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第六章
彼の女王である日々④
「……行ってきます」
私は誰もいない部屋に挨拶し、出た。廊下は静まり返っている。皆さん、今日も早くに出かけたんだろうね。
「……そうだね」
そうなんだ。私は隣室の扉を見た。相も変わらず、ネームプレートのない部屋だった――クラーラさんがいたのに。
改めて申し訳なく思った。私はクラーラさんのことを忘れていたから……。
「……行こう」
私は考えていた、そして顔を上げた。今回のことで色々わかった。前進したのは確かなんだ。
まずはリナさんに共有してみよう。まだ出発していないといいな。私は足を早めながら、廊下を歩いていく。
同じ階だから。部屋だってそんなに離れてないから。すぐで――。
「あ……」
私は立ち尽くしていた。
「そんな……いいえ」
私は力を込めてノックをした。何度も何度もした。
ねえ、リナさん。寝ているだけでしょう? それで、怒り気味の顔で言うんでしょう? 愛らしく口を尖らせたりして?
――『なんなのよっ』って。『せっかく気持ちよく寝ていたのにっ』……って。
何度、何度も扉を叩いても。
「ああ……」
……返事なんてない。
「リナ……さん……」
叩いていた腕も、力をなくしていく。だらりと下がってしまう。
私は受け入れるしかなかった。
そこはネームプレートのない部屋。誰もいない部屋。
リナさんの部屋――だった場所。
私は女子寮の中を駆け抜けていた。すれ違う女子寮の人たち、彼女たちの冷ややかな目。今、それどころじゃないの……!
「……」
頭の中に声が巡る。鳥籠の夢で会った、クラーラさんの言葉が。
『――元凶はあの男。フーゴと名乗る男よ』
彼女の冷徹な声が。
『……何もかも、あの男のせい。私がこうやって追い込められたのも。あなたの大切な子たちが……消えていってしまったのも。そうでしょう?』
フーゴ・メーディウムによるもの……彼のせいで。
「フーゴさん……」
私は彼が怪しいと思いつつも。
『それとだ、無断で抱き上げて悪かったな。あの場を抜け出したくてよ』
『オマエと一緒にいたい。けどな、それで辛い思いをさせるのは本意じゃねぇ』
『なに落ち込んでんだよ。オマエが楽しかったならいいんだよ』
……彼の優しさにも触れてきた。
そんな風に考えてしまう。考えずにはいられない。そんな私を――。
「っ!」
私自身の両頬を叩いた。かなり音がした。周りの人たちも仰天した目で見ていた。
これは自分にしっかりするように。叱咤するために。しっかりしないと。
アルト。リヒターさん。エドワード君……ついにはリナさんまで。
私の大切な人たちが……いなくなってしまっている。そうやって、しまいには……。
『えへへ、シャーリー!』
「……っ!」
浮かんだのは、白くてモフモフな子。リッカまで……あの子まで……!
「――よう、シャーロットちゃん」
「!」
私はいつの間にか、寮の玄関を出ていたのか。待っていたのは――フーゴさん。
「昨日はどうもな? それでよ、まだ時間あるだろ? ほら、これな?」
小さめなお弁当箱だった。私たちが食べるサイズじゃない。子犬向けのような。
「レストランの味、寄せてみたんだよ。リッカのとこに届けにいきたくて」
「……」
彼は笑顔だった。いつも通りに笑顔で話しかけている。
そうだ。私は彼と笑顔で別れた。昨日は楽しかったと。私だって笑うところなんだ。
「……シャーロットちゃん?」
やはりというか、私の様子のおかしさには気づいたようだ。彼は私のことを見ている――そう、観察するように。
「……何かあったろ」
「……!」
彼は言い当てた。私がわかりやすいのもあるけれど。
「また嫌がらせ……いや、違うな。他のことだ」
彼は……周囲と私の関係性を見て、そう判断したようだった。それは確かにといえた。今の私は彼女たちどころではない。
「すげぇ目して、こっち見てくるのな――オレに対してか」
「……フーゴさん」
そう、あなたのこと。バレてしまっているんだ。私の目にある、困惑、疑惑――決して良い感情のものではないと。
「……なあ、なんか怒らせたか? オレ、やらかしたのか?」
彼が不安そうにしながら、私に近づいてくる。一歩、一歩と。
「あ……」
紫の瞳が、私を見つめてくる。そうだ、私は体感してきたじゃない。
この国の瞳の色は基本、茶色――紫色ではない。
染められた色――欲望のままに。欲望を叶える為に。
今も濃くなっていく、その瞳の色は――。
「なあ、シャーロットちゃん――」
