時を超えた異邦人、伯爵令息の愛に囚われて

たもゆ

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#09 主の絶対命令

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 収穫期の終わりを迎えた街は、ひと仕事を終えた安堵の空気に包まれていた。葡萄酒の甘い香りがまだ漂う邸の食卓で、カルロ伯爵一家は、いつもと変わらぬ夕餉を囲んでいた。
 壁際に控えるエイドリアンは、なるべく目立たぬよう背筋を縮める。

​ 「ねえ、ダンテ兄様! 今度の舞踏会にエイドリアンを連れて行きましょうよ! 面白いですよ、きっと!」 
 アンドレアの楽しげな声が響いた瞬間、エイドリアンの肩がぴくりと跳ねる。横目に見たダンテもまた、フォークを握り直し、眉間に影を落とした。

 カルロ伯爵はワインを口に含み、ちらりと息子へ目配せする。
 「……ふむ、それは面白そうだな」
 「父上。私は反対です」
 ダンテは父の言葉を遮るように口を開いた。声は低く抑えられていたが、その奥に強い拒絶がある。
 「エイドリアンはまだ我が家に迎え入れて日が浅い。社交の場に慣れてもいません。舞踏会に同行させるのは、適切ではないでしょう」
 毅然とした口調のはずが、僅かな苛立ちが滲んでいた。
 アンドレアはくすりと笑い、肩をすくめる。
 「でも兄様、今度の舞踏会は仮面舞踏会なんでしょう? 仮面舞踏会は“無礼講”だと聞きました。少しくらい失敗しても大丈夫じゃないですか?」
 
 カルロ伯爵は愉快げに杯を掲げ、口の端を上げた。
 「アンドレア。いくら仮面舞踏会でも、使用人の失態まで許されるものではないのだよ」
 「そうなのですか?」
 「――だが、これを機にエイドリアンに社交の場を経験させるのも悪くあるまいか」
 
 カルロ伯爵の言葉に、ダンテの眉がわずかに動いた。
 「父上。異国人をお連れすれば、異端視する者どもの格好の餌になります。余計な揶揄を受けかねません」
 「なに、言いたい者には言わせておけばよい」
 「……しかし――」
 その場の軽口に混じらず、ダンテだけが真剣だった。思いつめたように視線を落とし、固く結んだ唇は微動だにしない。
 ジュリア夫人がそんな彼を和らげるように微笑む。
 「あら、いいじゃない。ルチアーナと一緒なら安心よ」
 「……ですが、エイドリアンは目立ちすぎます」
 「それのなにがいけなくて?」
 夫人の一言に、ダンテは一瞬言葉を失った。
 それでも諦めきれず、低く告げる。
 「……万が一、フェデリコ公爵の目にとまったら――」
 「まぁ、それこそ名誉なことでしょう」
 「そうですよ。ダンテ兄様は心配しすぎです」
 アンドレアと夫人の笑い声が重なる中、ダンテは小さく息を吐き、ちらりとエイドリアンを一瞥したきり、黙り込んでしまう。

 ​ ――フェデリコ・フィオレンツァーニ公爵。神聖ローマ皇帝の後押しでフィレンツェを治めるようになったばかりだが、その野心は尽きることを知らない。
 外交と武力を駆使して周辺の都市国家を併呑し、強大なトスカーナ大公国を築き上げるのは時間の問題だ。
 いかなる貴族であろうとも、その専制的な権威には逆らえず、頭を垂れるしかない。
 ​もし公爵家から“使用人の引き抜き”などという話が持ち上がれば、それはむしろ格下の貴族にとってはこの上ない名誉だ。たとえ喉から手が出るほど必要な人材であっても、二つ返事で喜んで差し出すに違いない。
​ そのダンテでさえ、政略という名の鎖に繋がれた駒なのだ。その前で、自分など――ほんの小さな、取るに足らない影に過ぎない。
 
 (……それなのに、アンドレアの何気ないひと言で、僕が舞踏会に同行することが決まってしまった)
 胸のざわめきを抑えきれず、エイドリアンはただ、納得のいかないように沈黙するダンテの横顔を見つめるしかなかった。
 

