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6.第二王子からの招待 前
しおりを挟む封に押された王家の印章を見た父と兄は、夜会でオリヴィアがした粗相を指摘する手紙だと思い、怒り狂ったそうだ。内容を確認すると静まった後、また騒ぎ始めたと、テッド伝手に聞いたマーサが話してくれた。
夜会から三週間ほど経っていたが、第二王子が口約束を違わずに、ティールームへの招待状を送ってきたのだ。
いつも、オリヴィアが手紙の原本を見ることはない。返事が必要な時は、相手の書いた文字を確認できないまま、父や兄の指示通りの内容を表記する。
オリヴィアが初めて書いた手紙は、元婚約者に向けたものだった。
デビュタントでの顔合わせを終え、婚約者として円滑に過ごすために、何度かやりとりをした。すぐに、父や兄が返事を書くようになってしまったが。
その時期のマーサは、勝手に文字を教えたことで咎められると、怯えていた。
家庭教師をつけなかったのは父の采配なのに、父はオリヴィアが文字を書けることに疑問を持たなかったらしい。識字は当たり前すぎて、父と兄にとっては教えなければならないという概念がなかったのかもしれない。
オリヴィアは、プレスコット侯爵家のために振る舞う動機を、ずっと持てなかった。
貴族令嬢としては失格で、社交へ頻繁に出ずに済んでいたのは安心できる要素でもあった。他の令嬢と交流を持つのは絶望的で、家同士の繋がりを深めることもできない。
父と兄は、このままオリヴィアが第二王子に取り入れば、プレスコット侯爵家が貴族社会で顔を利かせられるようになると期待して、ティールームへ行くことを許可したに違いない。
ただし大前提として、印章の入った王家からの招待を、断ることはできないはずだ。
◇
侯爵夫人だった母を亡くしたのは、オリヴィアのせいだと言われて育った。
確かにそうなのだろう。オリヴィアが生まれなければ、母は生きていた。だが、妊娠するには男性も必要で、父にもその責はあるのではないか。
(『女が口答えするな』って、事あるごとに言われるのよね。もしお母様もそう言われたのなら、私の妊娠は……)
オリヴィアの出生時に何があったのか、教えてもらっていないし尋ねてもいない。現にオリヴィアは生きていて、父と兄がいくら酷く当たってきても、母は戻って来ない。
デビュタントも終え、もう大人の仲間入りを果たしている。母がいないことが当たり前のオリヴィアには、妻や母を失った父や兄から未だに「黙れ」と言われることが、理解できなかった。
(お母様には会ったこともないから、そう思うだけかもしれないけれど……、結局、私にはどうにもできないし)
オリヴィアには、家庭教師すらつかなかった。知識がなく、考えることもせず、従順で使い駒にできる。そう父と兄に決めつけられ、指示通りに動くことを望まれていると勘付き、デビュタントで初めて社交に出て、確信した。
そんな父と兄の振る舞いは、娘や妹のいる貴族当主、次期当主として、間違っていないのだろう。
だからといって、人格を無視するような扱いが腑に落ちるほどオリヴィアは単純ではないが、外との連絡手段がなく、伝手もない。
屋敷の外に出られる社交の場でも、どう動けばいいのか分からないまま時間が流れてしまう。助けを求めることはできなかった。
父の執務室に呼ばれて咎められたり、人が集まるところへ行って貶されたり、嫌々ながらに指示に従っては「また駒にされた」と落ち込んだ。
何度も遭遇するうちに「また避けられなかった」と、いつしかオリヴィア自身への呆れに代わり、自分の人生はこういうものだと思うようになった。
何か粗相をすれば、専属使用人のマーサまで処罰を受ける可能性がある。何もしないことが、オリヴィアを守った。
自室でできる、読書を除いて。
父と兄が、オリヴィアにどんな女性で居て欲しいのかを知りながらも、教養本を読み、気になったものはさらに詳しい書物を読み、知識をつけることを選んだ。マーサが渡してくれた本から、知識を得る楽しさを知ってしまったのだ。
