上 下
1 / 5

【BL】プロローグ【R18】

しおりを挟む
淫魔とはーーー

淫魔とは、古代神話の悪魔の一つ。
夢魔ともいう。
夢の中に現れて性交を行うとされる下級の悪魔。
男性に変身した淫魔(インキュバス)は、睡眠中の女性を襲い精液を注ぎ込み悪魔の子を妊娠させる。
女性に変身した淫魔(サキュバス)は、睡眠中の男性を襲い誘惑して精液を奪う。
インキュバスとサキュバスは同一の存在であり、自身に生殖能力が無い為、人間男性の精液を奪って人間女性を妊娠させ繁殖しているとされている。
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』





「ごっめ、な、さいっ、ごめ、なさっ」


家の中で、子供が泣いていた。
片腕を引かれ母屋から離れへと引きづられる様にして、渡り廊下を歩いている。
正確には、子供の腕を引く大人は歩いていた。
大人に腕を引かれる子供は、足早だった。

人の気配がない代わりに、蝉の声が五月蝿い。
大人も子供も、酷い汗だ。


(珍しいですねぇ)
(そうですねぇ。末の坊でしょう?虫も殺せない泣き虫の)
(いいえ、いいえ。もう随分と大きくなりましたよ。やっぱり当主に指名されたら変わるのかしら?)
(お前達、よく見なさい。末の坊だって泣きそうな顔をしているでしょう)
(おやまぁ。上の坊達に怒られる前の顔ね)


さわさわと、夏の熱風が庭の木々を鈍く揺らす。
くすくすくす、と笑い声が聞こえた気がして、大人は思わず足を止め、庭の木々を凝視した。
腕を引かれていた子供は力が抜けた様に、ぜぇぜぇと浅い呼吸を繰り返しながらその場に座り込む。
引かれたままの腕が痛々しい。


(あらあら。大人になったみたいよ。あの子供)
(だから焦っているんだね。早く隠さないと食べられてしまうから)
(私達だって心配しているのにねぇ)
(ねぇね。子供は末の坊の子供なの?男の子だ!遊びたい!遊びたい!)
(まだ私達を知らないだろう。そのうち遊べるよ)


離れの古風な日本庭園は子供の遊び場としては不便で危なく、子供は立ち入りを禁止されている。
立ち入り禁止の理由は、それだけではないけれど。


「ぉ…う、さ、ごめ、いっ、ごめん、な、いっ。お父、さんっ!ごめん、なさいっ!」


子供が、大人の腕を引っ張った。
庭の木々を凝視していた大人は、慌てて子供を振り返る。

子供特有とも言える濁りのない瞳が、ゆらゆらと涙で揺らいでいる。
ぽろぽろと言うには量が多い涙が、ぼろぼろと言うには量が少ない涙が、子供の顔を濡らしている。
涙と汗が混じり合って、もう境界線がわからない。

びしょびしょの子供は嗚咽が止まらない。
それでも、はっきりと大人の顔を見て言った。


「ごめっんな、さい、お父さん。もう、しないっ、しないから!しゅっ、終業式!行かっ、せ、てっ」


大人は引いていた子供の手を離した。
子供と同じ様に渡り廊下に座り込むと、恐る恐る、自分の両手を伸ばして子供を包んだ。


「ごめん。お父さん、今日が終業式だって知らなかった」
「ぉとう、さん…ごめんな、さいっ、も、うっ、もうし、ないっ、から…しゅっ、ぎょっ、き、行きたい」
「ごめんな」


大人の言葉に、子供は悟った様に声を荒げて、癇癪を起こしては更に酷く泣き始めた。
震える子供をそのまま抱き上げて、大人は当初の予定通り渡り廊下を歩いていく。

目的地は、離れの最奥にある一室だった。

その日は、子供にとっては、待ちに待った日だった。
今日は終業式で、明日からは、夏休みが始まる。


「諸説ありますが、以上が一般的に広まっている淫魔の情報です。私達は、その淫魔と人間の混血なんですよ」
「繁殖能力はあるが、生きていく為に生物の精気が必要って事だ」
「精気は性的に分泌される体液、つまりは性液に一番多く含まれます。その為、性液の摂取が一番効率が良い」
「簡単に言えば食事だよ。一般的な人間に必要な食物が、俺達にとっては精気」


窓のない陰鬱とした古い畳の部屋は、離れの最奥に位置している。
父親に抱き抱えられ、涙も、嗚咽も、意味をなさない言葉を紡ぐ声も止まらないまま、投げ込まれるかの様に置いて行かれた子供は、中で待っていた伯父達に驚いて、何もかも止まってしまった。

