時を超えた異邦人、伯爵令息の愛に囚われて

たもゆ

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#01 遭難

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※この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、地名、事件などはすべて架空のものです。実在の人物、団体、宗教、歴史上の事実とは一切関係ありません。




 
 ***

 眩しい閃光のあと、世界は音を失い、鼓膜が破れそうなほどの耳鳴りが響いた。肺が圧迫されるように空気が重く沈み込む。土と、かすかな焦げた匂いの中、エイドリアンはゆっくりと身を起こした。
 
 ​周囲に仲間の姿はない。
 ​頭上には、二十五世紀の都市には存在しない、あまりにも静かで原始的な空の色――乾いた、澄んだ青が広がっていた。 
 ​腕時計型通信デバイスは泥まみれになり、ノイズ混じりの電子音を断続的に響かせている。
 
 ​どこにいても、音や風の流れ、足もとの感触――すべてが、わずかに時間の層を隔てた向こう側にあるように感じる。この、過去に堕ちた観測者特有の微細な違和感に、エイドリアンはとうに慣れてしまっていた。
 
 ​孤独が、あまりにも現実的すぎた。
 
 ​エイドリアンは腕時計型通信デバイスに手を当てた。
 「……こちら、観測員 O-04115、エイドリアン・ミズノ。遭難、応答願います」
​ ザザッ、と泥で汚れたデバイスがノイズを吐いた。ホログラムの小窓が一瞬だけ浮かび上がり、『NO DATA』の文字が歪んで消える。
 
 ​「……こちら、観測員 O-04115、エイドリアン・ミズノ。応答願います」
 ​静寂。胸の奥が冷え込む。やはり、乱流で仲間たちとはぐれたのか。
 
 ​――まさか、こんなことになるなんて。
 
 ​つい最近のことを思い出す。数少ない友人であり、同じ部署のサトルが笑いながら言った言葉。
 「今度、中国での任務なんだろ? 俺はオペレーター側でマシンやデバイスのサポートもするから、よろしくな」

 その声がまだ耳に残っている。
 けれど今、自分は――この時代に、ひとりきりだった。

 突如、耳の奥を裂くようなノイズが響く。
 通信デバイスの奥から、微かに誰かの声が混じった。

 『――リアン、エイドリアン、聞こえるか? 応答しろ!』
 「……っ! サトル! 乱流に巻き込まれた。救援を要する!」
 通信の向こう側で、サトルの声に焦りが混じる。
 『おい……無事か!? こっちは本部だ。――くそ、通信が不安定だ……!』
 「僕は問題ない。でもコントレイルをロストした」
 『良かった……いや、最悪な状況だ。こっちも報告する。お前を含め、調査員八名、全員ロストを確認。
  今、解析班が全力で動いてる。だが座標が通常の時空系と一致しない……完全にズレてる』
 『今のところ“大規模な自然発生型時空乱流”が原因って言ってるが、正直それも確証はない。周辺環境そのものが狂ってる』
 『エイドリアン、落ち着いて行動しろ。必ず迎えに行く』
 
 ……つまり、すぐには迎えに来れないってことか。
 胸に冷たい風が吹き抜ける。自然現象とはいえ、この孤独と危険は、言葉にできないほど重い。
 「……了解。指示を頼む」

 サトルの声が通信越しに響く。冷静を装いながらも、微かに震えが混じっていた。
 『エイドリアン……聞け。回収には正確な時空座標が必要だ。現在地と西暦年月日を確認次第、すぐに報告してくれ』
 「了解」
 『……あと、わかってると思うが――過去の人間と深入りするな。非常事態だから多少は目をつぶってもらえるだろうが、それでも最低限の規則は守れ。……いいな?』
 ほんの一拍の沈黙のあと、掠れた声が続く。
 『――健闘を祈る。必ず、生きて戻れ』

 通信が途切れ、胸の奥で焦燥と決意が静かに交差した。
 (まずいことになった……)
 クロノス機関――国家直属の時空研究組織。
 その観測員であるエイドリアンは、今や開けた牧草地で、泥まみれになった腕時計型通信デバイスを握りしめていた。

