さみしがりやの末っ子アイドルは、仕事ばかりの30才バツイチに愛されたい <dulcisシリーズ>

はなたろう

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#1〈アイドルとの再会〉

8.オレンジの空

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先日と同じように、入り口で強面の黒服に出迎えられたが、案内されたのは、個室ではなくバーカウンターだった。

薄暗い店内は、カウンターやボトルを照らす間接照明が、艶めかしく光を放っている。壁際には革張りのソファ席が並び、時折、笑い声が聞こえる。


薄暗くて人の顔も認識しずらい。ケイタはどこだろう。


カウンターの端に座っていた男女が1組いた。女性が私に気づくと、にっこりと微笑み手招きした。


「ケイちゃん、いらしたわよ」


その声に振り向いたのは、ケイタだった。


「大変ね、子供のわがままで付き合わされて」


胸元の開いたロングドレスに、夜会巻きと言われるヘアスタイル。夜の蝶であることはすぐにわかった。

同性でもドキッとするような色気がある女性だ。


「うるさいなぁ、もう帰ってよ」

「言われなくても帰るわよ。でも、今度はうちの店にも来てよね。みんな喜ぶから」


ゆっくり余裕たっぷりな様子で椅子から立ち上がると、


「ふふ、あとはよろしくね。杏ちゃん」


むせるような華やかな香りを残し、ヒールの音をさせて去っていく。


「座りなよ」

「うん」


突っ立っているのも間抜けだしね。大人しく従う。


「何を飲む?」


ケイタが軽く手をあげると、バーテンダーがやって来る。

その横顔は、普段のきらびやかなアイドルではなく、夜の世界に染まった影のあるものだった。


「テキーラ・サンライズをお願いします」

「いいね。ボクも同じのを作ってくれる?」

「かしこまりました」


バーテンダーが手際よくカクテルを作る。シェイカーを振る音が響く。


「キレイなオレンジ色」


ガラス張りのテーブル、下からの照明に照らされている。

グラスの中、氷とオレンジ色のリキュールが混ざり、夕陽のようにキラキラと美しい。


「杏ちゃんの色だ」

「あんず色ってこと?」

「空がオレンジ色になると、杏ちゃんが学校から帰って来るからね」


公園で会うと、いつも笑顔で かけ寄ってきた少年は、大人になり、目の前で寂しそうに微笑んでいる。


「オレンジ色は、嬉しい時間が近づくサイン」

「それなら、テキーラ・サンライズじゃなくて、トワイライトだね」


私の言葉に、ケイタが頷く。


「乾杯」


静かにグラスを重ねた。


そして、ケイタは過去を振り返りながら、少しずつ話し始めた。



◆◆◆




ケイタは夜間保育園に行っていた。

普通の子供がおやつを食べている時間が朝ごはん。そのあと、夕方に母親が出勤するまでは公園で遊んでた。

保育園には色々な子供がいたが、みんな共通していたのは、母親が夜の仕事だということ。

深夜、もしくは明け方になると子供を迎えに来る。そんな生活に不満はなかった。


「あの男さえいなければ、人からどう思われても、ボクはそんなに不幸じゃなかった」


男が来ると、母が自分を見なくなることを、幼いながらに感じていた。

耳と目を塞ぎたくなるような光景が度々あった。


ケイタは淡々と語るが、その言葉の裏にある深い闇と痛みで胸がギュッと苦しくなる。あんなに近くにいたのに。


「死ねばいいのにって、毎日、神様にお願いしていたな」


あの日、私が襲われた日をケイタは振り返った。


「杏ちゃんが、殺されたらどうしよう。それだけ怖くて、必死に走ったよ。本気で走ったのは、あのときだけかもね」


圭太君は私の家のドアを何度も叩いた。声が枯れるまで『助けて』と叫んだ。家には母と弟がいた。母はすぐに事態を察して駆けつけ、弟が警察に連絡をした。


「杏ちゃんが無事で良かった。もしものことがあったら、ボクは今は生きてなかったはずだよ」


それから、しばらくは養護施設で暮らした。 
その間、母親とは 数えるほどしか会えなかった。会いに来なかったという方が正しい。


