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第37話 背中
しおりを挟む不思議なものだ。
「性同一性障害」または「違和性別症候群」と診断され、当時は自分の一人娘が同性を好きだと信じられなかった、トモコの父親、田辺ヒカルは正月に自分の家に集まる家族を見て、思う。
中学生の娘のトモコが、自分は女の子が好きだと告白され、信じたくなくて泣く娘を精神科まで引っ張って連れていき、娘が笑わないこと、妻が受け入れていることに気がつき、トモコをそのまま受け入れるには、時間がかかった。
学校でいじめられないか?人から傷つけられないか?将来、仕事に就けるのか?
そんな父親の心配をよそに、娘のトモコは自らの力で人生を切り開いていく。
高校生の時は、学級委員から生徒会長にまでなり、フラれたと言って笑っては同級生のさやかちゃんとは、大人になる今でも付き合いがある。
大学時代に一生を共にすると言った女性のパートナーは、仕事が出来るだけでなく、娘のトモコの事を真剣に考え愛してくれている。その辺の同級生の男よりしっかりしていた。
父親の心配など、娘のトモコにとって老婆心に終わる。
「ヒカルおじちゃん、あそぼ、華と!」
集まった、正月の1番最初にヒカルに話しかけてくるのは、トモコの大親友のさやかちゃんの娘、華ちゃんだ。
手には、おままごとの玩具のティーカップ2つとポット1つを2才の小さな両腕で、いっぱいいっぱい抱えている。
さやかちゃんのお父さんは、トモコからさやかちゃんが小学生の時に癌で独り、病院で亡くなったと聞いた。
華ちゃんには、おじいちゃんがいないため、毎年正月にヒカルをおじいちゃんの代わりのように、慕ってくれる。
「ええっ、華ちゃん、トモコおばさん達と遊ぼうよ!」
リビングに集まった人達の中をかきわけて、娘のトモコとパートナーの女性が、口をとがらせて華に話しかける。
「トモコおばちゃん、ヒーローごっこは、2番目ですよ!ヒカルおじちゃんとお店屋さんが1番ですよ!」
華が、振り返りながら、小さいながら仕切るので、ヒカルは思わず自分が必要とされている事がこそばゆい。
「こんな若い子にモテるなんて、うちの父親もすみにおけないわ、あはは!」
笑いながらトモコとパートナーの二人は、華ちゃんの頭を撫で、さやかちゃん夫婦がいるテーブルへと向かった。
ヒカルは華が3才になったら、亡くなった、さやかちゃんの父親の代わりに七五三の着物を買うことを密かに決めている。
田辺ヒカルの家には、毎年、正月には妻が手料理を振る舞い、娘のトモコ、トモコのパートナー、さやかちゃんと夫の石田ヨウタと娘の華ちゃんが集まり、2日は泊まり、賑やかな正月になる。
「ねえ!ヒカルおじちゃんは、お客さんで、華がうぇいとれすさんね、オーダーをどーぞ!」
華ちゃんが、小さい手でティーカップを渡してくる。
トモコとさやかちゃんと華ちゃんが、よくファミリーレストランで会うせいか、ウェイトレスが、華ちゃんの憧れになっているそうだ。
オーダーと言っても、トモコがよく飲むブラックコーヒーしかないのだが。
「ブラックコーヒーをお願いします」
大人一口ぶんのティーカップを、華ちゃんに渡すと、華ちゃんは満足そうにテーブルに、自分の分のティーカップも置き、玩具のティーポットで、コーヒーをそそぐ真似をする。
「ブルックコーヒーでございます。三千円です」
ずいぶん高いコーヒー代金に、微笑みながら、ヒカルはお年玉を渡す。
「いつも、ありがとうございます」
リビングテーブルで食事をしている、石田ヨウタと妻のさやかちゃんが、会釈をする。
「いいえ、ブルックコーヒー代金ですから」
ヒカルが、小さなティーカップを持ち上げると、みんながどっと笑った。
華は、きょとんとしている。この子がいつか漢字をカタカナを英語を覚え、将来どんな子になるのかが楽しみだった。世の中のおじいちゃんの大半は、こんな気持ちなのだろうか。
「ごめんください」
小さな声と共に、チャイムが鳴った。
「あ、ヨキナさんが来た」
トモコが、玄関へと向かう。
さやかちゃんの血の繋がらない兄の母親がお正月が独りだから呼びたいとトモコが提案していた。
田辺ヒカルは父親として、小さな少女だったトモコが、将来独りで生きていけるのか不安で仕方ない毎日を送っていた。
だが、今では娘のトモコの背中は、人と人を繋ぎ、人を引っ張ってく、強く美しい大人の背中へと成長していた。
「立派になったものだよ」
父親の小さな呟きは、賑やかに正月のリビングの飛びかう会話にやわらく、消えていった。
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