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余談1.ほんわか専属メイドから見た、二人の顛末と行く末
5.専属メイドとなった少女から見る、傷だらけの白百合
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運命とは更に残酷なもので。
男爵家から見付かった、記憶を消してしまうという効果を持つ毒の入ったスープ。それを、リリィは長期間に渡り飲まされていたらしい。だから、目を覚ましても自分達のことを覚えているかわからない。
それは、警察隊からその毒の分析を頼まれたジュードから聞いたことだ。
その言葉通り、目を覚ましたリリィは家族であるルヴェール夫妻やアンドリューのことも、婚約者であるジュードのことも、そして自分のこともすっかりと忘れてしまっていて。
そしてそれは、シンシアのことも例外ではなかった。
「貴女、は……?」
リリィは、怯えたようにシンシアを見る。
悲しくないわけではない。でもそれ以上に、これ程まで周りの人々に警戒心や恐怖心を向けてしまうようなことをされてきたのだとわかって、その方が悲しく悔しかった。
「本日よりお嬢様のお世話を担当させていただくことになりました、シンシアと申します。よろしくお願いします」
そうして怯えさせないように、笑顔で頭を下げる。
「シンシア、様……?」
「まあ、お嬢様。私にその様な言葉遣いは不要ですわ。どうぞ気安く、シンシアとお呼びください」
この時を、ずっとずっと待っていたのだ。
もう誰にも傷付けさせてはいけない。一介のメイドである自分に出来ることは少ないだろうけれど、それでも彼女を守りたい、寄り添いたい、支えたい。
そう思いながら、シンシアは怯えるリリィの手を優しく握った。
~*~*~*~
意識が戻ってからもしばらくの間リリィは、起きているよりも寝ている時間の方が長かった。
彼女が眠っている間、その体を清め、ジュードに包帯の交換の仕方を教わって。服の下に残るその傷や痣だらけの体は、何度見たところで慣れずに泣きたくなってしまう。
必死に涙を堪え、一通りをやり終わり、リリィをベッドへと寝かせて。
「ジュード様、終わりましたよ~」
廊下を見れば、予想通りジュードがそこにいた。デイビッドには休むようにと言われたはずなのだけれど、彼は四六時中リリィの傍を離れない。
今だってそうだ。
「ああ、すまない。ありがとう」
そう言ってシンシアの横を抜けて部屋に入り、リリィの眠るベッド脇に置いてあるソファへと腰掛ける。その目の下には薄らと隈が出来、その背中は少しやつれてきているような気がして。
「ジュード様も、ゆっくり休んでくださいね」
「わかっている」
そう答えるものの、彼は一向にそこを動こうとしない。本当にわかっているのだろうか。医者ではあるから、自分の限界はわかっているだろうけれど。
それにきっと、何を言ったところでジュードはリリィから離れないだろう。彼女の手を握り、悲しげな顔で頭を優しく撫でて。リリィが帰ってきてからは、ずっとそうだった。
八年もの間、暗い部屋に閉じ込められ虐待を受けてきた傷は、そう簡単には塞がらない。リリィは眠りについている中で、その記憶達に苦しめられているらしい。
「ゃ、だ……っ……や……」
苦しそうにうなされて、ぽろぽろと宝石が落ちていく。その度、ジュードは彼女を優しく抱き締めていた。
「大丈夫なんだ、もう。ここには、お前を虐げるものは何もない」
優しくそう声をかけながら、そっと頭を撫でる。リリィが落ち着くまで、そのまま。落ち着いた寝息に戻っても、ジュードはしばらく彼女を離さず悔しそうに唇を噛んで。
そんな出来事が、幾度となく繰り返される。
「……お嬢様が穏やかに過ごせる日は、いつ来るのでしょう」
思えば、出会った頃から彼女が穏やかに過ごせていた日はあまりなかった気がして。これから幸せになるだろうというところだったのに連れ去られ、八年もの間虐待を受け、助け出されてもなお悪夢は逃してくれない。
運命はどうしてこうも、彼女に困難ばかり与えるのだろう。もうじゅうぶん、苦しんだじゃないか。
「……早くそうなれるようにするのも、俺の役目だ」
でも、と。ジュードはベッドへ寝かせなおしたリリィの頬を恐る恐る撫でる。その表情は、辛そうに歪められていて。
「心に付けられた傷は、体に付けられた傷よりも治るのが遅い」
一年、二年なんてそんな短い時間じゃない。五年、十年……下手をすれば、一生治らずに残り続ける。
