永遠のきみへ

晴なつちくわ

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12.覚悟

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「な、んで、きみが」

 見間違えるはずがない。
 彼の顔を、何度も、何千回と見てきた。その瞳の色も、髪の色も。
 固まったトワに、困ったように眉を下げたアル、否、ノアが笑う。

「ごめん、トワ」

 包帯のせいでくぐもっていたが、鼓膜を揺さぶった声も、ノアのものだった。
 頭が回らない。なんで。どうして。ノアだったのなら、気配でわかったはずだ。なのにどうして今の今まで気づかなかった。悪い夢を見ているのか。何もかも正常に判断できないまま、手を動かせない。その間にも、ノアから血が失われていくのに。それがわかっているのに、頭が、働いてくれない。
 ふっと静かに笑ったノアが、もう必要ないとばかりに包帯を全部取っていく。やはりそこから現れたのは、他の誰でもない、幾度と見てきた大切な人の顔だった。
 額に脂汗をにじませたノアが、力なく笑った。

「ごめん。どうしてもあんたの傍に、っ、いたくて、アダルさんに、頼み込んだんだ」
「ッ、もう喋らなくて良い! 止血するからじっとして!」

 手を動かそうとしたトワの手を、ノアが掴む。なにするんだ、と目で訴えたのに、ノアは首を横に振った。血溜まりが広がっていく。酷い顔をしているのに、ノアは穏やかだ。いやだ、と漏れた声が虚しく小さく消えていく。
 どんどんと命の気配が遠ざかっていくのがわかる。それなのに、ノアは青白い顔をしてなお、穏やかに微笑んでいる。

「あんたが何者でもよかったんだ。トワが、トワだけが俺の世界の中心で、何にも代えがたくてすきな人だったから」

 そんなこと、知っていた。でもあえてその手を放した。それはノアという存在をこの世に留め置くのに必要なことだと思った。ノアを危険に巻き込みたくない。でも自分が傍にいたらそれは叶わない。だから自分が傍にいなくても、生きていてほしかったから、手を放したのに。

「なんで、ッ、庇わなくたって私は死なないのにッ、なんで庇ったんだ!」

 荒ぶる声を止められない。助けてくれてありがとうの一言も言えないこの口が憎たらしい。でもそれ以上にノアに死んでほしくなかった。庇わないで、放っておいてほしかったのに。
 肩に手が乗る。顔を上げてかち合った瞳は、愛おしそうな光を帯びてトワを見るばかりで、怒りなんて少しも滲んでいない。それどころか嬉しそうにすら見える。

「死ななくても、痛いだろ? どういう形であれ、トワに、傷付いてほしくなかったんだ。勝手な、ことして、ごめん」

 トワは怒ると知ってた、とノアは力なく笑った。それが彼の限界を知らせるようで、何も言えなくなる。ふ、と息を吐いたノアの体が傾いた。咄嗟に伸ばした手。倒れ込んできたノアの体は、重たかった。ぐったりと肩に頭を預けたまま動かない。
 いやだ。死なないで。死んじゃだめだ。
 
「痛みを、肩代わりしたいくらい、トワが、すきなんだ。死んだって、本望だ。でも、トワも同じくらい、おれのこと想ってくれてたんだってしれて、うれしかった。ほんとうだよ」

 言葉が拙くなっていく。息がとまりそうなほどに、心臓が痛い。耳元で聞こえる呼吸音がどんどん小さくなっていく。彼の脈拍が小さくなっていくのがわかる。

「なぁ、とわ。ひとりで、かかえないで。おれにも、あんたのいたみをせおわせて。まだ、まにあうなら、あんたといっしょに、」

 いさせてよ。

 かすれた声を最後に、ノアの声は聞こえなくなる。
 指先が冷たい。どんどんと目の前の命が気配が小さくなっていく。
 どうしたらいい。自分自身に問う。わからない。でもノアを死なせないためにできるのは、血を与えることだけだ。
 今までさんざん避けてきたのに? 突き放してまで与えなかったのに? そう冷静な自分が笑っている。ざまあない。こんなことになるなら最初からその血を与えておけばよかっただろうに。それなのに、今そうするのか? なぜ?
 なぜ、なんて。
 簡単だ。この世にノアがいてほしいから。自分のせいで死んでほしくないから。永遠という首輪をかけることになっても、生きていてほしい。いつか、彼が自分の手を離して、他の誰かを選んでもいいから。
 そこでやっとトワは気付く。
 体の良い言い訳ばかり並べていた。生きていてほしいなんて尤もらしい事を言っていたけれど、結局のところ自分は覚悟がなかったのだ。自分と一緒にいることで後悔するノアを見たくなかった。心変わりをして自分から離れていく彼を見たくなかった。自ら手を離すことで、それを見ないでいいようにした。彼が望んでくれるなら一緒にいたい。そう思いながら、手を離されるのを怖がっていたのは、ずっとずっとトワ自身だった。

