極上の君

晴なつちくわ

文字の大きさ
4 / 33
第一部

4.不名誉な噂話

しおりを挟む


 ゆったりとしたクラシックの合間に聞こえる、少しのざわめきと、陶器同士が擦れる音。時折ベルが鳴るその空間が、クロードは好きだ。
 ホテルのラウンジというのは、どうしてこんなにも気分が上がるのだろう。
 やっぱりこういうところじゃなくちゃな。
 ふふん、と漏れた笑いを空気に混ぜて、琥珀色の紅茶の水面を眺める。
 ふわふわと漂う湯気。いれたての紅茶の香りを楽しみながら、依頼人を待つ時間は、こんなにも優雅で贅沢な時間だ。
 この時ばかりは裏社会で奔走する苦労を忘れられる。
 今回もなかなかに面倒だった。欲が薄くて口の堅い人間ほど手ごわいものはない。機械のほうがまだ扱いやすいというものだ。念入りに下準備をして、家に潜り込んで、ウイルスをターゲットのパソコンに入れるまでが大変だった。入れてしまってからは楽々に情報収集も出来て、最後にターゲットのパソコンを狂わせてしまえば、もうやることはなかったのだけれど。
 そっとカップを手に取って、口をつけた時だ。

「やあ。早いな、クロードさん」

 琥珀色から視線を上げれば、白髪交じりの柔和な笑みを浮かべた男が立っていた。
 彼はスーツに目がないという通り、今日もオーダーメイドらしきスーツを着ている。バーガンディのような目立つ色を着られるのも彼ならではかもしれない。標的だったら一発で見つかってしまいそうだが、口は禍の元だ。ぐっと飲み込んでから、笑みを浮かべる。

「アドルフォさん、暫くぶりです」
「ああ。それで、早速だが、」

 口を動かしながら目の前のソファに腰を掛けたアドルフォへ、ポケットに忍ばせていたUSBの入った封筒を差し出す。彼がほしいものはそこにすべて入っている。金混りの茶が、僅かに笑んだ。

「さすがはクロードさん。仕事が早くて助かる」
「それなりに苦労はしましたけどね」
「君ほどの男でもか?」
「それはそうですよ。足で稼ぐ分時間はかかりますし」
「ははっ、謙遜にしか聞こえないな」

 朗らかな口調で笑いを零したアドルフォは、早速それを胸の裏ポケットへとしまい込む。しかしいつまで経っても席から立ち上がろうとせず、寧ろ前のめりにこちらを見つめてくるのだ。今までは依頼のものを手渡したらすぐに席を立っていたのに。僅かに抱いた違和感。やはり席を立とうとせずに、こちらをずっと見つめてくる。
 笑みを張り付けたまま、ゆっくりと口を開く。

「アドルフォさんも、何か飲んでいかれますか?」
「あぁ、それもいいが。それよりも」

 伸びてきた指先が、カップを掴みかけていたクロードの手へ触れる。するりと指の背を撫でられて、全身が粟立った。

「君についての噂を聞いたんだ」

 確実な意思をもって動く指先には見向きもせずに、目の前の金混りの茶を見つめ返して、笑ってやった。

「へえ? 一体どんな噂ですか?」

 笑みを深くしたアドルフォが、顔を寄せてささやく。

「君、体を使うこともあるそうだね?」

 笑みを消さないまま、目の前の男に笑ってやる。
 あえて『体を使う』と言ってくるということは、セックスのことを言っているのだろう。間違ってはいないし真実だが、なぜこの男がそんなことを言ってくるのかが分からない。笑みを張り付けたまま、ええ、と肯定する。

「その方が都合が良いこともあるので。それが何か?」
「それは、お願いしたら私もヤらせてくれるのか?」
「……さあ? どうでしょう。気分が乗ればそういうこともあるかもしれないですね?」

 他人事なのは、少なくとも今日はその提案は却下だ、という意思表示だった。
 誰が好き好んで尻の穴を貸そうというのだ。クロード自身、気持ちが良いことが好きな節はあっても、誰彼構わず股を開いて媚びるなんてことはしない。それがたとえ大口の依頼人だとしてもだ。
 しかし、目の前の男は諦め切れないのか、腰を浮かせると、今度はクロードの隣に席を移してきた。それだけでなく不躾な手で腰を撫でてくる。嫌悪で引き攣りかけた頬を止めたことを、自分でほめてやりたいくらいだ。

