2 / 10
2
しおりを挟む目を覚ますと見知らぬ部屋にいて、エルザは自分がどこにいるのかすぐにはわからなかった。
徐々に記憶が蘇る。ここは自分を買った男の家で、そして自分がいるのはそこの一室だ。
自由に使っていいと、この部屋を与えられた。しかしこんなに優遇される意味がわからない。
フィルという男はどういうつもりで自分を買ったのだろう。奴隷の証である焼き印を消してしまった理由もわからない。奴隷が欲しくてエルザを買ったのではないのか。
まあ、そのうちわかるだろう。
あまり深く考えずエルザはベッドから降りた。
クローゼットに入っている服を着ていいと言われているので、そこからブラウスとパンツを取り出し着替えた。
身支度を整え部屋を出ると美味しそうな香りが漂ってきた。そちらへ向かうと、フィルが台所に立ち料理を作っていた。
「あ、おはようございます、エルザ」
彼はすぐにエルザに気付き声をかけてくる。
「おはよう」
「もうすぐ朝食ができますから、座って待っていてください」
「すまない、私も手伝う」
エルザは慌てて駆け寄った。
「いいんですよ、気にしなくて。私は好きでしているので」
「そういうわけにはいかない。私にも手伝わせてくれ。私が作ると言いたいんだが、私は料理はできなくて……。だが、野菜の皮を剥いたり材料を切ったりはできるんだ。だから、できれば私に料理を教えてくれないか?」
「エルザがそう言うのなら……次は一緒に作りながら色々教えますね」
「ああ、頼む」
まるで主人と奴隷のやり取りとは思えないな、とエルザはそんな感想を抱く。普通、料理や掃除など奴隷にやらせるものなのではないのだろうか。
オーレリア国では奴隷の売買は禁じられていたのでエルザは奴隷に馴染みがない。だから、実際に奴隷がどのように扱われるものなのかよく知らないけれど。
奴隷の焼き印は消されてしまったから、正確にはもうエルザは奴隷ではないという事になるのかもしれないが。エルザは今の自分の立場がわからなかった。
フィルと一緒に食事を済ませ、彼と一緒に家を出る。
活気に溢れた街中を歩きながら、自分は今ナイセリオン国にいるのだと思うと不思議な気持ちになった。
オーレリア国から離れた国に奴隷として売られ、それなのに今はオーレリア国の隣に位置するナイセリオン国にいる。奴隷として売られた時はまさかこんな事になるなんて思っていなかった。
「どこへ行くのか聞いてもいいか?」
隣を歩くフィルに尋ねれば、彼はすんなり答えてくれる。
「はい、剣を買いに行きます」
「剣? フィルは魔術師だが剣も使うのか?」
「剣も扱えますけど、私のではなくエルザの剣を買うんですよ」
彼にそう言われてエルザは驚く。
「私に? そんな事をしていいのか?」
「え? 何か問題がありましたか?」
「だって……私に武器を持たせるなんて無用心ではないか? 私がフィルを殺して逃げ出したらどうするんだ?」
「逆に、そんな事をしてどうするんです?」
冷静に問い返され、確かにそうだ、と思った。
冤罪とはいえ、エルザは既に罪人である。ここから逃げ出したところで、オーレリア国に帰れるわけでもない。
無一文で行く宛もない状況で更に罪を重ねても、それは自分を追い詰める事にしかならない。
フィルはナイセリオン国の重要人物なのだ。彼を傷つければそれこそエルザは大罪人になってしまう。
そもそも、ナイセリオン国最強の魔術師である彼に剣一本で敵うとも思えない。
「…………考えが飛躍しすぎだったな。でも、私に剣を与える意味があるのか?」
「エルザは剣が傍にあった方が落ち着くのではないかと思いまして」
それは彼の言う通りだった。騎士になってからずっと剣が傍にあったのだ。長い間すぐに触れられる距離にあった剣を取り上げられて、心細さにも似た不安を常に感じていた。
「それに、万が一何かあった時、自分で自分の身を守れるようにエルザには武器を持っていてほしいんです。その方が私が安心できるので」
「わかった」
そうして辿り着いた店は大きく、色んな武器が並べられていた。二人は剣が置いてあるところを見て回る。
「あ、これなんてどうですか?」
フィルから手渡された剣を握ってみる。
しっかりとした作りで、けれど重くない。かといって軽すぎない。その扱いやすさにエルザは感動した。