 ぎり、と奥歯を噛んだ。今更気づくなんて、遅すぎる。
 でも、手遅れじゃない。まだ間に合う。
 ゆっくりと顔を上げる。苦しくないように自分の膝を枕にしてノアの体を横たえた。紅混じりの金の髪をそっと撫でる。

「ずっとお前から逃げててごめん。もう逃げないよ。苦情なら後でいくらでも聞く。だから生きて、ノア」

 ノアの近くに落ちていた刃渡りの長いナイフを手に取った。そのまま己の腕に押し当てる。ぶつり、と切れた皮膚から、真っ赤な血が溢れ出す。その傷に舌を走らせて、血を少し多めに口に含む。己の切り傷に構うことなく、ノアの背に腕を回してその体を起こした。異様に白いその顔。ふ、と溢れた笑み。そのまま、背を支えている腕と逆の手で顎を支え、指先で唇を開かせた。
 そっと唇を合わせて、そのまま唾液と一緒に己の血を、咳き込まないようにゆっくりと時間を掛けて流し込んだ。
 

***


 好きでたまらない人の指先が震えている。
 好きでたまらない人の声が滲んでいる。
 それが分かるのに、伸ばしたい手は信じられないほど重たい。大丈夫だよ、あんたが気に病むことは何もないんだ、といってあげたいのに口を動かすことも難しかった。
 自分の思い通りにならない体。霞んでいく視界。

 ふとアダルと話した時のことを思い出す。
 それは隊商としてリシルを出国する二日ほど前まで遡る。



「なにか言いたいことがあるのではないのですか?」

 話をしてくれないか、と言ってきたのは目の前の初老の男――アダルだったはずなのに、彼の部屋に入った途端、アダルはそう言った。しかしノアにとっては図星だったから、はい、と強く頷いた。

「おれ、トワに着いていきたいんです」

 興味深そうにアダルは、ほう、と言って笑みを深めた。

「私に何をしてほしいと?」
「アダル様は国で一番偉い方だとトワは言っていました。なら、孤児院にも関わっていると推測します。だから、お願いがあるんです。孤児院を今すぐ出れるようにしてください」

 孤児院を出るには、十八歳の誕生日が来る必要がある。しかしノアは誕生日が正確ではないため、孤児院に迎え入れられた日が指定されている。その日が来るのは、今から四ヶ月ほど先。明日にもリシルを発ってしまいそうなトワを追いかけるには遅すぎる。
 だから今すぐにでも孤児院から出たかった。
 返ってきたのは沈黙。そんなに難しい要求だったのだろうかと首を傾げたのと、アダルが眉を上げたのはほぼ同時だったように思う。何も言わないことを悟ったのか、彼は言った。

「孤児院をすぐに出られる手配、それだけが貴方の願いなのですか?」
「はい。それだけしていただければ、あとは自分でなんとかします」

 言い切ったノアに、アダルはぱちぱちと目を瞬いた後、ふっと笑みを零した。

「そういうところは変わらないのですね。……いいでしょう」

 後半部分の了承しかノアの耳には届かなかったが、彼の表情を見れば批判ではないのはなんとなくわかった。笑みを深めたアダルにホッとしたのも束の間。

「ただし、いくつか条件があります」

 背筋が伸びる。やはりただでは無理だとは思っていた。しかし金銭を要求されるとも思えない。自分が飲める条件か少しだけ不安だった。しかし。

「一つ、単独行動は止めていただきたい」

 思わぬ条件が出た。単独行動をしないとはどういうことだろう。最初からトワを追わせるつもりはなかったということか、と悪い方に行きそうになった考えは、アダルの提案で吹き飛んだ。

「リシャール様には私が用意する偽の隊商とともに、隣国の国境まで行ってもらうつもりです。貴方もその一員になって行ってください」
「へっ? いいんですか? おれが混ざっても」
「ええ。でも次の条件を守ってもらいます。それは、リシャール様に正体がバレないようにすること。バレたらその時点で離脱してください」
「……それは難しいんじゃ? トワは気配が分かるって前に言ってたし」

 きみの気配はわかりやすいんだ、と言われたことをよく覚えている。お陰で小さい頃から一度も、トワを驚かせられたことがないのだ。
 顔を曇らせたら、アダルは笑みを深めて言った。

「三つ目の条件を満たすならそれも叶います。貴方はユリャナ様から受け取った蒼玉を今も持っていますか?」
「え? あぁ、これで合ってますか?」

 ごそごそとポケットを探って小さな巾着袋から、ユリャナに貰った蒼玉を取り出してアダルに見せる。深く頷かれた。

「それはいわば、ユリャナ様の一部。彼女の意思で彼女が有する異能を使うことができます。彼女にはすでに連絡をしてあります。だから、今日貴方がリシャール様の家を訪ねた時、扉を開けるまで気付かれなかったのでは?」

 そういえば、と思う。扉を開けた時、トワはまるで別の待ち人に話しかけるようなことを言っていた。片付ける作業に集中していたからだと勝手に思っていたけれど、ノアの姿に意外そうな顔をしていた理由もその能力のお陰なら納得がいく。