ジュードは震える手で、ベッドから拾い上げた傷だらけの宝石を握った。
~*~*~*~
絶望的な状況が長く長く続いて。しかしそんな中でようやく一筋の光が見え始めたのは、リリィが帰ってきて三ヶ月目に入って少し経ってからだろうか。
───朧気ではあるけれど、リリィが自分のことや両親、兄のことを思い出した。
そんな報せが、ルヴェール邸中に駆け巡った。
長期間に渡り摂取させられていたことで体内に蓄積していた毒の効果が、ようやく薄れてきたらしい。
だからだろう。自分に近付いてくる人々に強い警戒心や恐怖心を向け怯えていたリリィが、だんだんと受け入れてくれるようになったのは。まだ自分や家族の記憶も朧気で、それ以外のことはまだまだ失われたままではあるけれど。しかしここが彼女にとって安心出来る場所であると、彼女自身がそれを理解しただけでも大きな進歩なのだ。
「お嬢様、おはようございます~」
「あ……おはようございます、シンシアさん」
まだシンシアのことを思い出したわけではないけれど、部屋に入った時に迎え入れてくれる笑顔は、少しずつ昔と変わらないものへと戻ってきていて。
「今日は、中庭の方に行きましょうね」
リリィの体力は少しずつ回復してきているから、屋敷を動き回れる時間や距離も少しずつ延びてきた。屋敷内の散歩や散策は、彼女にとってもいい刺激になるだろう。実際、それで思い出した記憶もあるようで。
リリィの手を取り、まだ少しばかりふらつく彼女の体を支えながら中庭へと下りていく。
「足元、気を付けてくださいね」
なるべく平坦な道を歩いてはいるけれど、しかしそれでもやっぱり、まだ少し足元は覚束ないようで。
「あっ……」
しばらく歩いていれば、短い悲鳴の後でリリィの体が傾いた。
「お嬢様……!」
慌ててその体を支えようとするものの、あまり力がない故か彼女が地面と激突しないように下敷きになるのが精一杯で。
「いっ、たぁ……」
尻もちをつきながらも、リリィの体を抱き留める。
「あ……」
頭上から絶望したような声が聞こえて。見上げればリリィはその声に違わない顔をしていたから、安心させるように笑う。
「私は大丈夫です。お嬢様は、お怪我はないですか?」
「あ……私も大丈夫、です……けど……」
シンシアの上から退いたリリィは泣きそうな顔で、もじ、と服の袖を握っていて。指の隙間から見えているそこは、少しだけ破れてしまっているようで。
「お嬢様、大丈夫ですから少し見せていただけますか」
「ッ……」
きっと、男爵家でされてきたことを思い出してしまったのだろう。だから怖がらせないよう、怯えさせないよう、ただただ優しく笑って。
そうすればリリィは、恐る恐るではあるものの服の袖を見せてくれる。そこは、ざっくりと避けていて。
「きっと、木の枝か柵に引っかかってしまったのでしょうね。お嬢様に怪我がなくてよかったです」
シンシアは立ち上がり、そっと彼女の手を引いた。
「私にお任せください。こう見えて、裁縫は得意なんですよ~」
彼女が本当に怪我をしていないかを確かめながら、東屋まで体を支えて歩いて。椅子に座らせたリリィの傍らに跪き、未だに持ち歩いている裁縫道具を取り出す。
きっとこの程度の破れ具合なら、特に支障はないだろうけれど。しかしきっとこうする方が彼女が安心するだろうから。
間違えてその手に針を刺してしまわないように、慎重に縫い合わせて。そのままでは不格好になってしまうからと、ドレスに合った簡単な刺繍を施していく。
(お嬢様と初めてお話した時を思い出すなぁ……)
そういえば、あの時もこうしていたんだっけ。ジュードから預かったあのハンカチは、まだリリィが彼のことを思い出していないという理由で返すことが出来ないけれど。
でも、いつか……
「…………シンシ、ア?」
頭上からリリィに名前を呼ばれ、シンシアは手を止める。その声は確かに、つい数分前に彼女が自分を呼んでいた時とトーンや呼び方が違った。
顔を上げれば、大きく見開かれた目と視線が合う。
「シンシア……なの……?」
そんな彼女の目はやっぱり、つい数分前に自分を見ていたよそよそしいものとは違って。
「はい、シンシアです」
彼女の中で何が起こったか、聞かなくてもその表情と声でわかる。わかって自然と口角が上がり、視界がぼやけた。
持っていた針をソーイングポーチの中へと戻し、リリィの手を握る。
「不肖シンシア、リリィ・ルヴェール様にお仕えするべく、見習いから正式に使用人として雇っていただき、貴女の帰りを心よりお待ちしておりました」
嗚呼、ようやく。ようやくだ。
