時を超えた異邦人、伯爵令息の愛に囚われて

たもゆ

文字の大きさ
17 / 24

#17 愛しい裏切り者

しおりを挟む
 ​書斎に幽閉されてもなお、エイドリアンの胸にダンテへの憎しみは芽生えなかった。
 暖炉の炎の温もりも、与えられた一杯の水も——すべてが彼の歪んだ愛の欠片だと、どうしても感じてしまうからだ。
 
 だが、その愛は、彼を生かしたまま縛り付ける鎖でもあった。そして、ダンテ自身もまた、政略という名の鎖に縛られている。
 シエナの名門貴族への婿入りは、人質と同じ意味を持つ。フェデリコ公爵は、敵対勢力に一族の嫡男という最大の駒を預け、シエナの抵抗を封じ込めようとしているに過ぎない。

 公爵にとって、旧伯爵家の嫡男であるダンテは、いまだ影響力を持つ「潜在的な政敵」に等しい。
 この任務は、シエナで少しでも過ちを犯せば、同盟を危うくした罪でフィレンツェに粛清されるか、あるいは反フィレンツェ派に暗殺されるかの「使い捨ての駒」としての役割を強いるものだった。 

 しかし、その直前に、政略の道具であるはずのダンテが、異国の従者に心を奪われ、その存在を隠そうとしている。
 フェデリコ公爵の目にそれが映れば、ダンテは「私的な欲望を、公的な使命より優先した」と見なされ、許しがたい不忠の烙印を押されるだろう。
 婚儀は破談、一族は財産も名誉も剥奪され、サントロ家はフィレンツェから消え去る——それが、エイドリアンが留まることで巻き起こる最悪の未来だった。

 (この運命の鎖を断ち切るために、僕はダンテにとって、愛しい裏切り者でいるしかない)

 
 裸のまま、ひとりベッドで目を覚ましたエイドリアンは、しばし天蓋の影を見つめていた。昨夜の余熱がまだ肌にまとわりついている。
 ダンテは相変わらず多忙を極めているのか、給仕の時と愛を求めて戻る時以外は姿を見せなかった。
 そして時折、ルチアーナが部屋を清めに来ることがあった。しかし、ダンテの命に従っているのか、彼女はエイドリアンと目を合わせることも、言葉を交わすことも一切なかった。
 
 やがて彼は身を起こし、ベッドの縁に無造作に投げ捨てられた給仕服の腰帯に吊るされた小袋へ手を伸ばす。隠しておいた通信端末の冷たい感触が指先に触れた。

 彼は、自分が犯した「罪」の重さを知らねばならなかった。
 干渉してはならない歴史の人と、禁じられた関係を結んでしまった——それはタイムトラベラーにとって、もっとも許されぬ背信である。
 だが思い返すたび、彼の胸を締めつけるのは罪悪感ではなく、温もりに満ちた記憶だった。抱き寄せられた腕の力も、囁きかける声の震えも、理性を呑み込む甘美な破片となって残り続ける。
 それでも、彼は冷徹な事実で自らを打ち据え、恋に溺れかけた心を鎖で縛り直さなければならなかった。

 「……AI、歴史上の人物、ダンテ・ディ・サントロでサーチ」

 青白いホログラムの小窓が宙に浮かび、無音のまま淡々と文字が流れた。
 『――検索中』
 やがて浮かび上がった結果に、エイドリアンは目を細める。
 『――「ダンテ・ディ・サントロ」という名の歴史上の人物に該当するデータはありません』

 「……ない、か」
 乾いた呟きが漏れる。無理もない。歴史に名を刻むのはフェデリコ公爵のような覇者であって、その傍らに生きた一人の貴族の名など、記録の片隅にすら残らないのだろう。
 
 もし彼が歴史に名を刻む人物であったなら――その時こそ、自分は迷わず愛を切り捨てるつもりだった。干渉すべきでない偉大な存在として、理性の刃で執着を断ち切る覚悟をしていた。
 だが、現実はそうではなかった。検索の結果が示したのは「名も残さぬ男」。ただそれだけだった。
 そのはずなのに……どうして自分は、安堵ではなく、このどうしようもない渇望に囚われ続けているのか。
 ――愚かしい。結局、切り捨てられるはずもない自分を、エイドリアンは心の中で嘲笑するしかなかった。
 
