テイル・オブ・テール

ハシバ柾

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第四話 はじめての町

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 キーリをくわえて、八人になった西部キャラバンが荒野を進みはじめてから、二週間と少し。ほとんど変わらない景色の中を、昼はゆっくりと進み、日が沈めば休む。ずっと、そのくり返しだ。ナヴァドゥルールのように怪物と戦うどころか、ねずみなどの小動物に出会うことさえまれだった。

 今朝、最後尾の荷台に乗ったキーリと、その隣に座っていた若い荷運び人フリッツは、おなじ感情でおたがいの心がつながったのを感じていた。二人とも、ひどくたいくつだったのだ。
 そんな二人を見かねたユエンが、リュートを奏ではじめる。

「かつて、人々の多くが冒険にあこがれた時代がありました。今から半世紀も前の話になりますが」

 キーリとフリッツは、そろって目をかがやかせ、ユエンの話に耳をかたむけた。

 ユエンが語るところによると、このごろはほとんど見られなくなってしまったが、今から五十年ほど前の人間たちは、その多くが冒険にあこがれたのだという。キーリが体を洗ったあの水場も、西部旅行がさかんだったころに作られたものであるらしい。
 彼らは、誰も足を踏み入れたことがない地をいちばんに制覇しようと、こぞって冒険にくり出した。旅のなかで命を落とした者も少なくなかったが、彼らの功績があるからこそ、この五十年のうちに、人間たちの住む領域は大きく押し広げられたそうだ。

「今では誰もが知る『ナヴァドゥルール物語』も、多くの冒険者が現れては、はかなく命を散らしていたその時代に書かれたものだとか。数え切れないほどの人間が挑んだにもかかわらず、誰ひとりたどり着けなかった地へのあこがれが『ナヴァドゥルール物語』を生んだのでしょうか……。では、そのころの歌をひとつ」

 聞き手たちが大きくうなずくのをたしかめてから、ユエンは、演奏の調子を変えた。はじまったのは、リュートの音色によく似合う、軽やかな調子の曲だ。

『陽気な男が町を去る 酒と踊りと冒険が大好きな男
「おまえさん、今度はどこへ?」「ちょっと西まで」
ちょっと西までだって! ああ、なんて間抜けな男!
酒瓶片手に ふらふらと町を出る 

消えた男を追いかける娘 両手に抱えた桶に水
「おまえさんまで、どこに行く?」「ちょっと西まで」
ちょっと西までだって! ああ、なんて間抜けな娘!
酔った恋人に 水をかけてやるんだと』

 おどけたような歌い方に、キーリとフリッツは、くすくすと笑った。歌い終わったユエンが、歌に説明を付けくわえる。

「冒険を甘く見た冒険者をからかう歌です。当時の歌には、同じような内容のものがたくさんありますよ。もちろん、歌の主人公が死んでしまうものも。当時の冒険者たちの苦労と経験が、現在の旅の工夫につながっているのです。手ぶらでは、この広い荒野を渡ることができない……当たり前に聞こえることですが、その事実が広まるまでに、多くの冒険者が死にひんしたといいます」

 この話は、笑っていた聞き手たちを複雑な気分にさせた。
 人々の知恵が、その前に生きた誰かの経験によってできているというなら、自分の経験も、いずれは誰かの役に立つことになるのだろうか? キーリがそんなことを考えはじめたとき、前方の荷馬車から、こちらに呼びかける声が聞こえてきた。

「おうい、町が見えてきたぞ!」

 それを聞いたキーリは、フリッツの手をかりて、荷台から身を乗り出した。まだずいぶん遠いが、たしかに、行く先に町らしき影が見えはじめている。
 はじめての町だ。キーリは、興奮にしっぽを揺らした。

――

 西部キャラバンが町にたどり着いたのは、昼ごろのことだった。
 キーリとユエンは、仕事があるという商人、雑務係、荷運び人、そして荷馬車をひくラバたちに、いっときの別れを告げた。彼らは市場の裏にある倉庫街に、キーリとユエンは市場に、それぞれ向かうことになった。

 昼の市場は、昼食をもとめる人々で混みあっていた。
 人間、とくにおとなは、キーリから見るととても大きい。キーリは、彼らの腰ほどもないのだ。大きな生きものが隙間なく通りを埋めつくしているさまを見たキーリは、思わず、しっぽを足の間に巻きこんだ。
 ユエンが、すっかり気後れしてしまったキーリのマントをととのえ、やさしく背中をさする。