「まだまだ未熟者ですが、これからはずっと傍で貴女を支えさせてください」
「ッ……うん……」
頷いてくれた彼女の目から、綺麗に輝く宝石が一つ二つと落ちていく。
男爵家から見付かった、記憶を消してしまうという効果を持つ毒の入ったスープ。それを、リリィは長期間に渡り飲まされていたらしい。だから、目を覚ましても自分達のことを覚えているかわからない。
それは、警察隊からその毒の分析を頼まれたジュードから聞いたことだ。
その言葉通り、目を覚ましたリリィは家族であるルヴェール夫妻やアンドリューのことも、婚約者であるジュードのことも、そして自分のこともすっかりと忘れてしまっていて。
そしてそれは、シンシアのことも例外ではなかった。
「貴女、は……?」
リリィは、怯えたようにシンシアを見る。
悲しくないわけではない。でもそれ以上に、これ程まで周りの人々に警戒心や恐怖心を向けてしまうようなことをされてきたのだとわかって、その方が悲しく悔しかった。
「本日よりお嬢様のお世話を担当させていただくことになりました、シンシアと申します。よろしくお願いします」
そうして怯えさせないように、笑顔で頭を下げる。
「シンシア、様……?」
「まあ、お嬢様。私にその様な言葉遣いは不要ですわ。どうぞ気安く、シンシアとお呼びください」
この時を、ずっとずっと待っていたのだ。
もう誰にも傷付けさせてはいけない。一介のメイドである自分に出来ることは少ないだろうけれど、それでも彼女を守りたい、寄り添いたい、支えたい。
そう思いながら、シンシアは怯えるリリィの手を優しく握った。
~*~*~*~
意識が戻ってからもしばらくの間リリィは、起きているよりも寝ている時間の方が長かった。
彼女が眠っている間、その体を清め、ジュードに包帯の交換の仕方を教わって。服の下に残るその傷や痣だらけの体は、何度見たところで慣れずに泣きたくなってしまう。
必死に涙を堪え、一通りをやり終わり、リリィをベッドへと寝かせて。
「ジュード様、終わりましたよ~」
廊下を見れば、予想通りジュードがそこにいた。デイビッドには休むようにと言われたはずなのだけれど、彼は四六時中リリィの傍を離れない。
今だってそうだ。
「ああ、すまない。ありがとう」
そう言ってシンシアの横を抜けて部屋に入り、リリィの眠るベッド脇に置いてあるソファへと腰掛ける。その目の下には薄らと隈が出来、その背中は少しやつれてきているような気がして。
「ジュード様も、ゆっくり休んでくださいね」
「わかっている」
そう答えるものの、彼は一向にそこを動こうとしない。本当にわかっているのだろうか。医者ではあるから、自分の限界はわかっているだろうけれど。
それにきっと、何を言ったところでジュードはリリィから離れないだろう。彼女の手を握り、悲しげな顔で頭を優しく撫でて。リリィが帰ってきてからは、ずっとそうだった。
八年もの間、暗い部屋に閉じ込められ虐待を受けてきた傷は、そう簡単には塞がらない。リリィは眠りについている中で、その記憶達に苦しめられているらしい。
「ゃ、だ……っ……や……」
苦しそうにうなされて、ぽろぽろと宝石が落ちていく。その度、ジュードは彼女を優しく抱き締めていた。
「大丈夫なんだ、もう。ここには、お前を虐げるものは何もない」
優しくそう声をかけながら、そっと頭を撫でる。リリィが落ち着くまで、そのまま。落ち着いた寝息に戻っても、ジュードはしばらく彼女を離さず悔しそうに唇を噛んで。
そんな出来事が、幾度となく繰り返される。
「……お嬢様が穏やかに過ごせる日は、いつ来るのでしょう」
思えば、出会った頃から彼女が穏やかに過ごせていた日はあまりなかった気がして。これから幸せになるだろうというところだったのに連れ去られ、八年もの間虐待を受け、助け出されてもなお悪夢は逃してくれない。
運命はどうしてこうも、彼女に困難ばかり与えるのだろう。もうじゅうぶん、苦しんだじゃないか。
「……早くそうなれるようにするのも、俺の役目だ」
でも、と。ジュードはベッドへ寝かせなおしたリリィの頬を恐る恐る撫でる。その表情は、辛そうに歪められていて。
「心に付けられた傷は、体に付けられた傷よりも治るのが遅い」
一年、二年なんてそんな短い時間じゃない。五年、十年……下手をすれば、一生治らずに残り続ける。
ジュードは震える手で、ベッドから拾い上げた傷だらけの宝石を握った。
~*~*~*~
絶望的な状況が長く長く続いて。しかしそんな中でようやく一筋の光が見え始めたのは、リリィが帰ってきて三ヶ月目に入って少し経ってからだろうか。