まるで外界と遮断されているかのような其処は、音もなく、驚くほど空気が冷ややかだった。

自分の家なのに、他人の家に来た様に子供は緊張して、視線を下げ俯いた。
今や骨董品と呼ばれるかもしれない古い蛍光灯が弱々しく照らす中、伯父達の影だけが鮮明に見える。
子供にとって、伯父達の話は少しも理解出来ず、何を言っているのかさっぱりわからない。
途中から子供は、伯父達が畳縁を踏まずに綺麗に歩く足元だけを見ていた。


「何か質問はありますか?」
「ぁ…わ、わかんない」


場違いに感じる爽やかな笑みを浮かべて、細身の着物姿の伯父が子供を覗き込んだ。
隣に座ったスーツ姿の伯父は短い溜息を吐いて、子供の頭をガシガシと撫でる。


「何でもいいから、言ってみろ」


正座で痺れてきた足の上で、子供は、小さく握った拳を少しばかり震わせた。


「終業式、行きたかった。僕が、お漏らししたから、お父さんが怒った。でも、終業式…行きた、かった」


今度はぼろぼろと、溢れる涙が子供の頬を濡らしていく。
子供が絞り出した精一杯の声に、伯父達は顔を見合わせた。

スーツ姿の伯父は、もう一度、子供の頭をガシガシと撫でた。


「終業式は悪かった。すまない。けどな、今のお前を一人にするのは危険な事なんだ」
「どうして?」
「産まれたばかりの子供と同じだからな」


確かに今朝、子供は寝巻きのズボンを汚した。
タイミングよく起こしに来た父親によってソレは早々に発覚し、着替えさせられると同時に腕を引かれ此処へ押し込められた。

その時の、顔面蒼白の父親の顔が、子供は怖かった。

一人の伯父が困った様に頭を掻いた。
着物姿の伯父は他の伯父達に目配せすると子供の前に歩み出た。


「君は今朝、精通したんだ」
「…せい、つう?」
「そう。大人の仲間入り。今日の晩ご飯は赤飯だね」


ムギュッギュと子供を抱きしめると、まるで何かの祝福を授ける様に額に一つ唇を寄せた。
子供はむず痒い好意に身を捩る。
強張っていた体が緩み、張り詰めてドキドキしていた心が落ち着いていく。
それでも、子供の脳裏から顔面蒼白の父親の顔が消えることはなかった。


「伯父さん、僕…わかんないよ。お父さんは、怖い顔してた」
「ソレは違う。お前のお父さんが怖い顔をしていたのなら、その理由は俺達だからな」
「伯父さん達?」


スーツ姿の伯父も子供の額に唇を寄せる。
他の伯父達は苦笑いを浮かべたまま、次々に、何かの儀式の様に子供の額に唇を寄せていった。


「そうだよ。俺達に怒られると思ったんだろうね。勿論、後で怒るよ」
「なにわともあれ、おめでとう。君も今日から淫魔の仲間入りだ」
「いんま?」
「最初に説明しただだろう?ちなみに、俺達一族で淫魔の血が引き継がれるのは男だけだよ」
「夏休み中にしっかりお勉強しような」
「そして、コレは僕達からのお守り。自分の身が守れる様になるまでの」


着物姿の伯父が子供の頭を両手で覆う。


「君が元服するまで、僕達が君の中の淫魔の血を抑えよう」


ニヤリと歪んだ目の前の口元を最後に、子供の意識が途絶える。
着物姿の伯父は子供を抱き止めると、静かに溜息を吐いた。


「タイミング最悪だったな。終業式の日だなんて、だが同級生に聖職者の子供も多いしな」
「仕方がないでしょう。今は天狗隊の見回りが鬱陶しいくらいに物騒なんです」
「お盆も控えてるからな」


スーツ姿の伯父が、子供を覗き込む。
張り付いた前髪をかき分け、赤く腫れた目元を撫でた。


「子供のうちは力を制御出来ない、お互い問題が起きたら困る…だが、やはり可哀想だったな」
「安全第一だが、夏休みは思いっきり甘やかしてやろう」
「そうだな」


他の伯父達も子供の顔を覗き込むと、ふわりと微笑んだ。

子供の住んでいる地域には、異界と通じる場所が数多存在している。
人ではない存在、メジャーな所で言えば天使と悪魔、悪魔と混同すると恐ろしい事になる魔族に魔法使い、幽霊や妖怪と、マイナーな所まであげればキリがないけれど、一定のルールの下、地元住民と仲睦まじく生活している。

そして、彼等は昔からこの街に根付いている淫魔の一族である。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:48

弟はバケモノ【完結】

BL / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:47

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:18

憑かれ鬼 〜日本BL昔話〜

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:42

ご主人さまと僕

BL / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:24

御薙家のお世話係

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:3

処理中です...