「見ての通りだから、はぐれないように気をつけるんだよ。私のそばからはなれないようにね。そうだ、手をにぎっていようか?」

 本当は手をにぎっていてほしかったが、キーリは、首を横にふった。人間たちの中ではぐれるおそろしさよりも、幼い子どものようにあつかわれる恥ずかしさのほうが勝ったのだ。

「君がだいじょうぶというなら、だいじょうぶだということにしておこう。それじゃあ、昼食にしようか。なにがキーリの口に合うかな」

 ユエンが立ち止まって考えこんでいると、しだいに、彼のまわりに子どもたちが集まってきた。自分より体の大きな人間の子どもたちを見て、キーリはひるんでしまった。
 子どもたちは、そんなキーリにかまわず、目をかがやかせている。

「おじさん、歌を歌う人でしょう?」

「歌って、歌って!」

 ユエンは、目をしばたたいて、自らの頭に手をやった。彼の頭には、荷台を降りるときにかぶったままの、羽根飾りのついた帽子がのっている。

「しまった、帽子をかぶったままだったな。バードが帽子をかぶっていると、〈いつでも歌えますよ〉という意味になるんだ。ごめんよ、キーリ。すこし待っていてくれ」

 ユエンはそう言うと、人通りのじゃまにならないかどの方に子どもたちをうながした。
 彼は、いすになりそうな木箱をひっぱってくると、リュートの包みをほどく。そして、『ナヴァドゥルール物語』の、ナヴァドゥルールが〈世界のはじまり〉にたどりつくくだりを語り出した。ナヴァドゥルールの旅の終わり、キーリが何度も読んだところだ。
 ユエンの澄んだ声は、人ごみの中でもよく通る。しだいに、ユエンのまわりには、子どもだけでなく、おとなたちも集まりはじめた。輪の中心にいるユエンの姿は、すぐに見えなくなってしまった。

 物語の結末を知っているためか、キーリの注意は、しだいにユエン以外のところに向きはじめた。

 大きな人間たちに合わせて作られた、縦に長い建物がぎゅうぎゅうに詰まった街並み。家々の多くは石造りで、色あざやかな三角屋根をのせている。窓枠や扉も塗料に彩られていて、住居というより飾りもののようだ。
 敷石で舗装された地面は、踏みつけるたびに、軽い音をたてる。土がむき出しの地面に慣れているキーリには、足の裏に伝わってくるかたい感触が新鮮だった。
 いっしゅんたりとも静かになることがないせいか、キーリは、耳の奥がくすぐられているような感覚におちいった。石畳を歩く靴音、誰かの話し声、食べものを焼いている音。馬車だろうか、車輪の音も聞こえる。

 そんなとき、キーリは、すぐそばの路地で、何かが動いたのを見た。全身に毛の生えた、小さな生きものだ。キーリは、ユエンのまわりにできた人の輪をそっとはなれて、その生きものに近づいた。

 大通りから、一歩路地に踏みこむと、急に太陽の光が届かなくなる。ひんやりとした暗がりに、キーリは、犬よりも丸みのある三角形の耳に、縦長の瞳孔、それに、〈しっぽ人〉のしっぽによく似た、長いしっぽを見た。
 目の前の生きものが〈猫〉だと気がついたキーリは、思わず、こうつぶやいた。

「猫って、本当にいるんだ……」

 〈しっぽ人〉にとって、しっぽとは、神さまとのつながりだ。そのため、長いしっぽを持っている猫もまた、尊い生きものなのだ。けれども、〈しっぽ人〉の集落に猫はいない。キーリも、服や壁掛けの刺繍などの中でしか猫を見たことはなかった。

 目の前の猫は、体全体が、キーリのしっぽと同じような色合いをしている。キーリが自分のしっぽをゆらすと、猫のほうもキーリに興味を示したらしく、飴色のしっぽをゆらして〈ニャオン〉と鳴いた。
 キーリは、猫が〈ニャオン〉と鳴くことを知って、とてもおどろいた。犬なんかとは、似ても似つかない鳴き声だ。

 そのうち、猫はキーリから顔を背けて、狭い路地の向こうへと歩きはじめた。
 どこへいくのだろう? キーリは、猫を追いかけたくなった。はぐれないようユエンに言われていたが、ユエンの演奏はまだ終わっていないし、あまり遠くまで行くつもりもなかった。キーリは、縫い上げられたチュニックのすそをにぎりしめ、路地の奥へと進んでいった。

 猫を追って、薄暗く、いりくんだ路地をしばらく行ったところで、キーリは人の声を聞いた。猫が向かっていった方向に、誰かいたようだ。キーリは、物かげにかくれて、声のするほうをうかがった。
 のぞき見た先では、人間がひとり、地面にしゃがみこんでいた。暗がりの中で、明るい金色の髪がかがやいている。キーリが追いかけてきた猫は、その人間の足元にうずくまっていた。