おかげで妊娠の仕組みも知ったし、オリヴィアがひとりの人間として尊重されていないことも把握した。
私室でひとりでできる趣味として、本のタイトルさえ知られなければ何を読んでも自由だ。学院なんて、未知のところを想像しても仕方ない。望んでも、行かせてもらえないのだから。
オルブライト国は属国と異なり、貴族女性も学院に通えるらしい。通えなくても家庭教師など別の手段を取れると読んだが、オリヴィアには用意されなかった。
自分から、知識を望んだ。オリヴィアにはそれしか、やれることがなかった。
マーサとテッドが居てくれて、本当に助かった。このふたりがいなければ、本の手配は難しかっただろう。何に偽装して発注しているのかは、あえて聞いていない。
オリヴィアとは異なる人間が、オリヴィアより上の立場にいて、オリヴィアを駒として扱う。侯爵位を持つ父とそれを継ぐ兄への直接的な対抗手段を、オリヴィアは持てなかった。
(お父様とお兄様のすることは、プレスコット侯爵家の絶対ルールで、私にはどうにもできないの)
何度も自分に言い聞かせて、諦めるように努めた。反抗にエネルギーを使っても、父と兄に否定され何もかも奪われるだけだ。
屋敷の働き手は皆、当主である父に雇われているため、その指示に反することはできない。マーサとテッドが唯一の例外で、父に上辺では従い、一方でオリヴィアの意思に目を光らせてくれる。
昔、デビュタントを迎える数年前に、本によく出てくる領地の中心部である街や実際の本屋を見たくなり、オリヴィアも使用人の軽装をまとい、マーサと一緒に屋敷から出たことがある。今はいない、執事長の許可を得たのだ。
焼菓子を買って帰ったのが兄に見つかり父に報告され、父からマーサをオリヴィア専属から外すと癇癪をぶつけられながら脅され、オリヴィアは泣きながら額を床につけて謝った。
この日以降、当然、オリヴィアの行動制限は強まった。それに対してのマーサからの謝罪が、一番堪えた。
マーサにあんな表情をさせてしまうなら、父と兄の指示を受け入れ、私室の中でひとり楽しめることをするほうが気分が晴れる。
マーサが執事のテッドと上手く取り合ってくれ、読みたいジャンルの本を手に入れることは今のところ叶っている。
結局、父と兄に直接希望して、オリヴィアが手に入れられたものはない。オリヴィアの家族は、オリヴィアの意思を完全に無視することで応えた。
◇
オリヴィアが第二王子と出掛ける当日、オリヴィアはマーサが手配した、相変わらず首の詰まった、ただし気持ち程度刺繍やビーズの装飾が入った淡い黄色のドレスを身に着けた。
侯爵夫人に当たる母のいないこの屋敷では、服飾やメイクに掛けられる予算は少なく、香水すらも持っていない。
王子に会うのにこれで失礼に当たらないのかと過ぎったが、そもそもあの夜会で踊った時も、侯爵家であるにも関わらず、華美な装いはしていなかった。
貴族社会に慣れた王子には、それが珍しく映ったのかもしれない。
(……ああ、そういうこと)
第二王子が主役の夜会で、婚約破棄された令嬢という肩書きも、十分憐れに見えただろう。王子の周囲には、オリヴィアのようなタイプはいなかったはずだ。
玄関ホールから、来客を伝えるベルの音がする。約束の時間ぴったりである。元婚約者のように「女性の準備には時間があるほうがいいだろう?」などと、遅れてくることはなかった。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「ええ、着付けてくれてありがとう、マーサ。行ってきます」
夜会であれば、不意の衣装直しのためにマーサを帯同することも許されるが、今回は許されなかった。父と兄がいる前では、挨拶の時間すら取ってもらえないのだ。
マーサは付き人として、オリヴィアの数歩後ろをついて、一緒にホールへ降りた。
玄関の扉は開け放たれている。オルブライト王家の近衛団の象徴である黒い騎士服を着た第二王子が、馬車から降り屋敷に入ってくるところだった。
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