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第四章
僕の大好きな絵本
「お願いします」
カウンターに戻ってきた。エミルさんも手続きしてくださっている。ありがとうございます。
「すみません。一回返却したんですけど、もう一回借りていいですか?」
「構わないよ……これ?」
返却したのに借り直す、エミルさんは快く引き受けてくださった。
そんな彼の目に止まったのは、ある絵本だった。春の女神が描かれたもの、私のお気に入りの絵本。昔、孤児院にいた頃に読んでいたな。
リッカ……読んでくれないかも。一応借りるだけ、借りておきたかった。私も読みたいし。
「あ、ごめんね。人が借りる本、ジロジロと見ちゃって」
「いえ、気にしないでください」
「そっか……実はね、前も気にはなってたんだけどね」
ああ、確かに。そんな素振りもあったかも。
「そうだったんですね。本当に良い絵本だなって……って、お手を止めてしまってましたね」
私は語ろうとするも、ここが図書室なのを思い出した。雑談はやめようとしていた。クスっと笑ったのはエミルさんだった。
「……ふふ。いいよ、人いないでしょ。僕もね、話し相手が欲しかったんだ」
「そうなんですね。それでしたら」
どこか悪戯っぽく笑うエミルさんに、私もつられるように笑った。
「私、昔から好きなんです。うちの犬も春の女神様が大好きだから。だから、今日読んでもらおうかなって。他にも絵本借りてるんですけど、そうした理由なんです」
「ああ、貴女は犬を飼ってるって。それで、犬に……読んでもらう?」
「……」
まずった。リッカは字も読めるけれど、それを言うわけには。
「……失礼しました、読み聞かせの間違いでした」
「犬に……読み聞かせ?」
「読み聞かせですよ? うちの犬も大喜びですよ? 何もおかしくありませんので」
私は淀みなく言った。何がおかしいことがあるものかと。たじろぐエミルさん相手だろうと主張していた。
「あ、うん。いいんじゃないかな。そっか……春の女神様、好きなんだ。いい子だね」
「はい、とてもいい子です」
「うん……ジェムさんもこの絵本好きなんだね。僕もなんだ。昔からずっと好きで、今でもとっておいてある」
エミルさんは絵本の表紙を指でなぞった。愛しそうに本を見ていた。
「嬉しいな。その子もだし、ジェムさんもね。いい絵本だよね。僕達の春の女神様、あの方を優しく描かれていて」
「……?」
幼児向けに書かれた簡易なイラスト。エミルさんの目に映るのは――。
「――慈悲深い、女神様そのものだ」
崇拝しきった目をしているエミルさん、今はこの女神しか見えていないかのような……。
「……」
そんなエミルさんを見て……心が波立つ。女神信仰のこの国において、彼はただ信心深いなだけ。
それなのに。どうしてこうも……落ち着かなくなるというの。
「――っと、いけない。ごめんね? 僕、女神様のことになると、どうしてもこうで」
「いえいえ」
エミルさんは照れ笑いをしていた。ふわふわな見た目も相まって愛らしくて。私は首を振って返した。
「あとは、この本と――」
「……?」
エミルさんの手が再び止まった。他にも女神様関連の本があったよね。それにしては……彼の顔が神妙というか。
「そちらの本でしょうか? うちの犬と遠出するので、その参考にって借りました。女神様ゆかりの場所ですね」
ガイドムックだった。最近になって観光の名所になった、春の女神にまつわる場所だった。汽車での移動の後、ゆるやかな山道も歩く。リッカとの遠出にうってつけだと思った。
春の女神を深く信仰しているエミルさん。どうしてこうも複雑な表情をしているの?
「……ううん。ジェムさん達なら大丈夫かな。えっとね、観光マナーの話。ほら、最近になって有名になったから。観光で賑わうのはいいんだけど……色々な人がいるからね」
「なるほど。はい、気をつけるようにしますね」
エミルさん、観光マナーがよろしくないことを憂えている? ええ、気をつけないと。身が引き締まる思いです。
「ふふ、偉いね」
「ありがとうございます」
エミルさんが微笑み、私は和んだ。それからの彼は手早く処理を済ませていた。慣れた手つきは見事なものだった。
「……僕も気をつけるね。あまり人が借りる本をジロジロ見るの、よくないのに」
「いえ、本当に気にしてませんから。いつもそういうことはないでしょうし」
今回はたまたまだと私は考える。エミルさんは普段しなさそうだと。
「……貴女のこと、知りたかったのかな。会って間もないはずなのにね。それでも、どうしてかな。僕は
やっぱり――」
「……」
私の心臓は早鐘を打つかのようだった。目を伏せながらそう告げるエミルさんは、綺麗だと思った。胸がときめいてもいいはずなのに、私はどうしても。
――冷や汗が止まってくれなかった。
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