「よしよし、たくさんお食べ。まだあるからね……」

 人間は、鈴の音のように澄んだ声でそう言うと、猫の頭をなでた。猫は、顔も上げずにうずくまったままだ。
 ふと、人間のほうが立ち上がる。振り返った人間と、かくれていたキーリの目が合った。

 キーリは、その人間をじっと観察した。まだ子どもなのだろうが、キーリよりも、だいぶ背が高い。体のおうとつはほとんどないように見えるものの、かわいらしい顔立ちに、肩まで伸ばした髪のせいで、その人間が男なのか、女なのか、キーリにはわからなかった。
 金色の髪に緑のひとみというなじみのない取り合わせも、キーリの目にはふしぎに映る。〈しっぽ人〉の髪やひとみは、黒に近い色をしているのがふつうなのだ。

「おまえも、やる?」

 人間の子どもは、そう言いながら、キーリに手を差し出す。手のひらの上には、薄い紙に包まれた、干し肉の切れ端がおかれていた。
 どうやら、相手に敵意はなさそうだ。キーリは、おずおずとその子どもに歩み寄り、肉のかけらを見つめた。

「あの……。これ、どうするの? 食べるには、ちょっと小さい気がするけど……」

「あはは! おまえが食べるんじゃなくって、猫のえさだよ。猫にあげるの。ほら、こんなふうに」

 子どもはそう言うと、干し肉のかけらを猫の足元にころがした。口のまわりをなめていた猫は、肉のかけらに気がつくと、すぐにかじりつく。

 キーリは、子どものとなりにしゃがみこんで、猫を見つめた。
 長いしっぽを持つ生きものは、神さまの使いであるとされている。そんな生きものが人のやったえさに夢中になるようすを見たキーリは、とても悪いことをしているような気持ちになった。一方で、キーリは、この状況にふしぎな高揚感を抱いてもいた。それが、キーリをさらにとまどわせた。

「かわいいだろ。こんなに夢中で食べてる」

 キーリの事情を知らない子どもが、猫の頭をなでる。やわらかそうな頭にさわりたくなったキーリだったが、のばしかけた手を、なんとか引っこめた。
 そんなキーリを見て、人間の子どもは、「おまえ、猫がこわいんだ」と笑った。その言い方は、キーリをばかにしたようなものではなく、ただおもしろがっているといったふうだ。

「変わった服を着てるね。どこからきたの? おれ、近くの町までなら行ったことがあるんだ。けど、おまえみたいな服装のやつは見たことがない」

「ええっと、西の山脈のほうから……」

「西の山脈? あんなところに住んでる人がいるの?」

 少年――自分のことを〈おれ〉と呼んでいるのだから、きっと男なのだろうとキーリは思った――は、おどろいて、きれいな緑色のひとみをしばたたいた。

 キーリにとっては当たり前にあるものだが、人間から見れば、しっぽはめずらしいのだ。しっぽのことはかくしておくべきだろうか? キーリはそう思ったが、キーリの考えに反して、しっぽは勝手に動いてしまっていた。
 キーリのマントが不自然に動いているのに気がついた少年が、マントのすそに手を伸ばす。

「君、背中に何隠してるの。動物? ちょっと見せてよ」

 キーリが答える前に、少年は、遠慮なくキーリのマントをめくり上げた。キーリはあわててしっぽを丸めようとしたが、間に合わなかった。
 どんな反応がかえってくるかと不安になったキーリに対して、しっぽを見た少年は、興奮したようすで声を上げる。

「うわあ! このしっぽ、本物? 触られたらわかるの? 自由に動かせる?」

「え? あ、うん。勝手に動いちゃうときの方が多いけど……」

「すごいや! もっとよく見せてよ」

 キーリがうなずくと、少年はしっぽを手に取って、はしからはしまで、じっくりとながめた。
 〈しっぽ人〉の間では、他人のしっぽをさわるのはよくないこととされている。けれども、しっぽのない少年は〈しっぽ人〉のきまりも知らないだろうし、少年があんまりしっぽをほめてくれるものだから、キーリも悪い気はしなかった。
 ユエンが言うほど人間はおそろしくないし、人間の前でしっぽを出すことも、危険ではなさそうだ。むしろ、そうしていれば、たくさんの人間がしっぽをほめてくれるかもしれない。

「おれの家、ちょっとした料理店なんだ。このあたりの料理とか、ごちそうするからさ。しっぽの話とか、西の方の話とか、いろいろ聞かせてよ。そのしっぽだって、もっと見たいし。急いでいるなら、少しでもいいからさ。どう?」

