「ノベリスト」

セバスーS.P

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第07話 突然の距離の接近 1

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 そのあと、彼女は自分の部屋へ戻っていった。
 まだ片づけることがあるらしい。……どうせ、手伝わせてはくれないだろう。
 いずれ本当の意味で信頼を得られたら、そのときこそ力になれるのかもしれない。 

 ふと、思い出す。
 ──そういえば、宿題をまったくやっていなかった。 

 ため息をつきながら机に向かう。
 夜ごはんもまだだったけど、今日はきっと寝る前に食べる時間もないだろう。
 ペンを握り、しばらく問題集を眺めていたが……気づけば、別のことが頭を占めていた。 

「……小説のことだ。」 

 どうしても考えるのをやめられない。
 結局、ノートを開き、指が勝手に動き始める。 

 新しい物語。
 いつもとは少し違う発想のものを書きたかった。 

 ――魔王の息子が、世界で最も強い魔女に育てられる。
 それは、死の間際に父が残した予言よげんを阻止するための運命でもあった。 

 悪くない。
 物語に深みを持たせれば、もっと面白くなるかもしれない。
 ただ、相変わらずタイトルを考えるのは苦手だ……。 

 そんなふうに夢中で書き続けているうちに、時間の感覚を失っていた。
 黒川さんが部屋の扉をノックしに来る気配もない。
 それが少しだけ不思議に思えた。 

 ふと手を止め、スマホを手に取る。
 画面には──午前一時三十分。 

「やば……こんな時間か。」 

 完全に物語に引き込まれていたらしい。
 お腹も空いていることを忘れていた。 

 ドアを開けると、リビングは真っ暗だった。
 外の街灯がカーテンの隙間から差し込み、薄く床を照らしている。
 自分の部屋と違い、明かりはまったくない。 

 テーブルの上に近づくと、小さな保温カバーの下に料理が置かれていた。
 まだほんのり温かい。 

 その隣には、メモ用紙が一枚。 

『ジュースは冷蔵庫に入ってる。』 

 丁寧な字でそう書かれていた。
 小さく笑ってしまう。 

「……ありがとな。」 

 冷蔵庫からグラスにジュースを注ぎ、食卓につく。
 温かいご飯を口に運びながら、静かに「いただきます」とつぶやいた。 

 食べ終えると、また机に向かい、宿題を片づけることにした。
 気づけば夜が明けるまで夢中になっていて、時計の針は午前五時十六分を指していた。 

 椅子から立ち上がると、身体が鉛のように重かった。
 ベッドに倒れ込むように横になると、意識はすぐに遠のいた。 

 ──鳥のさえずりが、朝の訪れを告げる。 

 まぶたの裏が少しずつ明るくなり、ぼんやりとした意識の中で、
 トントン、と軽いノック音が響いた。 

「……黒川さん、だな。」 

 ドアを開けると、予想どおり彼女が立っていた。
 ちょうどノックしようとした手が宙に止まる。 

「もう遅いですよ。早く着替えないと、学校に間に合いません。」 

 いつもの落ち着いた声。
 制服の上にエプロンをかけていて、髪もきちんとまとめている。 

 言葉が出なかった。
 ……正直、少し見とれてしまったのだ。 

 彼女はその視線に気づいたようだったが、特に何も言わず、
 静かにキッチンへと歩いていった。 

(……怒ってないよな?) 

 そんなことを思いながら、慌てて制服に袖を通す。 

 朝食を終えたあと、二人でアパートを出た。
 彼女は食事のあとから一言も喋っていない。
 駅へ向かう道を歩きながら、少しずつ距離が開いていくのを感じた。 

「……どこへ行くつもりですか? 駅はこっちですよ。」 

 そう言われて、初めて違う方向に歩いていたことに気づいた。 

 言われてみれば、確かにその通りだった。自分でも気づかないうちに、駅とは別の方向へ歩いていたのだ。
   慌てて振り返ると、黒川さんが少し訝(いぶか)しげな顔でこちらを見ていた。 

「もしかして、あんまり眠れなかったんじゃない?」 

「………………………」 

「やっぱりね。もう少し寝なきゃだめよ。健康のためにも。
 そうじゃないと、お母さんに言っちゃうかもしれない。……ごめん、でも、あなたの体調とか、私たちの予定が崩れるのは嫌だから」 

 ――え? 俺のことを心配してくれてる……?
 いや、きっとそういう意味じゃない。ただ単に、予定を台無しにしたくないだけだろう。 

「あ、ああ。なるべく早く寝るようにするよ。まあ、保証はできないけど」 

「ふふ、それで十分よ。ちゃんと寝れば、お母さんも安心するはず」 

 そう言って、黒川さんは俺とは違う道――左の細い通り――へと歩き出した。
 少し迷ったが、結局俺もそのあとを追う。 

 ……それにしても、どうして彼女は母さんの話をよくするんだろう。
 まるで、何かを知っているみたいだ。……気のせい、だよな? 

