【完結】虐げられてきた白百合が、その一途な溺愛に気付くまで

五蕾 明日花

文字の大きさ
30 / 50
本編

30.白百合の婚約者

しおりを挟む
 初めて彼と出会ったのは、六歳の頃だったか。

 両親や兄と参加したお茶会で、父の旧知の仲である男の息子として紹介されたのだ。穏やかな男とは違って、彼は無愛想にリリィを睨み付けていた。
 でもきっと、リリィの方も同じような表情で彼を見ていたと思う。その頃から、特異体質が原因で周りの子供達からいじめられていたから。どうせ彼も同じだろう、なんて思っていたのだ。

 初対面の時、二人の間に会話は一切なかった。正直、その時は聞いていた名前をすっかりと忘れてしまっていて。


 二度目に会ったのは、その数ヶ月後。風邪を拗らせてしまったクリスティーを診るために、彼が父親と共にルヴェール邸を訪れた時だ。
 暇を持て余して書斎で本を読んでいれば、彼が入ってきたのだ。離れた場所で同じように本を読み始めた彼のことを、〝お父様が許可を出したのなら、それでいいか〟くらいにしか思わず、気にもとめなくて。

 言葉を交わすことなく、同じ空間で本を読む。そんな日々が三日四日と続き、クリスティーの体調もだいぶん回復してきた頃。
 リリィから彼の方へと近付いたのだ。理由はなんてことない、長時間静かに本棚を見回していた彼の目的の本が、今自分が持っているものだと気が付いたからで。

 「……これ」

 思えばそれが、彼と初めて言葉を交わした瞬間だったと思う。

 「…………いいのか?」
 「うん。もう、何回も読んだから」

 一度目の会話も、それだけしか続かなかった。
 それだけ言って持っていた本を渡し、代わりに適当な本を手に取り元の位置に戻って、それでおしまい。

 もう喋ることはないだろうと思っていたけれど、二度目に会話を交わす瞬間は意外にも早く訪れた。
 その時の自分の背の高さでは届かない位置に置いてあった本を取ろうとしていたのは、どうしてだっただろう。覚えていないけれど、どうしてもその本が読みたくて、取ろうとしていて。それでもどうやったって取れなかったその本を、後ろから伸びてきた手が抜き去っていった。

 「あっ……」

 後ろを振り向けば、彼がいて。

 「ほら」
 「えっ……あ、ありがとう……?」

 つっけんどんに差し出された本を受け取れば、彼はそそくさと去って元いた場所へと戻ってしまう。
 それが二度目の会話で。
 そこから後、三度目以降の会話は少しずつ増えていった。とはいってもやっぱり短いもので、本の場所を教えたり、本を譲ったりというものばかりだ。

 でも、それでもそんな空間が心地良いと思い始めたのは、そんなやり取りも悪くないと思い始めたからで。
 そんなある日のことだ。

 「お前、いつもそれを読んでいるな」

 唐突に、彼の方から話しかけてきた。

 「え……う、うん」
 「飽きないのか?」
 「……好きだから、飽きない」

 どうしてそんなことを聞いてくるのだろう。意図が読めないながらも答えていれば、何か考え込んでいた彼はしばらくして口を開く。

 「……その続きの本が、俺の家にある。母上が買ってくれたものだが、俺は読まないから……読むか?」
 「えっ……でも、いいの……?」
 「ああ。持て余している者のところよりも、繰り返し読んでくれる者のところにあった方がいいだろう?」
 「あ、う、うん……! ありがとう! あ、ええと……」

 リリィが、彼の名前を覚えていないことに気が付いたのはこの時だ。ここまで親睦を深めることになるとは予想外のことだったし、それまでは興味すらなかったのだから当然と言えば当然か。

 「名前、は……なんていうの……?」
 「ああ、やはり覚えていなかったか」

 そんなリリィの情けない質問に、彼はくすりと笑う。それが初めて、彼の笑顔を見た瞬間で。

 「クラーク伯爵家子息、ジュード・クラーク。よろしく頼む、リリィ・ルヴェール嬢」

 そこでようやく、リリィは彼の名前を知った。

 「あ……ええと、ジュード……?」
 「………………怒らないのか?」
 「えっ……何が?」

 それが何に対しての確認かわからず首を傾げれば、彼は呆れたように溜息を吐いて肩を竦める。

 「俺は出会ってから今まで、無礼な態度を取り続けていたはずだが? 仮にも公爵家の令嬢だろう?」
 「あ……それもそっか」

 父親同士が爵位関係なく打ち解けたように話していたものだから、ついつい同じように話してしまっていた。まあ、今の今まで彼が伯爵家の子息だということすら忘れてしまっていたから仕方のないことで。
 それに、何より。

 「このままでいいよ。今更気にされる方が落ち着かないし……こうしてジュードと話せるの、楽しかったから」

 家族含めた屋敷の者達以外に、普通に接してもらえて、一緒に居ても平穏な時間が流れる……なんて初めてのことだったからだろうか。彼といる時間が、リリィの中で手離したくないと思い始めていたのは確かだ。
 ……だから。

