極上の君

晴なつちくわ

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第一部

5.鳥籠はいらない*

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「なに…、ッ!」

 何しやがる、という抗議の声は、首筋に走った痛みで霧散した。
 こいつ噛みやがった!
 そう思うのに、自身の欲望は理性に反して随分と素直だった。
 こんな情緒もクソもないような場所で、あり得ないにもほどがあるというのに。
 ダンテに与えられる痛みにすら、快感を覚えてしまうようになっただなんて。
 勝手に震えた腰。
 ダンテはふっと鼻で笑った。それが馬鹿にしたような笑いだったら、股間を蹴り飛ばして逃げてやったのに。察しのいい男の笑いには、こんな時ばかり柔らかさが籠っている。

「バッカ野郎ッ! どこで盛ってやがる!」

 理性を総動員させて、できる限り音量を絞った声で詰っても、止める気はないらしい。
 するすると走るダンテの手は、クロードの言葉なんてお構いなしに、スーツの中に侵入してくる。抵抗しようにも、圧倒的な力の差をこんなところで見せつけられて、片腕で羽交い絞めにされたまま動けない。

「ダンテ! いい加減にしろ!」
「アンタこそ、いい加減にした方がいいよ」
「あぁ!?」
「僕はあまり気が長い方じゃないんだ」

 全く話が通じていない。気が長いとか短いとかそんな話を今しているのではない。今すぐ意思をもって這う手を止めろと言っているのに、全く聞く耳を持っていないダンテの手は、制止する声を完全に無視して、勝手にベルトまで外してきた。抵抗空しく外されたベルトのバックルが、個室の壁に当たって嫌な音を立てる。

「お前気でも狂ったのか!? こんな場所で誰かに見られたらどうするんだよ!」
「僕は困らないよ」
「ッお前はそうでも俺は、……んッ!」

 これ以上の文句は聞かないと言いたげに、スラックスの中に入り込んできた手。そのまま器用に、パンツの上から足の付け根を撫でてくる。咄嗟に唇を噛んでなければ、その場にあられもない声が漏れていた。
 心臓がバクバクと五月蠅い。今もしもこの場に誰かが来たら、絶対に、間違いなく、ナニをしているかバレる。
 案外トイレの個室は音が響くのだ。そしてトイレは誰もが気を抜く場所でもある。クロード自身情報を聞き出すとき、何時間もトイレで張っていることもあるくらいだ。
 誰かしらが聞き耳を立てている可能性だってあるし、さっきまで一緒だったクソ男が来る可能性だってある。万が一にもこんなところを見られたら、ますますあのクソ男の思うつぼだ。だからこそ今すぐにでも止めさせたいのに。
 
「…ッ、ふっ、んぅ…っ」

 弱いところを知り尽くしている後ろの男の前では、理性も形無しだった。
 首筋をねっとりと舐められて、勝手に力が抜けていく。わざと音を出すのも質が悪すぎる。五感のすべてを色欲で満たされて、抵抗する気力すら奪っていく。このまま気持ちよさに委ねていたい気持ちが、勝手にドンドン大きくなる。自分の体のはずなのに、全く言うことを聞いてくれない。直接性器を触られているわけでもないのに、ゾクゾクとした気持ちよさが、腰に少しずつ溜まっていく。
 ダメだと強く思うのと同じくらい、頭がおかしくなりそうなほど気持ちよくなりたかった。
 気づけば、抵抗を示していたはずの己の手は、腰に回った腕にすがるように懐いている。
 それに気付いているであろうダンテは、何も言わない。ここで揶揄ってこようものなら、間違いなく怒りが欲を食い破っていたのに。
 布の上から膨らみを撫でてくるだけだった指先が、時を見計らったように動いて、パンツをずりおろしてきた。勢いよく出てきた性器は、すでに膨れ上がって先走りを涙のように零している。見ていられないのに、視線を離せない。
 その時にはもう抵抗なんて言葉はどこかに消えていて、早く開放感と快楽が欲しくて、頭が蕩けてしまいそうだった。
 早く気持ちよくなりたい。触ってほしい。
 気持ちを組んだように、長くて骨ばった指が、ゆっくりと絡みついて撫でてくる。
 駆け上がってくる快感に、大げさに体が震えた。

「んッ、ンンッ、っ、ぅ」

 見せつけるように上下する手。勝手に喉から漏れる声。止める術をクロードは知らない。熱い吐息が耳元で聞こえて、余計に頭が燃えてしまいそうだった。
 こんなところでダメだと解っているのに、体も頭もダンテの手技で可笑しくされてしまって、いま与えられている快感の虜になっている。でもどうしてだか決定的な刺激はもらえずに、物足りなさが増していく。
 視界が水気で歪む。この情けなさすぎる状況のせいなのか、それとも気持ちよさのせいなのか、もうクロードには解らなかった。