 エイドリアンは窓へと視線を移した。
 ダンテの不在を狙って何度か確かめたが、そこはアーチ状の小さな開口部に厚いガラスがはめ込まれているだけで、開閉の仕組みは見当たらない。指先で押しても、揺らぎひとつない。無理に割ろうとしても、その外側には錆びた鉄格子が厳重に張りつけられていた。
 それは中世から残る造りか、あるいは伯爵が意図して施した特別な備えか――いずれにせよ、逃げ道を断つ檻であることに変わりはなかった。

 エイドリアンに残された最後の手段は、クロノス機関本部への救助要請だけだった。
 それは同時に、ダンテとの愛を自らの手で断ち切るという、避けがたい終焉を意味していた。

 「……彼の未来のために、もう終わりにしなければいけない……」
 通信端末を握りしめる指が、微かに震える。

 触れるだけで、彼の命が奪われるかもしれないという恐怖が、胸をぎゅっと締めつける。
 
 (シエナへ向かうダンテは、フェデリコ公爵によって差し出された――いつ暗殺されてもおかしくない、使い捨ての駒だ……)

 自分がここに留まろうと、離れようと。
 彼の歩む道が血と陰謀に満ちた茨の途であることに、変わりはない。

 それでも、彼の愛を裏切り、死地に置き去りにする痛みが、喉の奥をきつく締め上げる――。

 瞼の奥に浮かぶのは、絵筆を握る彼の後ろ姿。
 優しい眼差しの奥に、すべてを諦めたような切なさが宿っている。
 目が合うと、誤魔化すようにそっと笑ったり、視線を逸らしたりする仕草。
 力強くも繊細な唇と掌——どれもが、無言の愛を伝えていた。

 どれほど深く、彼を愛していたか——
 その痛みを、エイドリアンはまざまざと思い知らされる。

 涙が頬を伝い、冷たい床にぽたりと落ちる。その滴は、失われる未来と、今ここに残された痛切な想いの証のようだった。
 
 息を整え、決意を振り絞って端末の画面に触れようとした――その瞬間、書斎の扉から、外側で閂がガチリと外れる音が響いた。
 反射的に体が硬直する。心臓が喉を塞ぐように高鳴り、世界が一瞬、音だけで満たされた。

 だが、そこに立っていたのはダンテではなかった。

 エイドリアンは、予期せぬ訪問者の姿に息を呑む。
そこにいたのは、神妙な面持ちをしたルチアーナと――カルロ伯爵だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

王太子殿下に触れた夜、月影のように想いは沈む

木風
BL
王太子殿下と共に過ごした、学園の日々。 その笑顔が眩しくて、遠くて、手を伸ばせば届くようで届かなかった。 燃えるような恋ではない。ただ、触れずに見つめ続けた冬の夜。 眠りに沈む殿下の唇が、誰かの名を呼ぶ。 それが妹の名だと知っても、離れられなかった。 「殿下が幸せなら、それでいい」 そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かが静かに壊れていく。 赦されぬ恋を抱いたまま、彼は月影のように想いを沈めた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎月影 / 木風 雪乃

窓のない部屋の、陽だまりみたいな君

MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。 そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。 ​そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。 完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。 ​「五分だけ、ここにいさせてくれないか」 ​一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。 次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。 住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。 これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。 無自覚両片想いの勇者×親友。 読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。

沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました

ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。 落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。 “番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、 やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。 喋れぬΩと、血を信じない宰相。 ただの契約だったはずの絆が、 互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。 だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、 彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。 沈黙が祈りに変わるとき、 血の支配が終わりを告げ、 “番”の意味が書き換えられる。 冷血宰相×沈黙のΩ、 偽りの契約から始まる救済と革命の物語。

処理中です...