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終章
◆醒めない夢 篇①
***
上も下もない闇。
そんな世界に堕ちた筈の私は。
手を伸ばし、声を上げて、あらん限りの力で彼を。
彼の名を呼んだ。
「桐原――……っ!!」
此処に、いるんだろう……?
私の、傍に。
私は。
私達は。
お互いを――強く望んでいる……
気付けば、いつの間にか光の中にいた。
ゆっくりと目を開く――
***
……午後の暮れかかった柔らかな光が、サンルームに差し込んでいる。
開かれたステンドグラスの扉の向こう、翠の芝生が鮮やかな中庭では、華夜が仔犬と戯れている声が聞こえた。
小さなアンティークテーブルの上に置かれた碁盤を挟んで、私は桐原と差し向かいに座っていた。
「……君の番だよ」
優しく促す桐原の声。相変わらず、どこか甘えるような。心地良く耳を擽るテノール。
いつもの風景だった。
華夜と、私と、桐原と。
三人で、イーゼルを立て、キャンバスを囲み、絵を描いて。
その後のお茶会。
華夜の好きなレモンティーの香り。
ああ、そうだ。これが私の日常ではないか……
「――夢を見ていたよ。恐ろしい夢だった。どうしてあんな夢を見てしまったんだろう……」
「一体どんな夢だったんだ?」
私は一瞬、息を呑み。
そして包み隠さずに、答えた。
「……君を、傷つけて――私の記憶の中から、何もかも、全て。消してしまいたいと思う夢だ」
それをどう思ったのか、桐原は静かに笑っていた。
柔らかな光が満ちる部屋で――
その中で、私は。初めて見るかのように桐原の顔を見た。
彼の微笑みは、いつもの不敵なものではなく、時折見せていたあの笑みだった。
優しげで、どこか哀しそうな。
何か問いたげな、その瞳に揺れるのはどんな感情なのだろう。
――知りたい。
君の本心が知りたい。
強くそう思った。
私が知ろうとしなかった君の憂い、哀しみ――怒りや、憎しみでもいい。
君が見せまいとした感情の全て。
そして私が見せられなかった感情の全て。
お互いがお互いを想う余り、醜さを、身勝手さを隠そうとして。
このまま行けば、私達は永遠にすれ違ってしまう――……
そんな気がした。
私は、意を決して。その想いを言葉にする。
「桐原――済まない」
「……どうしたんだ、急に」
「私は、君の友でいる資格がないらしい」
「!」
急な告白に、彼は驚いた表情になった。
「君と、華夜を――誰より大切に思っている。だけど、祝福できないんだ」
「それは……何故?」
「それは――」
言ってしまえば、確実に終わるものがある。唯の友人には戻れなくなる。
――それでもいい。
そう思った。
もっと大切な何かを、永久に喪うよりは。
「君を、愛してるからだ」
顔を上げられない。
私は自尊心ばかりが大きくて、本当に惰弱な男だと思う。
「ずっと君が、君だけが――欲しいと思ってた……けれど、こんな事を言って君との時間を失いたくなかったから、何も言えなかった。唯の、仲の良い友人でいる事に、必死になって――心を取り繕っていたんだ」
「……………」
桐原は何も言わない。
答えはない。
きっと困っているのだ。
この感情が罪でも。
穢らわしいと言われても。
この先、隣りに立つ事が二度と出来なくなるのだとしても――
私は――私の心を殺さなかった。
この先もずっと心を殺して、仮面の様に笑顔を貼り付けて、二人の前に立つ。
そんな未来を選択する事を止めたのだ。
「時間が経てば、きっと心からおめでとうと言えると思う……だが、今は済まない。こんな醜態を晒すことを許して欲しい……」
涙が堰を切った様に溢れ――止めどなく頬を濡らしていた。
この心に偽りは無い。後悔も無い。
けれど、私達の関係は終わるのだろう。
大の男が人前で落涙するなど……これまでの私なら、決して出来ない事だったに違いない。
「千種………」
上擦った声で私の名を呼び、桐原が手を伸ばしてくる。
指先が、微かに震えていた。
親指で私の涙を拭う。
優しい仕種に胸が傷む。
「済まない、君を困らせる気は、な――」
私は言葉を継げなくなった。
――息が出来ない。
頭が真っ白になる。
桐原の唇が、私の唇を塞いだからだ。
「千種……千種、千種」
「き、桐原……っ……?」
何が起きているのか、全く分からない。
桐原が、私に口付けて。
私を抱き締めている……?