「気持ちいいね、クロード」

 浮ついた嬉しそうな低音が、鼓膜を犯す。首を横に振ったのは、せめてもの抵抗だった。そう? とさして気にしたようでもなく、ダンテは尚も手と口を動かし続ける。

「嗚呼、そうか。アンタは、の方がもっと気持ちよくなれるかな」

 性器を愛でていた指先が、するすると後ろに回って後孔をやわく撫でられた。わずかに背中が震えたのも、きっと伝わってしまっただろう。理性が正常だったなら、ぶん殴ってでも止めていた。でも今のクロードは絶頂ギリギリまで追い詰められて、それを与えられていない状態だ。すぐそこまで来ているのに、寸でのところで止められている。
 それでも最後にほんの少しだけ残った理性が、欲しい、と口から洩れるのを止めてくれた。
 全部を思い通りにはさせたくない。
 その意思が欲に素直になる自分を許さない。
 首を横に振り続けるクロードに、ダンテは一つ息を吐いた。

「素直じゃないところもアンタらしいけど」

 尻に熱くて粘ついたものが垂らされる。食いしばった歯の隙間から、期待するように唾液があふれてくるのを、知らぬふりをした。もう抵抗する気持ちなんてこれっぽっちも残っていなかった。

「あんまり焦らすなら、どうなっても知らないよ」
「――――ッ!」

 難なくナカに入り込んできた指先が、迷うことなくイイところを探り当てる。そのまま押しつぶすように撫でられて、頭まで一気に快感が駆け上がってきた。膝が笑う。もう立っていられない。意思とは関係なく跳ねる体を、どうすることもできない。ぎゅうぎゅうと指先を締め付けて、全身で気持ちいいと言ってしまっている。

「~~ッ、ぁっ、んッ、ぅう、――ぐッ」
「ね、きもちい?」

 クソッたれと言ってやりたい気持ちもあるのにに、イイのは確かで、このまま気持ちよくなっていたいとも思う。
 まるでチグハグだ。思考もばかになってもう使えそうにない。さすがは勝手知ったる相手というべきか、どうすればクロードが快楽に沈むかもよくわかっていて、抵抗する余裕など作らせてはくれない。快感の波に飲まれて、体も思い通りにならない中、頭の片隅だけは妙に冷静だった。
 どうして何でも持っているこの男が、俺なんかに。
 でもきっとその答えは、簡単に手に入らないから、だ。
 手に入らないものは追いかけたくなるのが、人間だ。目の前に獲物をぶら下げられて走っている時が、一番楽しいのだ、といったのはどこのどいつだったか。だから手に入ってしまった瞬間に興ざめして、どうでもよくなって捨てられるのがオチだ。どうせなんでも持っているこの男は、クロードのことを人生のスパイスくらいにしか思っていないし、それくらいの価値しか見出していないだろうから。

 だったら、いつまでも追いかけてもらう方がいい。
 だから体はくれてやっても、好き勝手にされても、心までは絶対に明け渡してやらない。
 俺に、一生振り回されていればいい。

「ねえ、クロード。そろそろ僕のものになる気になった?」

 絶頂手前で焦らし続けているダンテが不意に言った。
 嬌声の合間で、ははっ、と笑ってやる。
 
「ぁっ、だれが、ッ、なるかよ、んんッ、ぅあ」
「そっか、それは残念」
「~~~~ッ!」

 飽きたような声と同時に、一気に追い詰められて思考が白く飛ぶ。狭いところでずっと密着していたせいか、酸素が薄かったのか、はたまた別の理由か。白飛びした思考のまま、クロードの意識もそこで途切れた。


 ***


 がくん、と力を無くした目の前の体をしっかりと抱き留めて、はー、っと息を落とす。
 やっぱり今日もうなずいてはくれなかった。
 チッと漏れた舌打ちが誰もいないトイレに響く。
 入ってくる前に人払いをしておいてよかったな、なんてどうでもいいことを思いながらぐちゃぐちゃになった手をトイレットペーパーで乱暴に拭いて、トイレに流しておいた。
 クロードの顔を覗き込むと、糸が切れた様に呑気に眠っている。
 はぁ、ともう一度大きな息を落として、身なりを整えてやる。

「ここまで僕にやらせるの、アンタくらいなの、知らないんだろうね」

 まあ知らなくて良いとも思う。別に知られても知られなくても困らない。知ってほしいとも思わない。知ったところで、クロードの態度が変わることはないから。

「早く、僕のところまで堕ちてきて」

 逃げられないところまで堕ちて来てくれるのを、今か今かと待っている。
 無理やり閉じ込めるのも、無理やり自分のものにするのも簡単だ。でもそれじゃあ意味がない。クロードが自ら飛び込んでくるのを、ずっと待っているのだから。彼が選ぶものが、最後に自分であれば、それでいい。
 もしも仮に自分以外を選んだなら、その時は。

 にんまりと吊り上がった口角を隠すことなく、クロードを背負って個室から出る。
 トイレから出ると、見張りとして立っていた部下が僅かに顔を引き攣らせた。

「……ボス、差し出がましいようですが、少しやりすぎでは」
「オレよりあのクソ男だろ」
「え、いや、……まあそうですねボスがそう言うならそうですね」
「なんだよその適当な返し。本気で思ってんのか?」
「本気です本気です。それよりクソ男は放っておいて良いんですか?」
「ああ。もう少し泳がせる」

 御意に、という声を背中に受けながら、ダンテはゆったりとした歩調で歩き出した。
 意識を飛ばしてしまったクロードを誰にも邪魔されない場所で寝かせるために。
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