 そんなことを考えながら、俺は少し眠そうな足取りで彼女の背中を追いかけた。 

 *** 

 そして、ようやく学校の近くまで来たとき―― 

「うわっ!」 

 突然、背中にパシンと音が響いた。思わず小さく声を上げる。 

「おはよう、和泉くん!」 

 振り返ると、そこには上機嫌な坂本さんの姿があった。
 彼女はいつものように明るく笑いながら、数メートル先を歩く黒川さんに手を振った。 

「おはよう、黒川。ここで会うなんて偶然ね!」 

 黒川さんは少しだけ顔を向けて、感情のない声で返した。 

「おはよう、坂本さん。……ずいぶん機嫌がいいみたいね」 

「もぉ~、『さん』はやめてよ。同い年なんだから!
 それに、私たち友達でしょ?」 

 友達……?
 あれ、いつの間にそんな関係に? 

 昨日の二人の様子を思い出す。
 むしろ言い争っていたようにしか見えなかったんだけど。 

「別に友達じゃないわ。……というか、私、自分でも友達がいるとは思ってないし。
 でも、そう言うなら、坂本でいいわ」 

「え~!? 友達いないの? じゃあ和泉くんは……あ、男か。へへっ」 

 二人して、同時にため息が出た。
 そして、何も言わずにそのまま校門へ向かって歩き出す。 

 ……眠い。ほんと、立ったままでも寝れそうだ。 

 そんな俺の様子を見た坂本さんが、にやりと笑った。 

「ねえ、和泉くん。まさか徹夜したの? 何してたの?」 

 彼女は俺より少し背が低いのに、腕を取って自分の肩に回し、支えるように歩き始めた。
 まるで本当に心配しているみたいに。 

 一方で、少し前を歩く黒川さんは、その様子にまったく気づいていなかった。 

「ありがとな、坂本さん。本当に助かるよ。どうお礼したらいいかな」 

「じゃあ……デートでも──」 

 小さく、聞こえないほどの声。
 思わず聞き返す。 

「え? 今なんて言った?」 

「な、なんでもないっ!」 

 顔を真っ赤にしてそっぽを向く坂本さん。
 それ以上は聞かないでおくことにした。 

 だが、すれ違う生徒たちの視線を感じた瞬間、
 彼女の表情が――さっきまでの明るい笑顔から、氷のように冷たい無表情へと変わった。 

 彼女は俺をその場に残し、何事もなかったように歩き出した。
 ――いつものことだ。正直、もう慣れている。 

 黒川さん曰(い)わく、「そういう性格だから」らしい。
 誰とも群れず、誰にも興味を持たない。
 ……誰にも変えられない、と。 

 それでも、俺だけは知っている。
 その言葉の裏に、彼女自身の不器用な優しさが隠れていることを。 

 とはいえ、今の彼女はまるで逃げるように早足で歩いていき、
 俺と坂本さんをあっという間に置いていった。 

 黒川さんはその背中を、少し驚いたような表情で見つめていた。
 その視線には、「地位を守りたい女の子なのか、それともただの自己中心的な人なのか」――
 そんな疑問が浮かんでいるように見えた。 

 ……いや、俺は何を考えてるんだ。そんなこと気にしてどうする。 

 そうして歩いているうちに、気づけば校門が見えてきた。
 思ったより早く着いたらしい。 

 昨日、夜更かししたことを少し後悔していたけど……
 今は、不思議と後悔していない。あの時間は確かに意味があった気がする。 

 *** 

 教室に入ると、ざわついた空気が一気に俺を包み込んだ。
 黒川さんとは少し距離を置き、数歩後ろを歩く。
 ――変に注目されたくないからだ。 

 それでも、背中に視線が突き刺さる。
 昨日の放課後のことが、すでに誰かの噂になっているのだろう。 

「………………」 

 教室の中を通るたびに、ひそひそとした声が耳に届く。
 この息苦しい空気、どうすればいいんだ……。 

 今は無視するしかない。もうすぐ授業が始まる。 

 席に座り、机の陰でスマホを開いた。
 こっそり黒川さんにメッセージを送る。 

 [授業が始まる前に、少し話せる?] 

 送信。
 だが、彼女の画面には「既読」の文字がついたまま、返信はない。 

 ……興味ないってことか? 

「……何の用?」 

 突然、耳元で冷たい声がして、思わず肩が跳ねた。
 振り向くと、すぐ横に黒川さんが立っていて、冷ややかな視線をこちらに向けていた。 

 ……まさか、本当に“話す”ために来たのか。
 今度からは、もっと具体的に書くようにしよう。 

 その瞬間、教室中の視線がまたこちらに集まった。
 まるで時間が止まったかのように、全員の目が俺たちに向く。 

 ――やばい、これはマズい。 

「あとで話す。」 

 できるだけ小さな声でそう告げ、机の下のスマホを目線で示す。 

 黒川さんは何も言わず、静かに頷いて自分の席へ戻っていった。
 すると、不思議なことに、教室に漂っていた視線も次第に消えていった。 

 その隙に、俺は再びスマホを開いてメッセージを打つ。 

 [どういう関係でいくか、決めておいたほうがいい。
 間違えたら、全部バレるかもしれないから。] 

 送信。数分の沈黙。 

 そして、チャイムが鳴る直前に、ようやく返信が届いた。 

 [家で話そう。] 

 ――それだけ。
 だが、その一言で、少しだけ胸の奥のざわめきが落ち着いた気がした。 

 では、いつも通りに振る舞えばいいのかもしれない。 

 そう思ったのが、授業が始まる直前のことだった。
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