上も下もない闇。
そんな世界に堕ちた筈の私は。
手を伸ばし、声を上げて、あらん限りの力で彼を。
彼の名を呼んだ。
「桐原――……っ!!」
此処に、いるんだろう……?
私の、傍に。
私は。
私達は。
お互いを――強く望んでいる……
気付けば、いつの間にか光の中にいた。
ゆっくりと目を開く――
***
……午後の暮れかかった柔らかな光が、サンルームに差し込んでいる。
開かれたステンドグラスの扉の向こう、翠の芝生が鮮やかな中庭では、華夜が仔犬と戯れている声が聞こえた。
小さなアンティークテーブルの上に置かれた碁盤を挟んで、私は桐原と差し向かいに座っていた。
「……君の番だよ」
優しく促す桐原の声。相変わらず、どこか甘えるような。心地良く耳を擽るテノール。
いつもの風景だった。
華夜と、私と、桐原と。
三人で、イーゼルを立て、キャンバスを囲み、絵を描いて。
その後のお茶会。
華夜の好きなレモンティーの香り。
ああ、そうだ。これが私の日常ではないか……
「――夢を見ていたよ。恐ろしい夢だった。どうしてあんな夢を見てしまったんだろう……」
「一体どんな夢だったんだ?」
私は一瞬、息を呑み。
そして包み隠さずに、答えた。
「……君を、傷つけて――私の記憶の中から、何もかも、全て。消してしまいたいと思う夢だ」
それをどう思ったのか、桐原は静かに笑っていた。
柔らかな光が満ちる部屋で――
その中で、私は。初めて見るかのように桐原の顔を見た。
彼の微笑みは、いつもの不敵なものではなく、時折見せていたあの笑みだった。
優しげで、どこか哀しそうな。
何か問いたげな、その瞳に揺れるのはどんな感情なのだろう。
――知りたい。
君の本心が知りたい。
強くそう思った。
私が知ろうとしなかった君の憂い、哀しみ――怒りや、憎しみでもいい。
君が見せまいとした感情の全て。
そして私が見せられなかった感情の全て。
お互いがお互いを想う余り、醜さを、身勝手さを隠そうとして。
このまま行けば、私達は永遠にすれ違ってしまう――……
そんな気がした。
私は、意を決して。その想いを言葉にする。
「桐原――済まない」
「……どうしたんだ、急に」
「私は、君の友でいる資格がないらしい」
「!」
急な告白に、彼は驚いた表情になった。
「君と、華夜を――誰より大切に思っている。だけど、祝福できないんだ」
「それは……何故?」
「それは――」
言ってしまえば、確実に終わるものがある。唯の友人には戻れなくなる。
――それでもいい。
そう思った。
もっと大切な何かを、永久に喪うよりは。
「君を、愛してるからだ」
顔を上げられない。
私は自尊心ばかりが大きくて、本当に惰弱な男だと思う。
「ずっと君が、君だけが――欲しいと思ってた……けれど、こんな事を言って君との時間を失いたくなかったから、何も言えなかった。唯の、仲の良い友人でいる事に、必死になって――心を取り繕っていたんだ」
「……………」
桐原は何も言わない。
答えはない。
きっと困っているのだ。
この感情が罪でも。
穢らわしいと言われても。
この先、隣りに立つ事が二度と出来なくなるのだとしても――
私は――私の心を殺さなかった。
この先もずっと心を殺して、仮面の様に笑顔を貼り付けて、二人の前に立つ。
そんな未来を選択する事を止めたのだ。
「時間が経てば、きっと心からおめでとうと言えると思う……だが、今は済まない。こんな醜態を晒すことを許して欲しい……」
涙が堰を切った様に溢れ――止めどなく頬を濡らしていた。
この心に偽りは無い。後悔も無い。
けれど、私達の関係は終わるのだろう。
大の男が人前で落涙するなど……これまでの私なら、決して出来ない事だったに違いない。
「千種………」
上擦った声で私の名を呼び、桐原が手を伸ばしてくる。
指先が、微かに震えていた。
親指で私の涙を拭う。
優しい仕種に胸が傷む。
「済まない、君を困らせる気は、な――」
私は言葉を継げなくなった。
――息が出来ない。
頭が真っ白になる。
桐原の唇が、私の唇を塞いだからだ。
「千種……千種、千種」
「き、桐原……っ……?」
何が起きているのか、全く分からない。
桐原が、私に口付けて。
私を抱き締めている……?
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