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第三章
あんたは知らない②
「……あれ、怒ってる?」
さっきのキスを思い出しているみたい。なんか言ってるし。
「え、心の準備? させてほしかった? ま、急だったもんね。でも、したくなっちゃって。私が相手……嫌だった?」
まんざらでないって、私の勝手な妄想だったかな。
「……嫌じゃない? もう、どっちなのよぉ」
まあ……いいけど? 心の準備が必要なくらい、慣れてないってことでしょ?
慣れてない……はあ、嫌なこと思い浮かんじゃった。
言わなくちゃ……なのかなぁ。
「……もうひとつ。ごめん。私はね、初めてじゃないの」
うん、驚いてる。私もね、わざわざ言わなくてもいいのにね。でも、いつかは言わないとだから。
「カウントはしてない。私の中では、ノーカンだよ。でも、事実だから……」
こんなことまで、わざわざ言ってしまった。ここまで言わなくて良かったんだ。
「あ……」
ヤキモチで可愛かった顔が、一気に悲しそうな顔になった。相手、わかってしまったんだ。
あの男。私の人生の過ち。あんな男が可哀そうとか思って、放っておかなかったから。
あんな男、自分でそう決めたくせに。今になって自分は間違ってたって、自信なくしているとか。そんな自分勝手な男、放置しておけば良かったのに。
あの男はね。それから、救われたとかいって、私が暮らす家にやってきた。私は生まれつきの能力もあって、村から不気味がられていた。隔離されたといっていいかな。
そんな私がかわいそうって。『エマ』を自分だけでも愛してあげるって。
ふざけんじゃねーし。押しつけがましいにも程があり過ぎる。
私の本当の親の話、まだしてなかったかな。これはあくまで私が思っているだけ。でも、私の為だって思いたかった。私を守る為に、あの家に閉じ込めていたんじゃないかって。私はそう、信じていた。
そんな私に、あの男は現実をつきつけてきた。君は捨てられた、かわいそうな子だって。
言わないでほしかった。あの男は執拗に気づかせようとしていた。もう、『エマ』には自分しかいないんだって。
『エマ』でいる時は、私は恐怖でしかなかった。あの男は、父親の顔ではなくなる。それでも、私が小さかった頃はそこまでではなかった。『優しいおじさん』ではあったのに。私が成長すればするほど――大人になればなるほど。
キスとか。体触られたりとか。最悪。
私が『リナ』でいられない時、あるでしょ。寝る前とか、お風呂入る時とか。学園にいられる時はともかく、断りきれなくて実家に帰った時とか。
私の去年の誕生日とか、危なかった。結婚できる年だから。義兄がたまたま来てくれなければ、本当に危なかった。その時アイツは父親の顔に戻っていたから、義兄も知らないままだけど。
あの男とはここまで。ここまででもかなり最悪なんだけど、絶望的だったのに。
「……うわぁ」
ああ……また浮上してきた。これって、想像なのかな。だとしたらきもすぎるんだけど。でも、時々ふっと現れて、そのくせ中々消えてくれないんだ。
もしかしたら、実際あったことなのかな。私は知らないはずなのにね。なのに、妙に鮮明なの。
その日は大晦日、式典も無事終わっていた。あの男は幸せの絶頂だった。有頂天になっていたと思う。控室で休んでいたアイツを、呼び出された私は訪れていた。大事な式典の直後、私は『リナ』の姿。何も起こらない、大丈夫だって思っていた。
アイツは、『リナ』の時でもお構いなしになってきていた。化粧さえなくなれば、髪をほどけば、私は『エマ』だからって。
ヘアゴムは外されて。あの男のキスによって、塗り固められたリップは消えていく。汗をかけば、ファンデだって流れ落ちて。涙を流せば、マスカラだって溶けていく。
あの男の前では、私はなにもできなくなっていた。私は、『リナ』ではいられなくなっていた。ただ『エマ』として――。
それ以上は脳が拒否したのかな。記憶は抹消されているようだった。抹消? 違う違うって。うん、さすがにないでしょ。なんでこんなの思い浮かべなくちゃならないの。
ねえ、違うよね? 実際にあったことじゃないよね?
もし本当だったら。ただでさえ、恨みがあるのに――ねえ、違うよね?
「え……」
私、長いこと黙りっきりだったから。あんたも不安そうにしていた。そして。
私は両頬に手を添えられ、キスをされていた。私は自然と瞳を閉じた。
何回も、何回も。まるで、上書きしてくれるみたいに。
――塗り替えてくれるように、この子で染めてくれるくらい。
ただ、幸せだった。
息が続かなくなったのか、彼女は一旦キスを中断した。顔がほんと真っ赤。しかけた本人の方がよっぽど照れている。ふふ、可愛い。
「はい、交代」
攻守交替ね。私は上乗りになった。こっちのターンなの。
ねえ、もっとしよう。もっと、もっと。あんたを味わいたいの。
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