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本編
29.婚約者から見る、眠る白百合
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子供の頃から、彼女に恋焦がれていた。
その特異体質から、周りの子供達に除け者にされ虐げられている彼女が助けを求める先が、自分であればいいと思っていたのに。彼女の隣には、いつもあの男がいた。
自分よりも爵位が低い家に生まれた、自分よりもずっとずっと弱い男だったのに。彼女の笑顔はいつも、あの男だけに向けられていて。
───ごめんなさい。この花はジュードにあげるから……
あの狩猟大会の日。一人でいる彼女に話しかけた時。あの時だってあの男を理由に自分を拒絶したから、衝動的に彼女を池に突き落とした。
この場には自分と彼女しかいない。だから池から上がるには、自分が助けを借りるしかないのに。
───やだ、助けて、ジュード……! ジュード……!
溺れる彼女が口にしていた名前は、結局あの男のもので。自分には手を伸ばそうとすることもしなかった。
その時その場から逃げてしまったのは、とんでもないことをしてしまったという恐怖心からかもしれないし、自分に助けを求めてくれなかったという怒りからだったのかもしれない。
結局彼女を助けたのは、当時はまだ見習いの一人に過ぎなかった今の彼女専属のメイドが、彼女が溺れていることに気付いて助けを求めに走ったあの男で。
息を吹き返した彼女が泣きついたのも、結局はあの男だった。
彼女があの男にしがみつきながらテントへと運ばれていく様子を野次馬に混じり見ていた時に気付く。彼女が笑顔や、涙や……色々な表情を見せていたのはあの男にだけだったけれど。唯一恐怖の感情だけは、自分に向けていることに。彼女が向けてくる恐怖心も、彼女にとってはまた特別な感情だったということに。
そう思えば、彼女が自分に向ける怯えた表情や、自分の手によって苦痛に歪むその表情でさえもいとおしく思えて。
また、そうやって流す傷だらけの宝石も綺麗に思えた。
自分だけに見せる表情、自分のために流してくれる宝石。それをどうしても手に入れたかったのだ。
デイビッド・ルヴェールが公爵の地位まで成り上がった時、一方的に嫉妬心を向けていたあの男爵。
国一番の劇場の看板女優とはいえど、平民には変わりなかったクリスティーにデイビッドの婚約者という立場を奪われ、彼女に恨みを向けていた男爵夫人。
ルヴェール家に大なり小なりの恨みを持っていたあの男爵家の者達を唆し、彼女をあの男から奪い去り、婚約者という立場を奪い取ってやったというのに。誰のものでもない、自分のものだと、僕のものだと呼び続けて。
なのにどうしてまだ、この男が自分の前に立ちはだかっているのだろう。
~*~*~*~
ジュードは床に転がるアルバートを冷たく見下ろしながら、その背を掴み床へと押し付ける。
「ジュード・クラーク……!!」
憎悪のこもった目で睨み付けられるけれど、そんな感情を向けたいのはこちらも一緒だ。
その体を強く床に押し付けてやれば、ぐあ、と呻く声が聞こえる。
「どうしてお前は、いつもいつも……!! 僕の方が彼女を愛しているのに……! なんでなんでなんでなんで……!!」
「ほざくな、クズめが」
喚くアルバートを押さえ付け、懐から小さなナイフを懐から取り出した。それを見て、アルバートは嘲笑う。
「僕を殺す気かい? そんなナイフごときで?」
そんな嘲笑を受けてもなお、ジュードは冷めた表情で彼を見下し続けた。
確かに手に持っている小さなナイフでは、今すぐに彼の命を奪うことは不可能だろう。しかし今やりたいことは、そんなことではない。
「悪いが、俺は医者だ。どこを切れば人は動けなくなるか、知っているんでね」
ナイフを、容赦なくアルバートの足首へと突き立てる。刃先から、腱が切れる感覚が伝わってきて。
「ぐ、ぁ─────」
その激痛に、アルバートは声にならない悲鳴を上げる。
「殺すわけがないだろう、お前を。楽に死ねると思うな」
ジュードは知っている。人間、どこをどうすれば生かしたままで苦痛を与え続けられるかを。
何回殺しても殺し足りないくらいだというのに。
「イヤァァァッ!!」
突如響き渡った悲鳴に、ジュードは我に返る。
ライマーとシンシアの二人が、後から追い付いてきたらしい。
