【完結】虐げられてきた白百合が、その一途な溺愛に気付くまで

五蕾 明日花

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余談2.人間不信の兄が、妹離れを決意するまで

8.兄から見る、妹との再会

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 「公子様……! 公女様が……公女様を、発見しました……!」

 男爵の屋敷の家宅捜索をしている最中、慌てた様子の隊員がこちらに駆けてきた時に叫んでいた言葉の意味を、アンドリューはしばらく理解が出来なかった。だってそうじゃないか。今までどこを捜しても手がかりひとつ見付からなかったのに、無関係だろうと思っていた男爵家の屋敷から八年もの間行方不明になっていた妹が発見されるなんて、どうして考えられるだろう。

 「ぁ……リリィ」

 隊員の腕の中のその姿に。そして、その隊員から受け取ったその体の惨状に、アンドリューは絶望した。
 痩せ細った体に、服の下から覗く傷だらけの体。そもそも着せられているのだって、服とも言えないボロ切れで。十八歳のはずである彼女の体は、酷く小さく軽いと感じる。

 「リリィ……ああ、リリィ……どうして、こんな……」

 生きているのが不思議な程、今まで酷い扱いをされてきたのは明らかだった。

 「おなか……すい、た……」

 その言葉を最後に目を閉じてしまったリリィは、辛うじて呼吸をしているような状態で。
 全速力でルヴェール邸へ向かう馬車の中、アンドリューはそんな彼女の体を強く抱き締め離さなかった。

 「お願いだ、リリィ……持ち堪えてくれ……」

 このままでいれば今日を越えることすら出来ないだろうと、アンドリューでもわかるような容態で。
 か細い呼吸音や弱い心音をききのがさないよう、強く強く抱き締める。腕の中に感じたリリィの体の細さや軽さ、今にも途切れそうな呼吸音や心音を、アンドリューは一生忘れることが出来ないだろう。


~*~*~*~


 男爵家の屋敷の、間取り図には書かれていない、ひっそりと隠されるように造られた地下室。壁や床も石で造られた、窓のない、冷たく暗い、部屋とも言えない空間。

 (こんな場所に、リリィが……? 八年間も……?)

 到底、人間が長期間住むために造られた部屋とは思えない場所。
 こんな場所に、リリィは今までずっと閉じ込められていたというのか。いや、閉じ込められているだけだったのであれば、まだよかったのかもしれない。


───虐待の跡が見受けられました。


 リリィを診察した後の、努めて冷静でいようとしていたジュードの言葉。体中包帯だらけとなり、未だ意識が戻らないリリィ。
 壁や床には、所々に血の滴った跡がこびり付いていて。それに触れたアンドリューの指先は、震えていた。

 「リリィ……君は……」

 一体、ここでどんな仕打ちを受けながら八年間を過ごしてきたのだろう。どうして早く見付けてやれなかったのだろう。自分の無力さを恨みながら、アンドリューは唇を噛んで。

 ふと。カンテラを持ち上げれば、視界の端で何かがその灯りを受けて光った。床の石タイルの隙間に挟まっていたそれを拾い上げれば、見たことがない程に傷付いた宝石だった。男爵家の人間のものだろうか。そんなわけがないじゃないか。アンドリューはこれを、よく知っているというのに。
 今まで何度も、傷だらけの宝石を見てきた。しかし、今手に持っているのはそれの比ではない。傷は深く、所々欠け、その輝きは鈍い。それはまるで、今リリィの心に付いている傷の深さや大きさを表すものだ。

 「クッソ……!」

 怒りのままに床へ拳を打ち付ければ、脆い石タイルは少しばかりひびが入って欠ける。

 「すまなかった、リリィ……」

 もっと早く見付けてあげられれば、あんなに苦しまずに済んだだろうに。

 「こ、公子様……少しお話が……」

 アンドリューの殺気や気迫に圧された隊員が、しかしそれでも様子を伺いながら声をかけてきた。冷静でいなければと思いはするけれど、どうしてこの状況で冷静を取り繕えるだろう。