 「特異体質者、か……」

 自分の特異体質が彼に知られてしまった瞬間は、今までにない程の絶望感に襲われたのだ。
 彼もあの子達と同じように自分と接するようになるのだろうか。それとも、気持ちが悪いと拒絶されてしまうのだろうか。そう思うと怖くて、逃げたくなって。

 「どんな体質を持っていようと、お前はお前だ」
 だから、そんな彼の言葉が。

 「乗れ」

 差し出された彼の背中が。冷たい性格のくせに温かく感じて、傍にいてほしくて、離れてほしくないと思うようになって。
 思えばもう、その時点で彼への想いは咲き始めていたのかもしれない。

 それ以降どこに行くにしても、何をするにしても、彼と一緒にいるようになっていた。彼はそれを嫌な顔ひとつせず受け入れてくれたものだから、更に嬉しくなって引っ付いて。
 その後の狩猟大会中、誰かに池へと突き落とされ溺れてしまった時に助けてくれたのも、その時のトラウマから屋敷の外へ出られなくなった時傍にいてくれたのも、彼だった。

 彼との婚約が決まったとデイビッドから告げられたのは、そんな出来事が落ち着いてしばらく経ってからのことで。


───ああ、私のせいで。


 真っ先に感じたのは嬉しさではなく、彼の人生を思わぬ形で縛り付けてしまうことになった罪悪感だった。

 「どうして断らなかったの? だって、こんな……」
 「違うんだ。俺の話を聞いてほしい、リリィ」

 予想外にも、その時の彼に浮かんでいた悲しみの理由は自分が思っていたのとは別のもので。親同士が話し合って決めてしまった婚約に対してではなく、そのことに後ろめたさや罪悪感を持っているリリィに対して向けられたものだった。

 「この婚約は……確かにルヴェール公爵と父上の話し合いで決められたものだ。でも拒否権がないわけじゃなかった。父上からお前との婚約者を打診された時、迷わず頷いたよ……俺がお前を、一番近くで守りたかったから」

 彼のその言葉が、握ってくれたその手が、嬉しく感じてしまったのもまた事実だ。
 彼も自分と同じ気持ちを向けてくれていて、それを伝えてくれたのも嬉しくて。
 きっとこの先、彼とならなんだって乗り越えられるだろうと。きっと幸せな人生を歩んでいけるだろうと……そう、思っていたのに。


~*~*~*~

 
 胸に強い痛みを感じて、リリィの意識は少しずつ浮上していく。強い力で何度も胸を押され、その度に酷い痛みを感じているらしい。

 (痛い……)

 我慢できずに逃れようとしたのだけれど、指1本動かせず、瞼を開けることすらできないことに気が付いた。それどころか、呼吸すら上手くできない。どうしても肺を動かすことができなくて、息を吸うことも吐くこともできなくて。その苦しさと痛さに、恐怖を感じ始めた。

 「リリィ……! リリィ!!」

 どこか……あまり遠くないところで、ジュードが自分の名前を呼んでいる声が聞こえる。ひどく怯えているその声に答えてやりたいのに、やっぱり体は動いてくれない。

 「言っただろう! お前がそこに行くには、まだ早すぎると……!」
 (ああそうだ、前にも……)

 ずっと、前にもそんなことを言われた気がする。同じ状況で、同じような声色の彼に。
 あの時も同じように体が動かなくて、呼吸ができなくて、痛くて、怖かった。
 そんな暗闇の中で、今みたいにジュードの声が聞こえてきて。


───リリィ……リリィ……! ダメだ、死ぬな……!


 「リリィ! 俺の声が聞こえているか!? 絶対に死なせない! だから、戻ってくるんだ!!」

 聞こえてくる声はあの頃よりはだいぶん大人になっているけれど、しかし変わらず怯えるようにリリィの名前を呼び続ける。
 ふと、何度も続いていた胸への圧迫が止まって。次いで、顔が強い力で掴まれた。鼻を摘まれ唇が何かに覆われて、口から勢いよく空気が流れ込んでくる。それは、動かなくなっていたリリィの肺を満たして膨らませて。

 「……ん……」

 動くことをやめていた肺が、思い出したかのように動き出した。

 「ッ、リリィ……!」

 唇を覆っていた何かが離れ、不自由だった肺の動きもさらに活発になって。おぼつかない呼吸をむせながらも整えている中で、何度も名前を呼ばれる。
 呼吸ができるようになったからだろうか。ぎこちないながらも、体が動かせるようになっていて。だから、まだ重い瞼を持ち上げて、自分を呼ぶ声の主を見た。