私の肩を掴もうとしている――彼の手。
「……っ!」
――それを勢いよく振り払ってしまったのは、私で。
「……すみません」
そうしてしまったことは悪いとは思っている。だからって、私は彼と距離をとるのを止めなかった。
「……いや、まじで何なんだよ。どうしたっていうんだよ……?」
呆然とした彼は、振り払われた手はそのままで。私を責めることもない。怒りもしない。
ただ……彼だけが悲しそうで。
「……私は」
私だって胸が痛まないわけがない。彼を悲しませたくない、そんな思いだってあるのに……。
「……ごめんなさい。しばらく頭を冷やさせてください」
今の私はきっと冷静ではない……クラーラさんの言葉ばかり、気になってしまっている。
「……」
フーゴさんはしばらく黙っていたけれど。
「……わかった。それが必要なことなら」
彼はそう言うと、私に背を向けた。
「メシは無駄にしたくねぇ。エミル・ジュッツェに渡しておく」
「……お願いします」
「ん……あのさ」
フーゴさんは去ろうとする前に、足を止めた。彼は告げる。
「――パートナーはオマエだ。それは変わりない」
「……フーゴさん」
「じゃ、またな」
今度こそ彼は歩き出す。私を見ることもない。
成り行きを見守っていた周囲がざわつき始める。倦怠期か、はては破局とか。そうやってはやし立てていた。
「……」
いずれにせよ、私は彼と向き合わなくてはならない。クラーラさんの仰る通り、私は彼のことをよく知らないまま。距離をとった今だからこそ、知ることが出来るのかも――。
それとなく噂話に耳を澄ませたり。放課後になると、無人の図書室で調べものをしたりしていた。春の女神の文献を調べている内に、下校時刻になった。校舎に残れるのもここまでか……。
「……そうなんだ」
生徒たちは変わらずフーゴさんのことばかり。伴うは春の女神の巫女として、そのこと。私は見知った内容だった。『クラーラ・メーディウム』の情報が――『フーゴ』に置き換えられているのだと。
ルイ・ゼンガーの代わりを務めたのも……ええと、クラーラさんだったよね?
「そう、そうだよ……」
寮長さんから借りた映像、式典の様子が残されたもの。映像が乱れていた。あれは、クラーラさんのことを思い出した今なら、また違って見えるのかな? いただいたものがあったよね。もう一度見てみようかな。
「……!」
こちらに近づく足音がした。その人物は図書室に入るっぽい。帰らないといけないよね。その人に挨拶をして、それから退室しようとしたところ。
「――へっへっへっへっ」
「……へ」
とても聞き覚えのある声だった。嬉しさが滲み出ている声。いえ、待って? 足音は人間のものでしょう?
「――ちょっ、リッカ様、もうすぐ、もうすぐですからっ」
この声……エミルさん? 声か焦りを感じた。それでいて、私にも既視感があった。そう、『抱っこしている時にジタバタ』されているような――。
「やあ、シャーロットって……あっ!」
「わふっ!」
リッカを抱っこしたエミルさんがやってきた。でも、もがくワンコは彼の腕から飛び出し、私の足元に着地。回りをくるくる走っていた。
「恐れ多くも抱っこさせていただいてたんだ。途中までは、じっとしていたのに……はは」
ノーリード派の彼も、校内はリッカを抱えて移動していたようだ。
「あはは……」
エミルさんの苦笑に私もつられた。リッカは喜びきったのか、舌を出しながらお座り待機していた。可愛いからいいか。
「……うん、大丈夫そうだね」
「エミルさん?」
「こっちもね、様子を見に来たんだ。あの三人もだけど、おそらくリナも――」
「……はい」
険しい顔つきになるエミルさんに、しょげるリッカ。きっとそうだ。リナさんまで消えてしまったこと、気づいているんだね。
「貴女と奴のことも噂になってたよ。やれ別れる寸前だの、いや別れただの。こっちにお弁当届けたときは普通だったんだけどね?」
「そう……」
すごい広まりっぷりだった。そして、お弁当も届けには行っていたようだった。エミルさん曰く、普通の様子だったと?
「……シャーロット」
ねえ、とエミルさんは私に問いかける。
「貴女の態度が変わったって――何かを知ってしまったんだよね?」
「……うん」
鋭い眼差し、私も誤魔化すことはしなかった。そうだ、話をしなくちゃ。
「今日、話が出来ればと思っていた」
「そうだね。そうしよう」
頷くエミルさんに、『わんっ!』とリッカも力強く吠えた。
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