 「……何かな」
 「あ、あの……」

 怒気さえ含んだアンドリューの声に、声をかけてきた隊員は一瞬怯んでしまったけれど。しかしおずおずと、口の開いた小さな麻袋をひとつ見せてきた。

 「屋敷のキッチンの戸棚から、これが……」

 これ、とは。袋いっぱいに詰められた、乾燥した植物のようなものだ。

 「ハーブや薬草に詳しい隊員に聞いたところ、どうもそういう類ではないと……これと同じものが入ったスープが、厨房の鍋から見付かりました。仮にこれが毒草の類だった場合、男爵家一族自ら口に入れる可能性は少ないかと……」
 「……なるほどね」

 得体の知れない毒草が入ったスープを、リリィが飲まされていた可能性がある。そんな言葉の意図を汲み取ったアンドリューは、隊員に頷き返した。

 「医療棟の方にこれを送ってほしい。それと、ルヴェール邸へ使いを……毒草を摂らされていたとわかるもの……例えば髪の毛かな……ジュードに聞けばわかると思うから、それも医療棟に。分析してくれるはずだからね」

 どんな毒を持っている植物なのかとか、解毒方法はあるのか、とか。判明させなければ、リリィを長く苦しませてしまうから。

 「はっ、早急に」

 隊員は敬礼をひとつして、地上への階段を駆け上がっていく。
 再び一人になったアンドリューは、何もない空間を睨み付けた。ここにはもう、彼が持つひとつのカンテラの灯りしかない。これを消してしまったら、本当に真っ暗になってしまうだろう。
 こんな場所に、リリィは。

 「……許してなるものか」

 彼女の受けた傷を何倍にも返して、自分達の行いを後悔させてやらないと気が済まない。


~*~*~*~


───命に別状のあるようなものではない。
───脳の記憶を司る部分に作用し、一時的に物事を忘れされる効果を持つ。
───体内で毒が分解され排出されれば、効果はなくなるだろう。
───リリィ・ルヴェール嬢の場合、長い間毒を摂取させられていたため快復には長い期間を要するが、いずれは効果が消える。


 それが、翌日医療棟から届いた書状に書かれていた。
 リリィが目を覚ましたとして、家族のことも、婚約者のことも、それどころか自分のことも覚えてはいないだろう。それにまた絶望はしたけれど、しかし時間が経てば記憶が戻るというのはまだ希望があるだろうか。完全に受け入れることは出来なかったけれど、しかし覚悟はしていて。
 ……でも。

 「あ、あの……貴方は……?」

 リリィが目を覚ました後、部屋を訪れた時に彼女から怯えたような顔と、本当に初対面だというふうな言葉を向けられた時。

 「僕はアンドリュー・ルヴェール。このルヴェール家の長兄なんだ」

 そして、そうして彼女に自己紹介をした時。自分は上手く笑えていただろうか。アンドリューにはわからなかった。
 君の兄なんだよ、とか。
 君は本当はルヴェール家の娘で、八年前に誘拐されていたきり行方不明になっていたんだよ、とか。
 その間、ずっとずっと君を捜していたんだよ、とか。
 全て話してしまいたかったのだけれど、それを少し話してみたデイビッドの話では、信じてもらえなかったらしい。あの男爵家でのことを考えれば、それも仕方のないことだと割り切るしかないのだけれど。

 「あの……アンドリュー様……?」

 何も言えずにただリリィを見るしかないアンドリューのその視線に耐えかねた彼女にそう呼ばれた時、やっぱり耐えられないやるせなさや寂しさが溢れ出して。

 「……ねえ、リリィ。僕のことは、〝お兄様〟って呼んでほしいな」

 どうか昔のように。

 「で、も……」

 しかしリリィは、やっぱり怯えたようにアンドリューを見るだけで。完全に心を閉ざしてしまった彼女を見て、あの男爵家の一族に対して怒りを覚えた。
 でも、決してそれを表に出してはいけない。これ以上、リリィを怖がらせてはいけない。

 「……今は、いいよ。いつかでいいんだ」

 いつか、元の兄妹に戻れるように。今は焦らず、彼女の傷に寄り添わなければならない。
 それが、兄として彼女本人にしてやれることだ。

 結局。リリィが家族のことを思い出したのは、そこから三ヶ月も先のことだった。
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