 「じゅ、ぅ、ど……」

 そこにいたのは、あの時と同じで泣きそうな顔をしていた彼だった。あの時に比べて大人になっているけれど、その表情は今でも変わらない。

「リリィ、俺の声が聞こえるか? どこか痛むか?」
 「ぅ、あ……」

 どうして忘れてしまっていたのだろう。ずっとずっと、大切にしたかった人のはずだったのに。

 「じゅー、ど……」

 彼に向かって、重い体に鞭打って手を伸ばす。彼の服を掴むことさえもやっとのことで。でも離したくなくて、離れてほしくなくてその体にしがみつく。

 「無理に動くな。呼吸が止まって、心臓も止まりかけた。すぐ蘇生したが、まだ予断は───」
 「ごめ、っ……わすれてて、ごめん……」
 「あ……」

 耳元で、ジュードの息を呑む声が聞こえた。
 背中に回ってきてくれた腕は、やっぱり優しくて温かい。

 「ッ……いいんだ、リリィ……おかえり」
 「う、ん……ただいま……」

 ほろりほろりと落ちていく宝石は、傷一つなく綺麗に輝いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

春の女神は知っている。~モフモフと力を合わせて、ヤンデレメリバフラグ回避してみせます!~

古駒フミ
恋愛
教師との悲恋、そして突然の死をもって転生をした少女、シャーロット・ジェム。凍れる国にて、小さな魔法屋を営んでいた。名門学園からの推薦状が届いたことにより、平和だった日々に暗雲が訪れるように。 今世も彼女に死は訪れる――未来を望むには二つ。 ――ヤンデレからもたらされる愛によって、囲われる未来か。そして。 ――小さくて可愛いモフモフ、女神の眷属と共に乗り越えていくか。 鳥籠に囚われるカナリア色の髪の少女、ヤンデレホイホイの彼女が抗っていく物語。 生きていく物語。 小説家になろう様でも連載中です。

【完結】私は身代わりの王女だったけれど、冷たい王太子に愛されました。

朝日みらい
恋愛
虐げられた王女・エリシアは、母の死後、継母と義理の姉妹たちに冷遇されながら宮廷で孤独に暮らしていた。そんな中、病に伏した父王の代わりに和平を保つため、隣国との政略結婚が決定される。本来ならば義姉が花嫁となるはずが、継母の陰謀で「身代わりの花嫁」としてエリシアが送り込まれることに。 隣国の王太子・レオニードは「女嫌い」と噂される冷淡な人物。結婚初夜、彼はエリシアに「形だけの夫婦」と宣言し、心を閉ざしたままだったが――。

悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。 皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。 さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。 しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。 それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

聖女様と間違って召喚された腐女子ですが、申し訳ないので仕事します!

碧桜
恋愛
私は花園美月。20歳。派遣期間が終わり無職となった日、馴染の古書店で顔面偏差値高スペックなイケメンに出会う。さらに、そこで美少女が穴に吸い込まれそうになっていたのを助けようとして、私は古書店のイケメンと共に穴に落ちてしまい、異世界へ―。実は、聖女様として召喚されようとしてた美少女の代わりに、地味でオタクな私が間違って来てしまった! 落ちたその先の世界で出会ったのは、私の推しキャラと見た目だけそっくりな王(仮)や美貌の側近、そして古書店から一緒に穴に落ちたイケメンの彼は、騎士様だった。3人ともすごい美形なのに、みな癖強すぎ難ありなイケメンばかり。 オタクで人見知りしてしまう私だけど、元の世界へ戻れるまで2週間、タダでお世話になるのは申し訳ないから、お城でメイドさんをすることにした。平和にお給料分の仕事をして、異世界観光して、2週間後自分の家へ帰るつもりだったのに、ドラゴンや悪い魔法使いとか出てきて、異能を使うイケメンの彼らとともに戦うはめに。聖女様の召喚の邪魔をしてしまったので、美少女ではありませんが、地味で腐女子ですが出来る限り、精一杯頑張ります。 ついでに無愛想で苦手と思っていた彼は、なかなかいい奴だったみたい。これは、恋など始まってしまう予感でしょうか!? *カクヨムにて先に連載しているものを加筆・修正をおこなって掲載しております

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

酒飲み聖女は気だるげな騎士団長に秘密を握られています〜完璧じゃなくても愛してるって正気ですか!?〜

鳥花風星
恋愛
太陽の光に当たって透けるような銀髪、紫水晶のような美しい瞳、均整の取れた体つき、女性なら誰もが羨むような見た目でうっとりするほどの完璧な聖女。この国の聖女は、清楚で見た目も中身も美しく、誰もが羨む存在でなければいけない。聖女リリアは、ずっとみんなの理想の「聖女様」でいることに専念してきた。 そんな完璧な聖女であるリリアには誰にも知られてはいけない秘密があった。その秘密は完璧に隠し通され、絶対に誰にも知られないはずだった。だが、そんなある日、騎士団長のセルにその秘密を知られてしまう。 秘密がばれてしまったら、完璧な聖女としての立場が危うく、国民もがっかりさせてしまう。秘密をばらさないようにとセルに懇願するリリアだが、セルは秘密をばらされたくなければ婚約してほしいと言ってきた。 一途な騎士団長といつの間にか逃げられなくなっていた聖女のラブストーリー。 ◇氷雨そら様主催「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。

処理中です...