「ノベリスト」

セバスーS.P

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第08話 突然の距離の接近 2

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 *** 

 午前中の授業がようやく終わり、待ちに待った昼休みがやってきた。
 ――いや、正直に言えば、けっこう楽しみにしていた。 

 黒川(くろかわ)さんが作ってくれた弁当(べんとう)を食べるのが。
 ……とはいえ、誰かに中身を見られたら、ちょっと気まずい。
 同じおかずが入っていたら、一発でバレる。 

「はぁ……」
 小さくため息をつきながら、教室を出ようかどうか迷っていたそのとき。 

 扉の向こうから、見慣れた顔がひょっこりと現れた。 

 そして――まるでそれが当然のことのように、真っ直ぐこちらへ歩いてくる。 

「よかった、間に合ったみたい。ひとりで食べさせるわけにいかないでしょ?」 

 そう言って笑ったのは、坂本(さかもと)さんだった。
 どうやら、俺が待っていると思っていたらしい。 

 一方で、黒川さんはちらりとこちらに視線を向けただけで、すぐにスマホへ目を戻した。
 指先が軽やかに動いている。どうやら、昨日の続きを――つまり、例の小説のことを書いているようだ。
 ……まだ、あの「設定」について決めていなかったのに。 

 しばらくして、坂本さんが俺の前に立つ。だが次の瞬間、彼女の目線は黒川さんの方へ向かっていた。 

 そして、何のためらいもなく近づいていく。
 黒川さんは気づかない。完全に画面に集中していた。 

 ――と思った次の瞬間。 

「わっ!」
「きゃあっ!?」 

 坂本さんが後ろから抱きついたのだ。まるで昔からの親友のように。
 突然の出来事に、黒川さんの肩がびくんと跳ねた。 

 ……なんだこれ、仲良しアピール?
 いつの間にそんな関係になったんだ? 

 今朝の黒川さんの態度を思い出す。
 あれは、どう見ても“友達に対する態度”じゃなかった。 

 ――きっと、信頼を得ようとしてるだけなんだ。 

 二人のやり取りを見ていると、性格の対比がはっきりしていた。
 明るく人懐っこい坂本さんと、無表情で控えめな黒川さん。
 まるで、漫画に出てくる正反対なコンビみたいだった。 

「真希(まき)ちゃん、真希ちゃん~」 

「ちょ、ちょっと! いきなり名前で呼ばないで。まだそんな仲じゃないでしょ……」 

 必死に距離を取ろうとする黒川さん。
 だが、坂本さんにはそんなこと通じない。 

「まあまあ、いいじゃん。それより、一緒にお昼どう? 和泉(いずみ)くんもいるし!」 

 思いがけない提案に、黒川さんは一瞬だけ目を瞬かせた。
 驚き……いや、戸惑いの色を浮かべる。 

「わたしが一緒でいいの? 二人の時間を邪魔するんじゃ……」 

「そんなことないって! むしろ歓迎だよ。ね、和泉くん?」 

 急に話を振られて、言葉に詰まる。
 ……どう答えればいいんだ、これ。 

「それにさ、ひとりで食べるのも寂しいでしょ? ね?」 

 そのとき、坂本さんの視線が黒川さんの手元に止まった。
「ん? それって、もしかして小説書いてる?」 

 ピタリと動きを止める黒川さん。
 そして、無言のまま鋭い視線を坂本さんに向けた。 

(……やっちゃった、かも)
 坂本さんの顔に一瞬だけ、そんな表情が浮かぶ。 

 教室にいた数人の生徒たちの視線が、二人へ集まった。 

「ご、ごめん! 間違えた! 小説じゃなかったよね! あはは……」
 頬を赤くしながら誤魔化す坂本さん。
 それでも、すぐに笑顔を取り戻して言った。 

「で、結局どうする? 一緒に行こっ?」 

 黒川さんは少し考えたあと、小さく息を吐いて。 

「……わかった。行くわ」 

 その短い返事が、まるで“降参”のように聞こえた。 

 ……結果的に、黒川さんが誰かと一緒に昼食をとるのは、これが初めてだった。
 周囲の好奇の視線が、やけに痛い。
 だが、不思議と――その光景が少しだけ、温かくも感じられた。 

「和泉くん、もう行くよ。ちょっと待っててね」 

 坂本さんが軽く手を振りながら言った。
 その声を聞きながら、なんとなく胸の奥がざわつく。彼女の「待っててね」が、なぜか全校に響き渡りそうな気がした。 

 ……嫌な予感しかしない。 

 案の定、周囲の視線が一斉にこちらへ向く。
 昼休みのざわめきの中で、自分だけが浮いているような気がして、思わず視線を逸らした。
 だが、それでも二人は迷うことなくこちらへやって来る。 

 黒川さんは手にした弁当箱を静かに机の上へ置き、僕の隣の空いた椅子を引いた。
 坂本さんはその正面、つまり僕の向かいに腰を下ろす。
 いつの間にか教室の空気が和らぎ、注がれていた視線も少しずつ散っていった。 