中学時代は祖母と暮らしていた。高校には行かなかった。お金の問題より、気がなかったためだ。定職にもつかずにブラブラしていた。


幼い頃から可愛い顔だったが、 成長とともに磨きがかかる。助けてくれる女性がたくさんいた。衣食住にお小遣い。彼女たちは、ケイタが機嫌よく笑顔でいることを望んだ。

「可愛いだけのペットじゃ、夜の相手まではできないからね」


ヒモのような生活が何年か続いた。先ほどいた女性は、その頃に知り合ったという。


「つまらない毎日でも、夕焼け空を見ると杏ちゃんのことを思い出して、少し気持ちが温かくなったんだ」


18才の頃、渋谷の街で葉山さんに会った。アイドルにならないか?そうスカウトされた。


「その時、思い出したんだ。 杏ちゃんが、ボクにアイドルになればって言ったこと」

「お金持ちになる方法の話をした時のことね」


やってみようと思ったが、入所には親の同意が必要だった。母親に会うことも、何かを頼むことも煩わしく、縁が無かったと断った。

光るダイヤの原石だと確信していた葉山さんは、成人まで待つと言った。


20才の誕生日、事務所に入所した。 
すぐにdulcis〈ドゥルキス〉 のメンバーに入れられ、デビューが決まった。そこからはあっという間だった。


気がつけば、信じられないお金を手にしていたが、幸せだとは思えなかった。


「軽蔑するかもしれないけど、半年前かな、興信所で杏ちゃんの居場所を調べたよ。人の情報なんて、簡単に手に入ること、知らなかったな」

「じゃあ、私が結婚したことも?」

「ショックだった。ボクが結婚するはずだったのに!って、子供の時の約束だよ?笑っちゃうよね」


調べられたことに対して、怒りよりも理解不能な衝撃が全身を駆け巡る。なぜ、そこまで?


「杏ちゃんが離婚したのは僕のせいだ」

「どういうこと?」


元夫の浮気相手は、会社に新しく入った派遣社員だった。

仕事の相談をされている内に彼女と親しくなった。そう聞いた。あのときは、夫と浮気相手の馴れ初めなんて、まるで興味がなかった。


「世の中には、色々なコネを使って、芸能人や著名人と繋がろとする人がいるんだよ。こんな店でやる飲み会なんて、ろくな集まりじゃない」


ケイタのファンだという女性は、偶然にも私の元夫の会社に入ったばかりだった。

いたずら心に火が着いた。上手くいくわけがない。それでも構わない。気づいたら、口から出ていた。


『財務部の田中って男を落とせたら、1度だけ寝てあげるよ』


仕掛けたケイタが驚くほど、とても簡単に話は進んだ。


元夫の言い訳が甦る。


『杏菜は楽しそうに仕事をするから、オレの気持ちなんて分からないよ。あの子は違うんだ。守ってあげたい。そう思わせるタイプの女性なんだ』


ケイタに抱かれたいがために、既婚者にハニートラップをしかけるような女だったのに、何をのぼせたことを言ったのだろうか。


「その女性は女優さん?」

「いや、違うよ。芸能人でもその関係者でもない」


かわそうな元夫。素人の演技にコロッと騙されたなんて。それとも、嘘を見抜けないほどに、癒しを求めていたのだろうか。


「ごめんなさい。杏ちゃんを、傷つけたかったわけじゃないんだ」


バーカウンターには重い沈黙が降りた。グラスの中で氷が溶ける音だけが、やけに大きく響いた。


バッグから電子タバコを取り出した。淡い光とともに、僅かに甘い水蒸気がゆらりと漂った。


「怒らないよ」

「え?」


これまで伏せていた目線を上げ、驚いた顔で私を見た。


「私が離婚した理由は、ケイタのせいじゃない」


どうせ結婚生活は長くは続かなかった。 

理由は簡単。私は彼をそれほど愛していなかった。そして多分、元夫も同じだったと思う。


今は、それよりも気になっていることがある。


「ねぇ、絶対に嘘はつかないで答えて」

「なんでも答えるよ」

「約束よ」


電子タバコをカチッと音を立ててオフにした。

そして、まっすぐにケイタを捉えて尋ねる。


「今回の仕事、ゲンキライブ企画に決まったのも、あなたの計画通りなの?」

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