 
 ***

 収穫祭の余韻が、まだ街のあちこちに漂っていた。
 石畳には葡萄酒の甘い香りが微かに残り、子どもたちは、祭りで編んだ花冠を名残惜しげに手にしている。
 人々は神に豊穣を感謝し、歌い、踊り、飲み明かした――そんな季節の記憶が、今もどこかで息づいていた。
 だが、その熱狂の名残が静かに沈殿する頃。トスカーナの最高権力者、フェデリコ公爵の邸宅兼宮殿では、
 民の祭りとは対照的な、華やかな仮面舞踏会の幕が上がろうとしていた。
 
 ​その舞踏会に向けた準備のため、カルロ伯爵邸の広間には仕立て屋が招かれ、絹や金糸が次々に広げられていった。伯爵や夫人、ダンテ、アンドレアの衣装が選ばれるたび、色とりどりの布地が白壁に映え、まるで広間に咲き誇る花園のように輝き、目を奪われる。

 「では、こちらの使用人の方々も――」
 仕立て屋が控えていたエイドリアンとルチアーナに視線を向ける。

 (僕も……?)
 呼ばれるとは思っていなかったエイドリアンは、居心地の悪さに肩をすくめ、背筋をわずかに縮めた。自分はただの使用人。華やかな家族の輪に混じっていいはずがない――そう胸の奥で自覚しながらも、視線を下げるしかなかった。
 
 ​「なるべく地味に。誰の目にも留まらぬ装いにしてほしい」
 ​低くぶっきらぼうに言ったのはダンテだった。その横顔には真剣さが滲み、一顧だにさせないという強い意志が込められていた。
 ​仕立て屋に腕を測られながら、ちらりとダンテを見る。彼は険しいまなざしで、エイドリアンの動きをじっと見守っていた。

 
 ​ところが数日後、仕立て上がった衣装を纏ったエイドリアンは、地味どころかかえって鮮やかに際立っていた。
 ​布の色は深緑。装飾は控えめながら、東洋の血を引くエイドリアンに合わせて、異国風のカットが微かに個性を残していた。異国の尾花色の髪と灰青の瞳は、落ち着いた深緑の布地の色合いに吸い寄せられるように際立ち、静かに広間の光を吸い取るように場を支配する。
 ​「……美しい……」
​ 思わず、ダンテの口から吐息のような感嘆が零れた。だがすぐに首を振り、「――いや、違う。馬鹿な……」と、自らの感情を断ち切るように言葉を濁し、苦々しく視線を逸らした。
 
​ 鏡に映る自分を見つめるエイドリアンは、十六世紀の見慣れぬ衣装のせいか、どうしても服に着せられているような心許なさを覚えていた。
 ​「……う、浮いてますよね……?」
 ​不安を滲ませた声に、ダンテはわずかに眉を寄せ、視線を逸らす。
​ 「……想像以上に、人目を引くな」
 ​彼は手を軽く握り締め、口元に微かに笑みを浮かべた。言葉には出さないが、その複雑な、そして独占的な沈黙の眼差しが、何よりも雄弁だった。
 「いいか、エイドリアン。これは主としての絶対的な命令だ」
 声が一段と低くなる。
 「舞踏会では、誰とも口をきくな。誰も君に興味を抱かせてはならない。もし何か言われたら――『主に話すことを禁じられている』とだけ答えろ。分かったな?」
 「……は、はい。承知しました」
 エイドリアンがそう答え、視線を伏せた瞬間、ふと横から気配を感じた。

 くすくす、と抑えきれない笑い声が広間に響く。
 「ダンテ兄様、そんなにエイドリアンの顔が気に入らないなら、いっそ麻袋でも被せておけばいいんじゃないですか?」
 「……アンドレア」
 鋭い殺気を帯びた視線が弟に向けられる。だが、その無邪気な笑みに、ダンテはそれ以上何も言えなかった。

 「若坊っちゃま、兄君をからかうのはほどほどに。エイドリアンさんもお困りですよ」
 ちらりと目をやれば、アンドレアとルチアーナが、呆れと喜びが混ざった、温かくもどこか含みのある笑みを浮かべていた。
 エイドリアンは頬の熱を誤魔化すように、慌てて鏡へ視線を戻した。
 
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