「それにしても不思議ね。ずっと一緒に食べてるのかと思ってたけど、見たことなかったなぁ。幼なじみなんでしょ?」 

 ――そう来たか。 

 黒川さんがここに座ることを受け入れた理由が、ようやく分かった気がした。
 けれど、僕には一つだけ恐れていたことがあった。
 それは――弁当の中身がまったく同じだということ。 

 彼女も気づいている。
 僕の方をちらりと見て、小さく眉を寄せたその表情がすべてを物語っていた。
(どうしようか……言い訳、考えないと) 

 そして三人同時に弁当のふたを開けた、その瞬間。 

「……え?」 

 まさかの展開に、思わず息をのむ。
 僕と黒川さんだけでなく――坂本さんの弁当まで、ほとんど同じだったのだ。 

 オムレツ、卵焼き、ウインナー、ブロッコリー、そして隅に詰められたプチトマト。
 まるで打ち合わせでもしたかのように、彩りまでそっくりだった。 

「うわっ、なにこれ!すごい偶然じゃない!?」 坂本さんが目を輝かせて言った。 

 黒川さんは少し驚いた様子で、でもどこかホッとしたように微笑んだ。
「……そうね。偶然って、あるものなのね。」 

 助かった――僕は心の中で大きく息を吐く。 

「和泉くん、このお弁当、自分で作ったの?」 

「え? あ、ああ……うん、自分で。」 

(ごめん、黒川さん……!) 

「へぇ~すごい!見た目もきれい。ちょっと味見してもいい?」 

 その笑顔は、まぶしいほど素直だった。
 黒川さんと僕だけが知っている“裏事情”など、微塵も感じさせない。 

「えっと……うん、どうぞ。」 

 坂本さんは嬉しそうに箸を伸ばし、ウインナーをひとつ取って口に運ぶ。
「ん~っ、おいしい!ほんとに料理上手なんだね!」 

 その勢いのまま、今度は黒川さんの弁当にも興味を示し、
「そっちもいい? 卵焼きがすごくおいしそう~」と聞きながら、遠慮なく箸を伸ばした。 

 黒川さんは一瞬戸惑ったものの、すぐに小さく頷いた。
「……いいわよ。」 

 そうして昼休みの時間は、穏やかに過ぎていった。 

 チャイムが鳴り、静かな午後が戻る。
 坂本さんは満足げに大きく伸びをして笑った。 

「ふぁ~、おいしかったぁ。これからは毎日こうしよっか。ねっ、真希《まき》ちゃん!」 

「……だから、その呼び方やめてって言ってるでしょ。」 

「じゃあ、“真希”だけで。」 

「……好きにすれば。」 

 黒川さんは半ばあきれたように小さくため息をつく。
 それを聞いた坂本さんが、今度は逆に嬉しそうに言った。 

「じゃあ、私のことも“坂本”って呼んでよ。フェアでしょ?」 

「……分かったわ、坂本。」 

「やったー!それってもう友達ってことだよね!?」 

 満面の笑みでそう言う彼女を見て、黒川さんは再び深いため息をついた。
 けれど、その頬はほんの少しだけ、緩んで見えた。 

「好きにすれば。」 

 黒川さんがそう言って、二人の会話はひとまず終わった。
 坂本さんは満足げに笑い、黒川さんは――いつものようにそっけなく、それでいてどこか照れくさそうに見えた。
 まるで、見た目だけなら完璧なツンデレそのものだ。 

「じゃあ、私はもう行くね。和泉くん、真希。またあとで。」 

「うん、またあとで、坂本さん。」 

「うん、またね。」 

 二人が軽く手を振り合い、昼休みのざわめきが少しずつ遠のいていく。
 机の上には、まだ温もりの残った弁当箱。
 その静けさの中で、僕の頭にひとつの不安がよぎった。 

 ――まさか、このまま三人で帰ることになるのか? 

 胸の奥がざわりとした。
 もし坂本さんが僕たちの“秘密”に気づいたら……?
 一緒に暮らしているなんて、どう説明すればいい? 

 言葉を探しているうちに、黒川さんがそっとこちらを見た。
 その瞳はいつも通り冷静で、けれど不思議と落ち着いていた。 

「心配しなくていいわ。もし何かあっても、ちゃんと考えてあるから。」 

 その一言に、僕は息を飲んだ。
 頼もしさというより、覚悟のようなものを感じる。
 冷たい視線の奥に、確かに“守る”という意志があった。 

「……そっか。」 

 僕は小さくうなずいた。
 それでも、不安が消えるわけではない。 

 坂本さんは勘がいい。
 少しの違和感でも、すぐに察してしまう。
 そして、もう一つ――もっと厄介な問題が残っている。 

 ……母さんのことだ。 

 黒川さんと一緒に住んでいるなんて、どう説明すればいい?
 いや、説明しても理解してもらえる気がしない。
 頭の中で何度も言葉を探しては、ため息に変わる。 

 窓の外では、午後の光が校舎の壁を淡く照らしていた。
 静かな時間の中、僕はただ、胸の奥に溜まる“現実”の重みを感じていた。 

 ――まあ、なるようになるさ。
 そんな強がりを、心の中で何度も繰り返しながら。
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