───朧気ではあるけれど、リリィが自分のことや両親、兄のことを思い出した。
そんな報せが、ルヴェール邸中に駆け巡った。
長期間に渡り摂取させられていたことで体内に蓄積していた毒の効果が、ようやく薄れてきたらしい。
だからだろう。自分に近付いてくる人々に強い警戒心や恐怖心を向け怯えていたリリィが、だんだんと受け入れてくれるようになったのは。まだ自分や家族の記憶も朧気で、それ以外のことはまだまだ失われたままではあるけれど。しかしここが彼女にとって安心出来る場所であると、彼女自身がそれを理解しただけでも大きな進歩なのだ。
「お嬢様、おはようございます~」
「あ……おはようございます、シンシアさん」
まだシンシアのことを思い出したわけではないけれど、部屋に入った時に迎え入れてくれる笑顔は、少しずつ昔と変わらないものへと戻ってきていて。
「今日は、中庭の方に行きましょうね」
リリィの体力は少しずつ回復してきているから、屋敷を動き回れる時間や距離も少しずつ延びてきた。屋敷内の散歩や散策は、彼女にとってもいい刺激になるだろう。実際、それで思い出した記憶もあるようで。
リリィの手を取り、まだ少しばかりふらつく彼女の体を支えながら中庭へと下りていく。
「足元、気を付けてくださいね」
なるべく平坦な道を歩いてはいるけれど、しかしそれでもやっぱり、まだ少し足元は覚束ないようで。
「あっ……」
しばらく歩いていれば、短い悲鳴の後でリリィの体が傾いた。
「お嬢様……!」
慌ててその体を支えようとするものの、あまり力がない故か彼女が地面と激突しないように下敷きになるのが精一杯で。
「いっ、たぁ……」
尻もちをつきながらも、リリィの体を抱き留める。
「あ……」
頭上から絶望したような声が聞こえて。見上げればリリィはその声に違わない顔をしていたから、安心させるように笑う。
「私は大丈夫です。お嬢様は、お怪我はないですか?」
「あ……私も大丈夫、です……けど……」
シンシアの上から退いたリリィは泣きそうな顔で、もじ、と服の袖を握っていて。指の隙間から見えているそこは、少しだけ破れてしまっているようで。
「お嬢様、大丈夫ですから少し見せていただけますか」
「ッ……」
きっと、男爵家でされてきたことを思い出してしまったのだろう。だから怖がらせないよう、怯えさせないよう、ただただ優しく笑って。
そうすればリリィは、恐る恐るではあるものの服の袖を見せてくれる。そこは、ざっくりと避けていて。
「きっと、木の枝か柵に引っかかってしまったのでしょうね。お嬢様に怪我がなくてよかったです」
シンシアは立ち上がり、そっと彼女の手を引いた。
「私にお任せください。こう見えて、裁縫は得意なんですよ~」
彼女が本当に怪我をしていないかを確かめながら、東屋まで体を支えて歩いて。椅子に座らせたリリィの傍らに跪き、未だに持ち歩いている裁縫道具を取り出す。
きっとこの程度の破れ具合なら、特に支障はないだろうけれど。しかしきっとこうする方が彼女が安心するだろうから。
間違えてその手に針を刺してしまわないように、慎重に縫い合わせて。そのままでは不格好になってしまうからと、ドレスに合った簡単な刺繍を施していく。
(お嬢様と初めてお話した時を思い出すなぁ……)
そういえば、あの時もこうしていたんだっけ。ジュードから預かったあのハンカチは、まだリリィが彼のことを思い出していないという理由で返すことが出来ないけれど。
でも、いつか……
「…………シンシ、ア?」
頭上からリリィに名前を呼ばれ、シンシアは手を止める。その声は確かに、つい数分前に彼女が自分を呼んでいた時とトーンや呼び方が違った。
顔を上げれば、大きく見開かれた目と視線が合う。
「シンシア……なの……?」
そんな彼女の目はやっぱり、つい数分前に自分を見ていたよそよそしいものとは違って。
「はい、シンシアです」
彼女の中で何が起こったか、聞かなくてもその表情と声でわかる。わかって自然と口角が上がり、視界がぼやけた。
持っていた針をソーイングポーチの中へと戻し、リリィの手を握る。
「不肖シンシア、リリィ・ルヴェール様にお仕えするべく、見習いから正式に使用人として雇っていただき、貴女の帰りを心よりお待ちしておりました」
嗚呼、ようやく。ようやくだ。
「まだまだ未熟者ですが、これからはずっと傍で貴女を支えさせてください」
「ッ……うん……」
頷いてくれた彼女の目から、綺麗に輝く宝石が一つ二つと落ちていく。
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