 クロノス機関が手がける分野は多岐にわたる。
 過去の生態系を調べる環境保全部。人類社会の発展を分析する社会変革分析室。資源の枯渇を防ぐために、過去の技術を探る歴史資源管理局。さらに、戦争の勃発を防ぐために、過去の出来事を監視する部署さえ存在する。

 核兵器は、つい一世紀ほど前に根絶されたばかりだ。

 目的はそれぞれ異なるが、根底に流れる理念は同じ。
 未来をより良くするために、過去を調べ、記録し、分析する――それがクロノス機関の存在意義だった。

 エイドリアンは、そのうち土壌や水、植物、種子を収集し解析する「時空環境保全部」に所属していた。

 しかし、任務へ向かう途上で遭遇した時空乱流により、愛機であるバイク型タイムマシン〈コントレイル〉は、視界の彼方へと掻き消されてしまった。
 本来ならば稼働中は操縦者を保護するシールドが展開されていたはずだった。マシンを失うなど、ありえないはずの事態だ。
 だが今回は、物理法則すらねじ曲げるほどの強大な干渉に呑み込まれ、彼もコントレイルも抗う術なく時空の狭間へと放り出されてしまった。
 通信デバイスの小窓を見つめ、エイドリアンは一息つく。
 「……カメラ、起動」
 内蔵カメラが牧草地の景色を写すと、ディスプレイに文字が浮かび上がった。

 『観測対象の地形、植生、太陽の角度を解析中……。
 推定時代:16世紀。推定場所:トスカーナ地方、北緯44度12分、東経11度25分』
 通信デバイスに内蔵されたAIが、未来の仲間のように冷静に状況を解析してくれる。孤立した牧草地でも、ひとりではない気がした。
 「……ここが、十六世紀のトスカーナ……?」
 父親が日本人、母親がフィレンツェ出身のイタリア人であるエイドリアンは、一度だけ親戚を訪ねるついでに観光に連れて来られたことがあった。
 二十五世紀で目にしたあの景色と、地形そのものは大きく変わらない。
 けれど――まるで別世界だった。

 緩やかな丘陵を覆うのは、果てしなく連なるぶどう畑。
 陽を受けて青々とした房がきらめき、その合間に点在する銀葉のオリーブが風に揺れる。
 鼻先をくすぐるのは、湿った土と若草の匂い。
 深く息を吸い込めば、喉の奥まで澄み渡るような空気が広がる。

 未来で見た「保存された景観」は、どこか作り物めいていた。
 だが今、眼前にあるのは、手つかずでありながら洗練された自然の美。
 人と大地がまだ真に共に生きている、そんな時代の息吹だった。

 エイドリアンは深く息を吸い込み、胸に新鮮な空気を溜め込むと、視線を遠くに転じた。丘を越えた先に、石造りの町並みと鐘楼の影が見える。
 「……フィレンツェ」
 都市が近くにあるのは、不幸中の幸いだった。
 もし飢えや傷に襲われれば、頼れるのは人々の営みしかない。
 
 足を進めるにつれ、未舗装の道を往来する馬車の音や、遠くから響く鍛冶場の鉄槌の音が耳に届く。やがて、城壁の門を抜けた瞬間、石畳の道に足が触れ、彼は時代の厚みを実感した。
 
 露店では香辛料や布地が並び、商人たちが声を張り上げている。貴族風の衣を纏った者と粗末な作業着の者が同じ路を行き交う。言葉は母の出身地ゆえ聞き慣れたイタリア語だが、抑揚や発音はどこか古風で、耳に新鮮だった。
 
 そして、視線の先にあった。
 青空に映える、荘厳な大聖堂の姿。白と緑の大理石の壁面、優雅に連なる円柱、遠目にも威容を誇るクーポラ。
 エイドリアンは思わず足を止める。
 
 「……サンタ・マリア・デル・フィオーレ……」
 
 母に連れられて観光で訪れた、あの街の象徴。だが今、およそ千年前の時代にあって目にする大聖堂は、ガイドブックでは決して伝わらなかった力強さを放っていた。

 旅人を迎える鐘の音が、澄んだ空気を震わせていた。
 エイドリアンは息を整えると、足早に石畳を進む。
 未来へ戻るには、正確な西暦年月日が必要だ。

 町の人々に尋ねても、「今は収穫期だよ」といった曖昧な答えばかり返ってくる。
 そこで、何人かの町人に相談したところ、ある老夫婦が口を揃えた。
 「教会にいけば、教えてくれるよ」
 ――そうして彼が足を向けたのが、大聖堂だった。 

