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第二章
休みませんか?
予鈴が鳴った。カイゼリン様はすっかり機嫌も良くなり、自身の教室へと戻っていく。
「ああ、ジェム様。失念しておりました。私はいつも携帯食を持ち歩いておりますので」
「はい、私も次からそうします」
今は仕方ないと諦めをつけていたところ。私はそう伝えた。うん、参考にしよう。
「携帯食でよろしければ」
リヒターさんは上着のポケットから携帯食を取り出した。包みに入ったそれを、彼は剥いていた。中身はクッキーに近い物だった。ええと、くれるのかな? ううん、厚意だろうけど遠慮しよう。リヒターさんの分だし。
「いえ、悪いですし。ひとまず水分さえとれれば」
「――あなたがそう言うのは、想定済みです」
……想定済み? ともかく、もらうとか申し訳ない。
「いえいえ、本当に悪くて。それならせめて自分で――」
喋ったと同時に、リヒターさんに口に入れられた……!? いきなり突っ込まれたのでむせる覚悟だったけれど、そんなことはなかった。携帯食は一口サイズに分けられており、私はごくんと飲み込んだ。
「まだ一口程度ですから」
「……!」
私の唇に触れたクッキーは、またしても口の中に入っていく。
「ああ、噛んでくださいね――よく噛んで」
「……」
すごく……とてつもなく落ち着かない。私はすごく見られている。観察されてもいるというか……丸のみしよう! でもって次は遠慮しよう!
「……出来ないようでしたら、出来るまで、ですね?」
そうさせてくれないのが、リヒターさんという人だった。というか出来るまで、って。目が笑ってないのもあるけれど、声もガチめともいうか……本気で言っているということ?
「……!」
それはもっと困る。私はよく噛んでから飲み込むことにした。
「……ごちそうさまです。リヒターさん、さすがに自分で食べられますから」
「ああ、失礼しました。つい――小鳥に餌をやっているかのような。そのような感覚でした」
「小鳥って……」
心臓に悪かった。あの鳥籠を連想するようなことを言ってくるとは。勘弁してほしかった。
「では、残りはあなたに差し上げます」
「……ありがとうございます」
私としても有難かった。ここはもう素直に受け取ることにした。
「良かった。また、食べさせるところでした」
「はい、もう大丈夫です」
予鈴を経て、始業のベルが鳴った。
「あ……」
次の授業の遅刻が決定してしまった。私は今すぐにでもと、急ごうとしていた。
「次の授業は、モルゲン先生ですね」
「モルゲン先生なんですか」
そこでリヒターさんが次の授業のことを教えてくれた。課題を忘れた生徒を徹底的に責めた教師、モルゲン先生の授業、と。
「はい。遅刻も欠席扱いにするモルゲン先生です」
「……モルゲン先生」
なんということなの。あの人はかなり厳しい教師のようだった。
「誤解なきよう言っておきますが、普段はそこまで厳しいわけでもありません。ただ、シェリア様の忘れ物があまりにも――」
「?」
「……いえ、私が寝坊しなければ良かったのです。私が怠らなければ」
「……」
私の視界に入ったのは彼の目元。うっすらとあるのは目の下の隈だ。いかにもきっちりしてそうなリヒターさん、そんな彼が寝坊したってこと。
疲れが相当溜まっているんだ……それもそう、彼こそが大変そうだった。
「遅刻も欠席、でしたよね」
「ジェム様?」
「……先生には後で一緒に謝りましょう? ――この際、休みませんか」
私は悪い提案をしてみた。びくびく怯えながら、顔色を悪くしながらも。サボり慣れてもなかったし、相手は鬼教師。それでも私は。
「……そう、ですね」
リヒターさんは考え込んでいる。駄目かな?
「ジェム様。あなたからのご提案、乗らせていただきましょう。この時間をせめて有意義にしましょうか。委員会の資料を持って参りますので」
断られると思っていたけれど、そうじゃなかった――からの、これ。委員会仕事を持ち込もうとするとは。
「リヒターさんは……」
もう見ていられなかった。リヒターさんはよほど頑張っている。それなのにまだ頑張ろうとしているのだから。休める時にも休もうともせずに。
リヒターさんをこうも駆り立てるのが……カイゼリン様という存在だとしても。
「委員会のお仕事もです。委員、お休みしませんか?」
「……それは、承知しかねますね。『リヒター』の者として、私は励まなければならないのです」
リヒターさんは譲る気はなかった。リヒター家の者として――私もそれは理解していた。
……それでも、少しだけでも。休んでくれたら、それが私の今の願いだった。
「はい。あなたが大切にしていらっしゃるのは、承知してます。でも、あなた自身も休んでほしくて」
「……私自身、など」
逡巡していたのは一瞬のこと、リヒターさんは襟を正して告げてきた。
「私はリヒター家の者に過ぎません」
頑ななまでに――それ以外のことなんて無い、と。それでも、そんなに疲れているのなら……。
「それもお休みして欲しかったです。リヒター家の方ではなくて――あなた自身が。というか、その、あなたのお名前がわからなくて。呼べたらよかったのですが」
彼の名前の方、知らないままなんだよね……リヒター家の人だって、個人としての名前もあるでしょうに。
「……意外にも押し通す方で在らせられましたか」
と、リヒターさん。確かにそうなるよね……今の私だと。いつもならすぐに引っ込めたりするのに。
「――私など、出逢ったばかりの人間でしょうに。何故でしょうか、ジェム様」
「それはそう、そうなんだけど……」
彼からしてみれば、そうなんだ。でも私は、遠巻きながらも……あなたのことを目にしてきたから。
――あなたの苦労を見てきたから。繰り返しの日々の中で。
「……」
「……」
こう……黙ったまま、見つめ合うことになってしまった。いつもなら、私の方から目を伏せたりしてそらすけれど、今回そうするのは気が引けたから。今はそらしたくないと思った。
「……」
「……」
……けっこう長いな。もういいかな? リヒターさんだって頃合いを見失っているかもだし。
「……」
リヒターさんさんからだった。彼は言葉にすることもなく背中を向けた。ああ、と思った。この人はあくまで委員として。そして――リヒター家の者として在ろうとするのだろうと。
――けれども、それは違うのだと。私は知ることになる。
「……ふと、外の風に当たりたくなりまして。さて」
テラスに出たリヒターさんは――席に座った。そこはカイゼリン様が座っていた場所、ソファ席だった。
「我ながら良い席を用意したものです」
リヒターさんが用意したものであった。自画自賛していて。
「ふふ」
どこか得意げになっている彼が、なんだか面白くて。私はつい笑ってしまった。
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