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「才加先生、さようなら」
「おつかれさま、また来週ね」
夜の10時。高校生クラスのレッスンが終わり、スタジオは途端に静かになった。ついさっきまで音楽と笑い声が満ちていた空間が、嘘みたいに広く感じる。
私はひとり、夢と汗が染み込んだ床を、いつものように磨いていた。
スタジオのドアが開く音に振り返る。
彼――サクヤは突然やってきた。
「よう」
「久しぶりね。どうしたの、急に来るなんて」
「ちょっとね」
言葉が少ないのは相変わらずだ。
スタジオのカレンダーに目が留まる。そうか、明日は父の命日だ。1年なんてあっという間。
「ありがとう、来てくれて」
「別に、近くに来たから」
こんなに無愛想なのに、アイドルを目指しているなんて。
サクヤが笑顔でファンサービスをする姿は、どうしても想像できない。
「才加だけ?」
「うん、みんな帰ったところ」
「あっそ」
本当に愛想がない。この小さなダンススクールに通っていた頃のまま。
サクヤはリュックをおろすと、使い込まれたダンスシューズを取り出した。
「適当に曲流してよ」
「え、踊るの?」
「うん」
「事務所の練習スタジオがあるんじゃないの?」
サクヤの所属する芸能事務所には、新しくて設備の整ったスタジオがあるはずだ。鏡も広くて、床も新品で、音響だってきっと完璧だろう。
「ここの方が、集中できるから」
「ふぅん」
まぁ、いいか。
久しぶりにサクヤのダンスを見たい気持ちもある。
静まり返ったスタジオに、アップテンポのメロディが流れる。
「さすが、オレの先生。いい選曲」
サクヤは口元を少しだけ緩めると、すぐに、猛烈な勢いでステップを刻んだ。
古いスタジオが一瞬でステージになる。まるでライトを浴びているかのように、サクヤが輝いて見えた。
「相変わらず、無茶な踊り方ね」
私の声なんてもう届かない。
放っておいたら、何時間でも踊っているんだろう。
シルバーに染められた髪がなびき、汗がキラリと光る。バネのようにしなやかな動きも、昔のまま変わらない。
――トン、タン、タン。
気付けば、私の爪先もリズムを刻む。
鏡越しに、サクヤの視線とぶつかると、サクヤはピタリと動きを止め、肩で息をしながら私に言った。
「見てるだけじゃ、つまんないだろ」
私の手にあったスマホが、ひょいと奪われる。
「ちょ、ちょっと」
サクヤは構わず画面をスワイプし、ミュージックリストを迷いなく指先で撫でた。スタジオのBluetoothスピーカーから、ピコンと乾いた電子音が響く。
「踊ろうぜ」
サクヤの言葉と同時に、よく知ったイントロが流れ出した。
「忘れたとか言うなよ」
低音が床を震わせる。あの日、何度も何度も繰り返した旋律。
――忘れるはずがない。
右、左、ターン。
踏み出せば、身体は自然に動き出す。もうすぐ30歳になる私。全盛期は過ぎたとはいえ、記憶はカラダを軽くさせる。
驚くほどに、呼吸が重なる。私の指先が動く先には、サクヤがいる。
鏡の中で、まるで昔に戻ったみたいにふたりの動きが揃っていた。
――楽しい!
心の底からそう思った矢先だった。
「……いたっ」
サビに入り、一気に畳みかけるようなステップの途中で、右足首に鋭い痛みが走った。
私は思わずその場にしゃがみ込む。
「才加!」
音より早く、サクヤが駆け寄ってきた。その顔には、隠しきれない動揺が出ている。
「楽しすぎて……できないことを忘れちゃった」
苦笑いする私を、サクヤが悲しそうに見下ろす。
「大丈夫か?」
「誰よ、こんな複雑なステップにしたの」
「才加だろ」
「ふふ、そうだった」
少しふらつきながら立ち上がると、サクヤがそっと支えてくれる。
「ちっちゃくて可愛い生徒だったのに」
「昔話をするなよ、ババアみたいだな」
「口が悪いのは変わらないわね、クソガキ」
冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出す。サクヤに渡すと、小さく「さんきゅ」と笑う。
あ、笑うと右だけえくぼが出るのも、久しぶりに見たな――。
「あのさ」
サクヤはキャップを閉めると、少しだけ視線をそらした。
「なに?」
「事務所のオーディション受かった」
「え?」
思わず聞き返す。
「次のデビュー組の、候補メンバーに残った」
アイドルになるって簡単じゃない。サクヤが今の事務所に所属して5年が過ぎていた。
「すごいじゃない」
「まだまだ、これからだけどな」
サクヤはキャップを握ったまま、しばらく何も言わない。
スタジオには、さっきまで流れていた音楽の余韻だけが残っていた。時計の針が、カチ、カチ、と静かに進む音がやけに大きく聞こえる。
ふと顔を上げると、サクヤがじっとこちらを見ていた。
「なに?」
「……いや」
そう言って視線を外す。けれど、またすぐに私を見る。
昔からそうだ。サクヤは嘘が下手で、隠し事も下手で、言葉にする前の顔が全部わかりやすい。
「才加」
低い声で、名前を呼ばれる。
大きくて力強い手。私を見下ろす背丈。もう、小さかった生徒じゃない。サクヤは21歳の、大人の男だ。