「嫌、お嬢様ッ……!! 目を開けてください!! お嬢様……お嬢様っ!!」
床に横たわるリリィとそれにすがりつくシンシアの姿に、その異常を瞬時に察した。
シンシアにより大きく体を揺すられ、大きな声で名前を呼ばれているというのに、リリィは反応すらせずに目を閉じている。
その様子は、〝眠っている〟と表現するにしては異様なもので。
「マズい坊ちゃん! リリィ嬢、息してねェ!!」
ああ、まずい。そう思ったと同時にひどく焦ったライマーの声して、ジュードは弾かれるように動いた。
「ライマー、そいつを押さえておけ! 逃がすな!」
「あいよ!」
リリィへと駆け寄るジュードと入れ違うように、ライマーがアルバートを押さえ付けて。
「下賎の者が僕に触るな……!!」
「……うるせェんだよ、大人しくしてな」
腱が切られた激痛の中なおも抵抗しようとしているものだから、ライマーはアルバートのこめかみへと肘打ちを食らわせる。
「がっ……」
ひとつ呻いたアルバートは、やがてそのまま動かなくなる。少しやりすぎてしまっただろうか。しかしまあ、死ぬようなものではないさ。手加減なんてしてやるものか。
「お嬢様、ッ……い、や……嫌です……! 起きて……起きてください……!!」
シンシアは半狂乱で、相も変わらず無反応なリリィに声をかけ続けている。そんな彼女の肩に、ジュードはそっと手を置いた。
「……シンシア」
「あ、じゅ、ジュード様……どうしましょう……お嬢様が……お嬢様が……!」
「わかっている。大丈夫だ、俺に任せろ」
自分の動揺や恐怖心を隠しながら、冷静でいられていないシンシアにそっと声をかける。
ああ、そうだ。今は冷静でいなければ。
「は、い……」
震えながらも頷いてくれたシンシアは、そっとリリィから離れた。その手は離さず、握ったままだったけれど。
そういえばあの時もそうだったか。
───ジュード様……お嬢様、起きてくださらないんです……!
───様子がおかしいんです、どうしましょう、ジュード様……!
溺れていたリリィを二人がかりで池から引き上げた時も、シンシアはこうして彼女の手を離さず泣き続けていた。
「リリィ、聞こえるか?」
声をかけても、やっぱり反応はない。彼女はただ、苦しそうに目を閉じているだけだ。
その顔が、あの時の彼女の顔と重なる。
あの時もそうだった。
───リリィッ……! 頼む、目を開けてくれ……!!
いくら呼びかけても、その瞼は閉じたままで。震える手で彼女に触れれば、その呼吸が止まっていることに気が付いた。
今もそうだ。唇に触れた指には、その息を感じ取ることが出来ない。
ああ、でも。彼女の首筋に触れた指先が、その脈動を感じ取る。それが唯一、発狂してしまいそうになっている自分を奮い立たせて何とか冷静さを保つことが出来る安心材料だった。
大丈夫、まだ助けられる。
リリィの顔の周りに散らばる涙の宝石の数に唇を噛みながら、そっとその顔を上げさせた。
『たすけて、ジュード』
意識を失う前のリリィの唇が、そう動いていたのを思い出す。
「ああ……大丈夫だ。必ず、助ける」
彼女が救いを求めて伸ばしてくれた手を取れず、絶望の中に突き落とすなんて。そんなこと、二度もあってはいけない。
鼻を摘んで、薄く開いたその唇を自分のそれで塞いで。自力で動かすことが出来なくなってしまった彼女の肺に、そっと息を吹き込んでやる。
しっかりと胸が膨らんだのを確認して顔を離せば、リリィはジュードから分け与えられた空気を吐き出して。しかしそれきり、動くことはない。
触れた指先から伝わる彼女の体温が、少しずつ薄れていっているような気がして。
「ッ……死なせはしない」
再び重ねた唇のその体温の低さに、ジュードの心臓は大きく嫌な音を立てた。
その特異体質から、周りの子供達に除け者にされ虐げられている彼女が助けを求める先が、自分であればいいと思っていたのに。彼女の隣には、いつもあの男がいた。
自分よりも爵位が低い家に生まれた、自分よりもずっとずっと弱い男だったのに。彼女の笑顔はいつも、あの男だけに向けられていて。
───ごめんなさい。この花はジュードにあげるから……
あの狩猟大会の日。一人でいる彼女に話しかけた時。あの時だってあの男を理由に自分を拒絶したから、衝動的に彼女を池に突き落とした。
この場には自分と彼女しかいない。だから池から上がるには、自分が助けを借りるしかないのに。
───やだ、助けて、ジュード……! ジュード……!