騎士の時に使っていたのは団で支給された剣だった。正直、決して使いやすいとは言えないものだった。柄が太くて握りづらい上に刀身が長く幅も広くてエルザには少し重く、かといってそんな事を言えば女のくせに剣なんて持つからだと蔑まれるのはわかっていたので体を鍛える事でその剣を扱っていた。
しかし今持っている剣は柄も握りやすく、軽く振っただけで手に馴染むような感覚がする。
「どうです、エルザ?」
「ああ、とても使いやすそうだ」
そう答えたエルザだが、剣の金額を見て愕然とした。今まで見た事がないくらい桁が多い。
「じゃあその剣にしましょうか」
「まっ、待ってくれ……!!」
あっさり買いに行こうとするフィルを慌てて止める。
「どうしました?」
きょとんと首を傾げる彼に顔を近づけ小声で言った。
「わかっていると思うが、私はお金を持っていないんだ」
「ええ、大丈夫ですよ、私が払いますから」
「待ってくれ、こんな金額、とてもじゃないが返せない」
「何を言ってるんです、返す必要なんてありませんよ。私からエルザへのプレゼントだと思ってください」
「そ、それなら……この剣ではなく、こっちの短剣でいい!」
エルザは安売りされている短剣を差す。護身用の武器ならば、実際に使うかどうかもわからない。使わずに終わるかもしれないのだ。それなら、エルザは安物で充分だ。
「私はこれがいい」
「ダメですよ、エルザ。貴女の武器は短剣ではないでしょう?」
「確かに長剣しか使った事はないが、自分の身を守るだけなら別に短剣でも……」
「いけませんよ、そうやって自衛準備を疎かにしては。いざという時、扱い慣れていない武器では危険です。まともに扱えず、そのせいで逆に自分の身を危険に晒す事にもなりかねません」
「はあ……」
「もし武器を持った相手と対峙した時、貴女は長剣で戦う術をみっちりと叩き込まれてきたはずです。長剣と短剣では当たり前ですが戦い方も変わってきます。扱い慣れた長剣での戦い方を短剣で行ってしまう可能性が高いです」
「はい……」
「今から短剣の使い方を学んでいけばそれなりに戦えるようになれるでしょう。でもそれは一朝一夕で身に付けられるものではありません。もしも明日、武器を持った複数の暴漢に襲われたら、扱い慣れていない短剣ではきっと太刀打ちできないでしょう。でも長剣であれば、エルザなら難なく暴漢を打ち倒せるはずです。しかし長剣であれば何でもいいわけでもありません。個々の体に合った使いやすいものを使わなければ意味がありません。ですから……」
「………………」
長い長い説明と説得の末、結局エルザは最初に手に持った高額の剣を買ってもらう事になってしまった。
帯刀用のベルトを腰に巻き、それに鞘におさめた剣を提げる。
こうして剣を身に付けるのはとても久しぶりな感じがする。嬉しさと安心感にエルザの気持ちは高揚した。
「ありがとう、フィル。感謝してもしきれない」
「気にしないでください。私が貴女にプレゼントしたかっただけですから。……でも、決してその代わりというわけではないのですが、実はエルザにお願いしたい事があるんです」
遂にきたか、とエルザは思った。きっとその「お願い」の為に彼はエルザを買ったのだろう。
「私にできる事なら」
エルザは頷いた。たとえどんな理不尽な事をお願いされようと、自分に拒む権利はない。ただ、本当に自分にはできない無理難題を押し付けられたらどうしよう……という不安は拭えない。
「では、ついてきてください」
歩きだすフィルの後に続く。
「これから行くのは孤児院です」
「孤児院……」
思いもよらぬ場所の名前が飛び出し面食らう。
一体そこで何をお願いされるというのか。全く想像がつかなかった。
さほど時間もかからず目的の場所に辿り着く。出迎えてくれたのはエプロンを身につけた年配の女性だ。
「こちらがここの院長です。院長、こちらはエルザさんです」
「あらあら、どうも、はじめまして、エルザさん」
「はじめまして」
フィルに紹介され、院長と握手を交わす。
「子供達はみんな、庭にいますわ」
「わかりました。行きましょう、エルザ」
フィルに促され、建物の裏にある庭へと向かう。
「お願いというのは、ここの子供達に剣を教えてほしいんです」
「……私が、剣を……?」
お願いというのがまさかそんな内容だとは思わず、エルザは少し戸惑った。
「剣を習いたいと言っている子供達が結構いるんです。いつでも教えられるように子供用の木剣は用意したんですけど、私も仕事がありますし、継続的に剣の指導を頼めるような知り合いもなかなか見つからなくて……」