「才加、オレさ――」
「おつかれさま、また来週ね」
夜の10時。高校生クラスのレッスンが終わり、スタジオは途端に静かになった。ついさっきまで音楽と笑い声が満ちていた空間が、嘘みたいに広く感じる。
私はひとり、夢と汗が染み込んだ床を、いつものように磨いていた。
スタジオのドアが開く音に振り返る。
彼――サクヤは突然やってきた。
「よう」
「久しぶりね。どうしたの、急に来るなんて」
「ちょっとね」
言葉が少ないのは相変わらずだ。
スタジオのカレンダーに目が留まる。そうか、明日は父の命日だ。1年なんてあっという間。
「ありがとう、来てくれて」
「別に、近くに来たから」
こんなに無愛想なのに、アイドルを目指しているなんて。
サクヤが笑顔でファンサービスをする姿は、どうしても想像できない。
「才加だけ?」
「うん、みんな帰ったところ」
「あっそ」
本当に愛想がない。この小さなダンススクールに通っていた頃のまま。
サクヤはリュックをおろすと、使い込まれたダンスシューズを取り出した。
「適当に曲流してよ」
「え、踊るの?」
「うん」
「事務所の練習スタジオがあるんじゃないの?」
サクヤの所属する芸能事務所には、新しくて設備の整ったスタジオがあるはずだ。鏡も広くて、床も新品で、音響だってきっと完璧だろう。
「ここの方が、集中できるから」
「ふぅん」
まぁ、いいか。
久しぶりにサクヤのダンスを見たい気持ちもある。
静まり返ったスタジオに、アップテンポのメロディが流れる。
「さすが、オレの先生。いい選曲」
サクヤは口元を少しだけ緩めると、すぐに、猛烈な勢いでステップを刻んだ。
古いスタジオが一瞬でステージになる。まるでライトを浴びているかのように、サクヤが輝いて見えた。
「相変わらず、無茶な踊り方ね」
私の声なんてもう届かない。
放っておいたら、何時間でも踊っているんだろう。
シルバーに染められた髪がなびき、汗がキラリと光る。バネのようにしなやかな動きも、昔のまま変わらない。
――トン、タン、タン。
気付けば、私の爪先もリズムを刻む。
鏡越しに、サクヤの視線とぶつかると、サクヤはピタリと動きを止め、肩で息をしながら私に言った。
「見てるだけじゃ、つまんないだろ」
私の手にあったスマホが、ひょいと奪われる。
「ちょ、ちょっと」
サクヤは構わず画面をスワイプし、ミュージックリストを迷いなく指先で撫でた。スタジオのBluetoothスピーカーから、ピコンと乾いた電子音が響く。
「踊ろうぜ」
サクヤの言葉と同時に、よく知ったイントロが流れ出した。
「忘れたとか言うなよ」
低音が床を震わせる。あの日、何度も何度も繰り返した旋律。
――忘れるはずがない。
右、左、ターン。
踏み出せば、身体は自然に動き出す。もうすぐ30歳になる私。全盛期は過ぎたとはいえ、記憶はカラダを軽くさせる。
驚くほどに、呼吸が重なる。私の指先が動く先には、サクヤがいる。
鏡の中で、まるで昔に戻ったみたいにふたりの動きが揃っていた。
――楽しい!
心の底からそう思った矢先だった。
「……いたっ」
サビに入り、一気に畳みかけるようなステップの途中で、右足首に鋭い痛みが走った。
私は思わずその場にしゃがみ込む。
「才加!」
音より早く、サクヤが駆け寄ってきた。その顔には、隠しきれない動揺が出ている。
「楽しすぎて……できないことを忘れちゃった」
苦笑いする私を、サクヤが悲しそうに見下ろす。
「大丈夫か?」
「誰よ、こんな複雑なステップにしたの」
「才加だろ」
「ふふ、そうだった」
少しふらつきながら立ち上がると、サクヤがそっと支えてくれる。
「ちっちゃくて可愛い生徒だったのに」
「昔話をするなよ、ババアみたいだな」
「口が悪いのは変わらないわね、クソガキ」
冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出す。サクヤに渡すと、小さく「さんきゅ」と笑う。
あ、笑うと右だけえくぼが出るのも、久しぶりに見たな――。
「あのさ」
サクヤはキャップを閉めると、少しだけ視線をそらした。
「なに?」
「事務所のオーディション受かった」
「え?」
思わず聞き返す。
「次のデビュー組の、候補メンバーに残った」
アイドルになるって簡単じゃない。サクヤが今の事務所に所属して5年が過ぎていた。
「すごいじゃない」
「まだまだ、これからだけどな」
サクヤはキャップを握ったまま、しばらく何も言わない。
スタジオには、さっきまで流れていた音楽の余韻だけが残っていた。時計の針が、カチ、カチ、と静かに進む音がやけに大きく聞こえる。
ふと顔を上げると、サクヤがじっとこちらを見ていた。
「なに?」
「……いや」
そう言って視線を外す。けれど、またすぐに私を見る。
昔からそうだ。サクヤは嘘が下手で、隠し事も下手で、言葉にする前の顔が全部わかりやすい。
「才加」
低い声で、名前を呼ばれる。
大きくて力強い手。私を見下ろす背丈。もう、小さかった生徒じゃない。サクヤは21歳の、大人の男だ。
「才加、オレさ――」
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