 少年にそう言われて、キーリは、ユエンのことを思い出した。
 ユエンの演奏は、もう終わってしまっただろうか? もしかすると、ユエンがキーリをさがしているかもしれない。早く戻らないと、はぐれてしまう。

 けれどもキーリは、たとえはぐれても、ユエンを見つけるのは簡単だから平気だ、と思い直した。なにしろ、ユエンのはでな格好は、たくさんの人間の中でも目立つのだ。何より、キーリは、この少年ともっと話してみたかった。

 〈しっぽ人〉の集落で、キーリは、すこし変わった子どもだった。どこがどう変わっているのかキーリ自身にはよくわからないのだが、なぜだか、同じ年ごろの子どもとは話が合わず、むりにかかわろうとしても、けんかになったり、相手の話がつまらないと感じるばかりだった。それで、キーリは本を読むのが好きになったのだった。

 けれども、この少年は、集落の子どもたちの誰とも違うようだ。キーリは、少年と友達になれそうな予感に、胸が高鳴るのを感じた。



 少年は、ウィルと名乗った。キーリはウィルに連れられて、迷路のような路地の先、一軒のこぢんまりとした料理店にやってきた。
 薄暗い店内には、昼間だというのに、もう明かりが灯されていた。客の服装もばらばらで、中には、武器を帯びている者もいる。誰もがこそこそ話をするような調子で話しているのが、キーリにはおもしろく思えた。ここには、大きな声を出してはいけない決まりでもあるのだろうか?
 ウィルは、慣れた様子で、奥のカウンター席を選んだ。キーリも、落ち着かない気持ちで、彼のとなりに座る。

「変わったところだね。こういうところに集まってご飯を食べるのがふつうなの? ふしぎだなあ」

「ああ、もしかして、料理店ははじめて? ここはそういうところなんだ。金を払って、おいしい食事をもらう。今日はおれのおごりだから、安心して食べな。おうい、じいさん! おれの友だちにうまいものを出してやって」

 ウィルが、カウンターの向こうで皿をふいていた老人に声をかける。キーリは〈金〉という言葉を知らなかったが、ウィルが友だちと呼んでくれたことがうれしくて、言葉の意味なんてどうでもよくなってしまった。

 しばらく待っていると、ウィルが言ったとおり、次々と料理が運ばれてきた。
 水分が少なく、いい香りのするパンや、何種類もの野菜となにかの肉をいっしょに煮込んだ赤いスープ、肉を野菜で包み、たっぷりチーズをかけて焼いたもの、茶色くて、さわっているととけてしまうお菓子……。キーリの前に、色とりどりの料理が盛りつけられた皿が並ぶ。

 キーリは、集落での食事を思い浮かべた。集落で扱う食材の種類は、それほど多くない。そのため、食事はいつも同じようなものばかりだった。もっと言うなら、ほとんどが主食の芋を使った料理なのだ。

 キーリは、集落を飛び出してきた自分の判断は正しかったと思った。こうしていなければ、世界にはこんなに多くの食材があることを知りもしないまま、一生をあの集落ですごしていたかもしれない。多くの〈しっぽ人〉がそうであるように。

 見たこともない食べものを味わいながら、キーリは、ウィルとたくさん話をした。ウィルは、とても聞き上手だった。それに、相手をほめるのもうまかった。キーリは、彼に尋ねられるまま、なんでも話した。自分のこと、しっぽのこと、〈しっぽ人〉の集落のこと……。

 キーリが自分のことをほとんど話し終えたころには、店の中の客もだいぶいれかわっていた。けれども、店の中に時計がないせいで、キーリは、ずいぶん時間がたったことに気がつかなかった。それに、なんだか頭がぼうっとして、いい気分になってもいた。
 キーリは、眠たい頭のすみで、ユエンのこと思い出した。そろそろ戻らなければ、ユエンが心配するにちがいない。

「ごめん、ウィル。ぼく、もう行かなくちゃ。ユエンが待ってる……」

 立ち上がろうとしたキーリは、ふらついて、床に倒れこんだ。体が重くて、足に力がはいらないのだ。
 どうして、こんなに眠いんだろう? とまどったキーリの頭の上から、ウィルの声が降ってくる。

「だいじょうぶさ。もう、戻らなくてもいいんだよ。〈しっぽ人〉のキーリ」

 ウィルは、倒れたキーリのそばにしゃがみこんで、やさしい手つきでキーリの頭をなでた。ちょうど、餌をやった猫にそうしたように。
 戻らなくていいって、どういうこと? たずねる前に、キーリの目の前はまっくらになった。
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