 門前に立つと、堂々たる建物の威容が視界いっぱいに広がる。静けさと荘厳さに包まれたその空間は、エイドリアンにとって安全な情報源への扉でもあった。
 大聖堂の扉を押し開けると、冷んやりとした空気が室内を満たした。ステンドグラスを通した光が石床に幾何学模様を描く。
 
 「……失礼いたします」
 慎重に歩みを進めると、白い祭壇の前に立つ聖職者が、ふと視線を止めた。
 裾の長い白衣に紫のストラを掛けたその人物は、この大聖堂に仕える司祭であることがひと目でわかった。 
 「……あなたは、異国の方ですか?」
 
 その声に、エイドリアンは一瞬息を飲む。
 髪は薄茶色の短髪、くすんだ青色の瞳に日本人の父譲りの端正な輪郭。服装も現地の人間とはどこか違う。未来人としての常識に従った控えめな立ち振る舞いも、彼の異質さを際立たせていた。
 「……はい。少々遠くから来ました。お尋ねしたいことがありまして」
 ​司祭の表情に不審の色はなかった。エイドリアンがしっかりと読み書きができ、暦や天文に関する教養があることを伝えると、司祭はすぐに彼を遠方から来た知識人と見なし、微笑んで席を示した。

 司祭に案内され、木製の長椅子に腰を下ろす。重厚な石造りの空間には、香の匂いと静かな祈りの残響が漂っていた。
 「さて、何をお尋ねでしょうか?」
 穏やかな声で問いかける司祭に、エイドリアンは深く息を吸う。

 ​「……すみません。些細なことなのですが、正確な日付を知りたいのです」
 エイドリアンの言葉に、司祭は眉を少しひそめたが、興味深そうに視線を向ける。
 この時代のフィレンツェで使われる主な言語は正確にはトスカーナ方言。彼の話すイタリア語は現代的すぎて、理解はされるものの、現地の人には訛りとして聞こえているのだろう。

​ 「日付……とな? 遠方から来られた方は暦に不慣れなことが多い。我々の地方の暦は、一般とは異なり『受胎告知の日』を新年の起点としております」
 (――新年の起点が違う? 標準的なユリウス暦の知識では不十分だったか……)
​ 司祭はその動揺に気づかず、快く巻物を広げ、ペンを取り、慎重に数字をなぞる。
​ 「この受肉暦じゅにくれきに従えば、今は収穫期の少し前になります。日付は、一五三五年、八月七日と記録されています」

 エイドリアンはその数字を目で追い、心の中で確認する。未来へ戻るための正確な時空座標を特定するには十分だった。
 「ありがとうございます」
 微かな礼を告げると、司祭はにこりと笑い、再び祈りの静寂に戻った。

 サンタ・マリア大聖堂の荘厳な影を背に、エイドリアンは人目を避けるように路地へ身を潜めた。
 誰もいないのを確認すると、そっと腕のデバイスに話しかける。
 「……AI、フィレンツェの受肉暦一五三五年、八月七日は西暦でいつになる?」
 小さなホログラムの窓が浮かび上がり、文字が表示される。
 『解析しました。ユリウス暦基準では、西暦一五三五年八月七日に一致します。グレゴリオ暦換算では一五三五年八月十七日に相当します』
 エイドリアンはその数字を見つめ、未来へ戻るための正確な座標を心の中で反芻した。
 これで、回収班が迎えに来られるはずだ。
 ほんの小さな光だが、確かな希望が胸に差し込んだ。

 「……クロノス機関、本部へリンクを要請」
 しかし、どれほど腕の端末へ呼びかけても、返ってくるのはザザッという無機質な雑音ばかり。
 乱流の影響が、通信機にまで及んでいるのか。

 エイドリアンは深くため息を吐き、天を仰ぐ。
 背後の石壁にもたれかかると、そのまま膝を折り、冷たい石畳に身を沈めた。
 そして、沈黙に耳を澄ませながら、そっと目を閉じた。
 
 
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