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最終章
いずれ知ること③
もう、皇冬花の問題は無くなったのか。
皇は意識して、俺から距離をとっていた。もうこちらを見ることもない。ああ、すっかり見なくなったな。
もう夏休みだ。夏は夜までも蒸し暑い。俺は友人たちと飲みに出ていた。気分転換もしたかった。いや、本当に蒸し暑い――。
『……!』
夜の雑踏の中、俺の視界に入ってきた人物。見間違えるわけがない――皇だ!
『……どうしたんだ?』
私服の彼女は汚れていた。そんな姿で、ふらふらと足取りもおぼつかない。いや、時間も時間だろ。何があったんだ、何が――。
『……悪い。用事が出来た!』
俺は一言だけ告げ、友人たちを取り残して走っていった。ただ、皇に追いつくことしか考えていなかった。
『――皇!』
俺は彼女の腕を掴んだ。なんて細いんだ……やつれてないか?
ただでさえ暑い中の、全力疾走だ。全身汗だくだくだった。いや、そんなのいい。どうでもいい。なあ、皇。
『こんな時間にどうしたんだ。一人か?』
俺は冷静であろうとするも、内心は穏やかなわけがなかった。穏やかでいられるわけがあるか……! 本当に何があったんだ……!
『……何でもない、です。これ、ゴミのところで倒れてしまって……』
いや、汚れも気になるがな? 本当にそれだけか? ――酒の匂いもしていた。誰かに何かされてんじゃ……!
『ご、ごめんなさい、本当のことを話しますから……』
俺は恐い顔でもしていたのか。彼女が臆してしまっていた。いや、君に怒ったわけじゃないんだ……。
『その、酔っぱらっていたおじさんに絡まれて……未成年がほっつき歩くな、とかで……逃げようとしたら』
――パシャっと。はあ……はあ!? クソ親父かよ!? 確かに未成年が歩くのもどうかと思うが……いや、未成年に酒ぶっかけるか!? 頭狂ってんのか!?
『……』
こんなにもふらついてるのも、酒の影響が出ているってことか……。
『……先生、補導だけはどうか。知られたくないんです。家に知られたくないんです……』
『それならどうしてだ。どうして、こんなところに来たんだ』
『……』
皇は口を噤んだ。それどころか、俺に手を添えて逃げようともしていた。
『先生にも迷惑かけたくない……見なかったことにしてください』
そうやって言って、この場から離れようというのか。また夜の街に居続けようというのか。
――酒、ぶっかけられることより酷いこと。されないとでも思っているのか。
煽情的な顔をしていて、Tシャツが肌にも張りついていて。無事で済むと思っているのか。もっと、自分の見た目に自信を持ってくれ。君のことで、男子がどれほど下世話な話をしていると――。
『……』
……俺は何を考えているんだ。俺は教師だ。教師だろうが。
『せ、先生……!?』
そうだ、教師だ。羽織っていた大きめのシャツを彼女にかけると――肩を抱いた。驚く彼女をそのままに、タクシーに連れ込んでいく。体格差があって良かった。俺のシャツが彼女を覆いつくしている。車内を汚さなくて済むだろう。
連れて行くのは、さすがに俺の家だ。この状態でご両親のもとに届けるのも、だった。
『……』
『……』
無言のタクシー。車内にはラジオが流れていた。さすがに肩を抱くのはやめた。俺達は扉側に寄っていた。不自然なまでの距離だ。
……『知らせないで』と、頑なだった。家族に伝えないで、と。
そうか。クラスで上手くいかないにしては、そこまで険悪そうにはみえてなかった。まあ、浮いてはいた。
皇の問題はそこじゃなかった――家族のことだ。確か、エリート夫婦だと聞いていた。
……エリート、か。君も苦労してるんだな……家族のことで。
俺は彼女を横目で見ていた。彼女は窓の風景を見ていた。いや、窓ガラスに俺も映っているな。君を見ていること、バレるかもな。いいか、バレても。俺も大概だからな、見ているのは。
なあ、皇。話を聞かせてくれないか。
どうにかして、俺の家には来てもらった。俺は家を出て、一人暮らしをしている。なんとか生活している。
『ほら、入って。気楽に過ごしてくれな?』
俺は必要以上に明るく振る舞った。遠慮していた皇も、人の目が気になったのだろうか。そそくさと入ってくれた。
『とりあえず、シャワーを――すまない、着替えだけ貸すな?』
『ありがとうございます、お借りします……』
……いや、まずいだろ。皇自身もそう思ったようで、俺から礼を言って受け取り、洗面所に入っていった。
まあ、良かった。上の方だけ、とか。下着までには影響してないだろう、とか。
『……』
俺は馬鹿なのか。教師だろうが。俺は教師、教師だ。
皇は大分落ち着いたようだ。俺たちは居間にいた。食事用テーブルで向かい合わせになっていた。
『……先生、ご迷惑おかけしました』
『いや、気にするな』
洗濯機が回っている音がする。洗濯が終わったら、乾燥機にかける。俺達の時間はそこまでだ。それは皇から言ってきたことで、俺も反対することもなかった。そうだろうな、と。
俺の家に寄ったのは、緊急避難のようなものだ。本来なら、来ることもなかった。
教師の家に来るなんて。複数ならともかく、単独で。
こんな二人きりになって。
密会のような――。
『――なあ、皇。お願いがあるんだ』
『はい』
皇は積極的な姿勢だ。恩義とか、感謝とかあるんだろうな。そうかそうか。
『先生の話し相手になってくれないか? こうして、家に来てな?』
『!』
ここなら人の目もない。まあ、入る時に注意は必要だがな? じっくり話せるな? な、皇?
……皇? 何をそんなに目を丸くしているんだ?
『先生、それはさすがに……ご自宅にってことですよね?』
『ああ、そうだ。先生な、もっと君と話したいんだ』
皇もそうだろう? と、口に出かかった。さすがにやめておいた。まあ、そうだろうけどな。
『……先生、私は本当に大丈夫ですから』
皇。君はまだ、俺が心配だから。浮いてる生徒だから気にかけていると。そう思っているのだろうか。俺が話したいからと。望んでいるからと、そう伝えているのに。
それなのに。彼女は頑として頷かない。それは、教師と生徒という間柄を気にしているからで――。
『……あ』
そうだろうが……教師と生徒だろうが。俺は浮かれきってでもいるだろうか。
『……あれだ。家にってこともないよな? それじゃ、図書室。君の様子を見に行ってもいいか?』
『は、はい……それでしたら。本、借りにきてくださるんですね』
皇の表情に明るさが戻った。ああ、良かった。そうだな、本もたくさん借りに行くか。歴史漬けもいいな?
『あの、私もいいですか? 今更かも知れませんけど』
『ん? どうした?』
妙に照れていて、可愛いな? 先生、何でも聞くぞ?
『私も、楽しいです……先生とお話するのは』
花のように笑うんだな、そう思った。ずっと見ていたいと、俺は――。
『……す、すみません! あ、そろそろ渇いているかも。私、スタンバってますねっ?』
顔を真っ赤にしたまま、皇は洗面所に入っていった。逃げられたな、これは。
『……あー』
俺は顔を両手で覆った。皇がいない今だからこそ、呻き声を上げていた。
『俺は教師、皇は生徒だ、生徒……』
わかっているんだ。それはわかっている。でもな。
――それが煩わしいと、思うようになってきていた。
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