溺れる彼女が口にしていた名前は、結局あの男のもので。自分には手を伸ばそうとすることもしなかった。
その時その場から逃げてしまったのは、とんでもないことをしてしまったという恐怖心からかもしれないし、自分に助けを求めてくれなかったという怒りからだったのかもしれない。
結局彼女を助けたのは、当時はまだ見習いの一人に過ぎなかった今の彼女専属のメイドが、彼女が溺れていることに気付いて助けを求めに走ったあの男で。
息を吹き返した彼女が泣きついたのも、結局はあの男だった。
彼女があの男にしがみつきながらテントへと運ばれていく様子を野次馬に混じり見ていた時に気付く。彼女が笑顔や、涙や……色々な表情を見せていたのはあの男にだけだったけれど。唯一恐怖の感情だけは、自分に向けていることに。彼女が向けてくる恐怖心も、彼女にとってはまた特別な感情だったということに。
そう思えば、彼女が自分に向ける怯えた表情や、自分の手によって苦痛に歪むその表情でさえもいとおしく思えて。
また、そうやって流す傷だらけの宝石も綺麗に思えた。
自分だけに見せる表情、自分のために流してくれる宝石。それをどうしても手に入れたかったのだ。
デイビッド・ルヴェールが公爵の地位まで成り上がった時、一方的に嫉妬心を向けていたあの男爵。
国一番の劇場の看板女優とはいえど、平民には変わりなかったクリスティーにデイビッドの婚約者という立場を奪われ、彼女に恨みを向けていた男爵夫人。
ルヴェール家に大なり小なりの恨みを持っていたあの男爵家の者達を唆し、彼女をあの男から奪い去り、婚約者という立場を奪い取ってやったというのに。誰のものでもない、自分のものだと、僕のものだと呼び続けて。
なのにどうしてまだ、この男が自分の前に立ちはだかっているのだろう。
~*~*~*~
ジュードは床に転がるアルバートを冷たく見下ろしながら、その背を掴み床へと押し付ける。
「ジュード・クラーク……!!」
憎悪のこもった目で睨み付けられるけれど、そんな感情を向けたいのはこちらも一緒だ。
その体を強く床に押し付けてやれば、ぐあ、と呻く声が聞こえる。
「どうしてお前は、いつもいつも……!! 僕の方が彼女を愛しているのに……! なんでなんでなんでなんで……!!」
「ほざくな、クズめが」
喚くアルバートを押さえ付け、懐から小さなナイフを懐から取り出した。それを見て、アルバートは嘲笑う。
「僕を殺す気かい? そんなナイフごときで?」
そんな嘲笑を受けてもなお、ジュードは冷めた表情で彼を見下し続けた。
確かに手に持っている小さなナイフでは、今すぐに彼の命を奪うことは不可能だろう。しかし今やりたいことは、そんなことではない。
「悪いが、俺は医者だ。どこを切れば人は動けなくなるか、知っているんでね」
ナイフを、容赦なくアルバートの足首へと突き立てる。刃先から、腱が切れる感覚が伝わってきて。
「ぐ、ぁ─────」
その激痛に、アルバートは声にならない悲鳴を上げる。
「殺すわけがないだろう、お前を。楽に死ねると思うな」
ジュードは知っている。人間、どこをどうすれば生かしたままで苦痛を与え続けられるかを。
何回殺しても殺し足りないくらいだというのに。
「イヤァァァッ!!」
突如響き渡った悲鳴に、ジュードは我に返る。
ライマーとシンシアの二人が、後から追い付いてきたらしい。
「嫌、お嬢様ッ……!! 目を開けてください!! お嬢様……お嬢様っ!!」
床に横たわるリリィとそれにすがりつくシンシアの姿に、その異常を瞬時に察した。