「じゃあどうすれば君の気分が乗るのかな」
「ははっ、少なくとも今日は無理ですね」

 その手からするりと抜け出して、立ち上がる。
 それすら面白がっているらしい。
 舌なめずりをしてくるアドルフォに、とびきりの笑顔で応えてやる。

「ボクにも選ぶ権利はあります。礼節を学んでから、出直してください。嗚呼、それから報酬は忘れずに指定の口座にお願いしますね」

 くるりと踵を返したクロードの背に、声がかかる。

「クロードくん。私は諦めの悪い男なんだ」

 ハッ、と鼻で笑って肩越しに言ってやった。

「なおさら願い下げですね」

 そのまま振り返らずにラウンジを後にする。
 いつまでも背中に突き刺さる気持ち悪い視線が、鬱陶しくて仕方がなかった。このままではとても家に帰れそうにない。とにかくあのクソ野郎に触られた指先を洗うことにしよう。ラウンジを出てすぐにトイレに直行した。

 トイレといっても流石一流ホテルといえばいいのか、大理石風の壁で作られたトイレは清潔そのものだ。いくら水を流しっぱなしにしても文句も言われない。強めに出した水で何度も手を洗って、泡で出るハンドソープも山ほど使ってやる。
 あのクソ男が! 二度と依頼なんて受けてやるかよ! クソッたれ!
 本当に気分が悪い。せっかくラウンジで高揚していた気持ちも、今では刺々しさばかりが胸を突いている。
 好きで体を使っているわけじゃない。あくまで手段だ。その方法が一番効率がいいと判断したらそうするだけ。情報が勝手にわいてくると思っている馬鹿どもには解らない苦労だ。それなのに、頼めばヤらせてくれる、と勘違いされるのは心外だった。
 ああいう輩は大抵、自分が気持ちよくなることばかりを考えて、こっちをモノのように扱う。物珍しさと好奇心と己の性欲を満たすだけの、失礼極まりない野獣のような人間は最初から拒否するに決まっている。
 こちらを気遣う心を持ち合わせて、技術も高くて、天国を見せてくれるような人ならばいざ知らず。
 ハァ、と溜息を隠さずに流れ続ける水に落とす。
 
「ずいぶん荒れてるね、クロード」

 突如耳を割いた声に、バッと顔を上げる。
 鏡に映っていたのは、銀糸の髪の男。面白そうに頬を持ち上げて、腕を組んで壁に寄りかかっていた。ジロリと鏡越しに睨んでやる。

「なんでお前がここにいる、ダンテ」
「僕の管轄のホテルに、僕がいておかしいことでもある?」

 いやそれは知っているが、クロードが言いたいのはどうしてこういうタイミングで目の前に現れるのかということだ。
 まさか、とある可能性が頭に浮かぶ。

「……俺に関する傍迷惑な噂を流したの、もしかしてお前か?」
「傍迷惑な噂? 何それ」

 すっとぼけるつもりか。更に眼光を鋭くしたのに、気にも留めないらしいダンテはゆっくりとこちらに歩み寄って、すぐ後ろに立った。

「とぼけるな。俺が体を使うこともある、っていう噂だよ」
「はぁ? 心外だな。そんな噂、僕が流すわけない」

 するりと伸びてきた腕に、両肩をやさしく抱きこまれた。ダンテに気のある人間だったら、こんなことされた瞬間にイチコロだろう。だがこんなことで落ちるクロードではなかった。むしろ反抗心がむくむくと大きくなる。

「ほかに誰がいるんだよ」
「さあ。 アンタのこと抱いたことある人間じゃないの?」
「全く信用できないな」
「信用してもらう必要はないけど。これだけは言っとくよ」

 ふっと耳に弱く息を吹きかけられる。
 ぞくっとしたものが背中を駆け上がったのを意地でも出さないように、鏡の向こう側のダンテを睨み続けた。照明を反射するきれいな銀が、憎たらしくて仕方なかった。

「僕は、アンタを抱いた全ての人間を、可能なら一人残らず殺してやりたいんだよ」

 冷えた声だった。臓腑を直接氷塊で撫でられるような感覚が全身に走る。

「でも流石にそれをすると角が立つし、いろいろ面倒だからやらないだけ。それなのに、それ以上敵を増やすような真似すると思う?」

 この男は機会があるのなら本気でやるのだろう、と思わせる声だった。
 紅混りの灰色がほの暗い光を帯びて揺れている。気を抜けば、ごくりと喉が鳴ってしまいそうだった。
 ハッ、と笑うことで誤魔化す。

「それほどお前が俺にご執心だとは知らなかったよ」
「嗚呼、もしかして伝わってなかった? じゃあ、今から思い知らせてあげようか」

 言い終わるか否か。
 体を強く引かれて、足が縺れる。そんなことをされるなんて思いもしなかった。何の準備もしていなかった体は、ダンテの思うままに個室に吸い込まれて、無情にもその扉は口を閉じてしまった。
 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

ふたなり治験棟 企画12月31公開

ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。 男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

処理中です...