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