シンシアにより大きく体を揺すられ、大きな声で名前を呼ばれているというのに、リリィは反応すらせずに目を閉じている。
その様子は、〝眠っている〟と表現するにしては異様なもので。
「マズい坊ちゃん! リリィ嬢、息してねェ!!」
ああ、まずい。そう思ったと同時にひどく焦ったライマーの声して、ジュードは弾かれるように動いた。
「ライマー、そいつを押さえておけ! 逃がすな!」
「あいよ!」
リリィへと駆け寄るジュードと入れ違うように、ライマーがアルバートを押さえ付けて。
「下賎の者が僕に触るな……!!」
「……うるせェんだよ、大人しくしてな」
腱が切られた激痛の中なおも抵抗しようとしているものだから、ライマーはアルバートのこめかみへと肘打ちを食らわせる。
「がっ……」
ひとつ呻いたアルバートは、やがてそのまま動かなくなる。少しやりすぎてしまっただろうか。しかしまあ、死ぬようなものではないさ。手加減なんてしてやるものか。
「お嬢様、ッ……い、や……嫌です……! 起きて……起きてください……!!」
シンシアは半狂乱で、相も変わらず無反応なリリィに声をかけ続けている。そんな彼女の肩に、ジュードはそっと手を置いた。
「……シンシア」
「あ、じゅ、ジュード様……どうしましょう……お嬢様が……お嬢様が……!」
「わかっている。大丈夫だ、俺に任せろ」
自分の動揺や恐怖心を隠しながら、冷静でいられていないシンシアにそっと声をかける。
ああ、そうだ。今は冷静でいなければ。
「は、い……」
震えながらも頷いてくれたシンシアは、そっとリリィから離れた。その手は離さず、握ったままだったけれど。
そういえばあの時もそうだったか。
───ジュード様……お嬢様、起きてくださらないんです……!
───様子がおかしいんです、どうしましょう、ジュード様……!
溺れていたリリィを二人がかりで池から引き上げた時も、シンシアはこうして彼女の手を離さず泣き続けていた。
「リリィ、聞こえるか?」
声をかけても、やっぱり反応はない。彼女はただ、苦しそうに目を閉じているだけだ。
その顔が、あの時の彼女の顔と重なる。
あの時もそうだった。
───リリィッ……! 頼む、目を開けてくれ……!!
いくら呼びかけても、その瞼は閉じたままで。震える手で彼女に触れれば、その呼吸が止まっていることに気が付いた。
今もそうだ。唇に触れた指には、その息を感じ取ることが出来ない。
ああ、でも。彼女の首筋に触れた指先が、その脈動を感じ取る。それが唯一、発狂してしまいそうになっている自分を奮い立たせて何とか冷静さを保つことが出来る安心材料だった。
大丈夫、まだ助けられる。
リリィの顔の周りに散らばる涙の宝石の数に唇を噛みながら、そっとその顔を上げさせた。
『たすけて、ジュード』
意識を失う前のリリィの唇が、そう動いていたのを思い出す。
「ああ……大丈夫だ。必ず、助ける」
彼女が救いを求めて伸ばしてくれた手を取れず、絶望の中に突き落とすなんて。そんなこと、二度もあってはいけない。
鼻を摘んで、薄く開いたその唇を自分のそれで塞いで。自力で動かすことが出来なくなってしまった彼女の肺に、そっと息を吹き込んでやる。
しっかりと胸が膨らんだのを確認して顔を離せば、リリィはジュードから分け与えられた空気を吐き出して。しかしそれきり、動くことはない。
触れた指先から伝わる彼女の体温が、少しずつ薄れていっているような気がして。
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