「……もしかして、ユリャナはこうなることを知っていたんですか?」

 蒼玉を受け取ったのは今から随分と前の話だ。そんなに前々から動くことができるなんて、こうなることを知っていたとしか思えなかった。しかしアダルは首を横に振る。

「彼女にも確信があったわけではありません。しかし、何かがあったらリシャール様はノアを置いていくだろうとはおっしゃっていました。それを危惧した上で、貴方にそれを渡したのは間違いないでしょう」

 そんなこと、全然知らなかった。だからユリャナは最後に会った別れ際に、あんなことを聞いてきたのだろうか。独りにしないで、と言った意味が今なら分かるような気がした。
 でも、どうして、と思う。アダルなら答えてくれるだろうか。ゆっくりと口を開く。

「あの、もう一つ聞いても?」
「ええ。どうぞ」
「どうして、此処までしてくれるんですか?」

 ユリャナもアダルも何故ここまでしてくれるのか分からなかった。ユリャナにいたっては、今まで随分と毛嫌いされていたように思うのに。それに二人とも、自分よりもずっとトワに近い人達で、自分の知らないトワを知っているはずだ。トワが自分を遠ざけたがっていることも。
 なのに、どうしてなのだろう。
 アダルは小さく笑って、ノアを見る。その視線はノアを見ているようでもあり、ノアではない誰かを見ているようでもあった。

「リシャール様と同じように、貴方にも我々は感謝しているから、とでも言っておきましょう」
 
 わかったような、わからないような言葉を投げられて、ノアは曖昧に頷くことしかできなかった。あと何で敬語なんですか、という問いは、笑って誤魔化されてしまったのはまた別の話だ。

 こうして、ノアはその条件を三つとも守ることによって『アル』という別の人間に扮して、トワのたびに同行することになった。
 初めこそ正体がバレるのでは、と心配したが、トワは全くと言っていいほど気付かなかった。時々不思議そうな顔をしても、まさかノアだとは思いつかないようだった。
 当たり障りない会話と笑み。他人行儀なそれに少しだけ胸が痛かった。トワの近くにいても必要以上に話すことはできない。だとしても、トワの傍にいられるなら良かった。ボロが出ないように最低限の会話に努めていたノアに、トワはふと笑って言ったのだ。

「嗚呼、ごめんね。君に似ている子のことを思い出して」

 一瞬バレたのかと思って、心臓が大きく跳ねた。しかしトワはそれきり遠くを眺めていて、安堵すると同時に、ある欲が湧く。
 このまま他人のふりをして彼の心を引き出してみたい。
 欲のまま紙に何度も質問を綴った。
 珍しくトワは饒舌だった。懐かしさと慈しみが滲むその声。嫌われていないことは知っていた。でもどうしてそんなに頑ななのかは、ついぞ教えてくれなかった。だから、今しかないと思った。その想いを綴って問いかける。

「自分の所為でその人が喪われるくらいなら、理解されなくても、憎まれても、罵られても、嫌われてもいいから、僕はその人の手を放すって決めた」

 そんなことを思っていてくれたのか。それほどに、おれを。
 胸が熱い。気を緩めたら涙腺が緩んでしまいそうだった。こんな想いを秘めていたトワの心も知らないで、自分は喚き散らして諦めた。自分とトワは雲泥の差だ。

「結局のところ、僕は臆病なんだよ。一緒に生きて一緒に死んで、って言えるほど純粋でもなければ勇気もない。知識ばかり詰め込んだ頭でっかちな情けない奴なんだ。笑えるね」

 情けないなんてこと絶対に有り得ない。おれがトワの心を理解できなかったクソガキなだけで、トワは何も悪くない。
 そう思うのにトワは自嘲する。それを止めさせたくて、必死に文字を綴った。綴った言葉に嘘は何一つとしてない。それだけの深い愛を向けてくれていたのだと知れて、心底嬉しかった。それと同時に、トワを泣かせてしまったことが悲しかった。心を傷めないでほしいのに、こういうときに限って何の役にも立てない自分が腹立たしくて仕方なかった。
 守りたい、といってくれたトワを同じように守りたかった。
 一緒に生きて一緒に死んで、とトワが甘えられるような存在になりたかった。

 受付嬢が駆け込んできた時、我を忘れて飛び出した。
 探す宛てなんかなかったはずなのに、妙に勘が冴えていた。まるで頭の中に別の存在があるみたいに、トワの気配がわかった。だから彼に辿り着けたし、守ることができた。もしかしたらユリャナがくれた蒼玉を持っていたからかもしれない。わからないけれど、辿り着けたから理由なんてどうでも良かった。
 トワの後ろから迫った男と振り上げられた白刃を見て、咄嗟に体が動いた。不老不死ということが頭から抜けるくらい、この人を守らなきゃと思った。
 だからこそ、この選択に後悔はない。


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