「それで、私に?」
「はい。本気で騎士を目指している子もいれば、カッコいいからという理由で剣を使えるようになりたいと言っている子もいます。何にせよ、自分の身を守る術を身に付けておいて損はないと思うので、意欲がある子には学ぶ機会を与えたいのです。武器を持つという事の恐怖や、危険も知ってほしいですし」
「なるほど……」
庭に着くと、そこには十数人の子供達がいた。建物もそうだが、庭も綺麗に整備されている。
子供達はみんな生き生きと、子供らしく遊んでいた。
「私は、人に教えた経験はないんだ。だから、上手く教えられる自信はない。でも、私の知識や経験が子供達の将来に役立てられるのなら、私に教えられる事は教えたい」
素直な気持ちを伝えれば、フィルは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます、エルザ」
それから、フィルは子供達をエルザの前に集め、紹介する。
「今日から彼女が、皆さんの剣の先生になってくれますよ」
「エルザだ。至らない事もあると思うが、よろしく頼む」
「『いたらない』ってなにー?」
「むずかしい言葉ー?」
「あ、それはその……すまない……。私も教えるのははじめてなので上手くできるかわからないが、よろしくという意味だ……」
今まで殆ど子供と接する機会のなかったエルザは、うっかり子供向けではない言葉を使ってしまい、子供達からの質問に慌てた。
それを見て、フィルは小さく笑みを漏らす。
「ふふふ……大丈夫、少しずつ慣れていけばいいんですよ」
「あ、ああ。努力する」
「ではすみませんが、私は仕事に行かなければならないので、あとはお願いしますね」
「わかった」
「終わったらここへ迎えに来ますので、一緒に帰りましょう」
そう言ってフィルは孤児院を後にする。
彼の背を見送り、エルザは改めて子供達に向き直った。
「よし、じゃあまず、君達の名前を教えてもらえるか?」
191
あなたにおすすめの小説
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
【完】麗しの桃は攫われる〜狼獣人の番は甘い溺愛に翻弄される〜
こころ ゆい
恋愛
※完結しました!皆様のおかげです!ありがとうございました!
※既に完結しておりますが、番外編②加筆しました!(2025/10/17)
狼獣人、リードネストの番(つがい)として隣国から攫われてきたモモネリア。
突然知らない場所に連れてこられた彼女は、ある事情で生きる気力も失っていた。
だが、リードネストの献身的な愛が、傷付いたモモネリアを包み込み、徐々に二人は心を通わせていく。
そんなとき、二人で訪れた旅先で小さなドワーフ、ローネルに出会う。
共に行くことになったローネルだが、何か秘密があるようで?
自分に向けられる、獣人の深い愛情に翻弄される番を描いた、とろ甘溺愛ラブストーリー。
【完結】悪役令嬢の身代わりで処刑されかけた侍女、悪人面強面騎士にさらわれる。
雨宮羽那
恋愛
侍女リーリエは、処刑される予定の主・エリーゼと容姿がそっくりだったせいで、身代わりとして処刑台へ立たされていた。
(私はエリーゼ様じゃないわ!)と心の中で叫んだ瞬間、前世の記憶がよみがえり、ここが読みかけだった悪役令嬢ものの小説の世界だと気づく。
しかも小説ではエリーゼが処刑されるはずなのに、リーリエが処刑されかけているという最悪の展開。
絶体絶命の瞬間、リーリエの前に現れたのは強面で悪人面の騎士ガウェイン。
彼はなぜかリーリエを抱えあげ連れ去ってしまい――?
◇◇◇◇
※全5話
※AI不使用です。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております。
騎士団長のアレは誰が手に入れるのか!?
うさぎくま
恋愛
黄金のようだと言われるほどに濁りがない金色の瞳。肩より少し短いくらいの、いい塩梅で切り揃えられた柔らかく靡く金色の髪。甘やかな声で、誰もが振り返る美男子であり、屈強な肉体美、魔力、剣技、男の象徴も立派、全てが完璧な騎士団長ギルバルドが、遅い初恋に落ち、男心を振り回される物語。
濃厚で甘やかな『性』やり取りを楽しんで頂けたら幸いです!
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる