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5.第二王子の使用人 ◇
しおりを挟む十五歳の時に護衛として宛がわれ、留学にもついてきた近衛騎士兼使用人のレナルドとサミュエルとは、ずっと良好な関係を築いている。
ハンフリーの五歳上のレナルドが左前を、十歳上のサミュエルが右後ろを歩き、懐かしい王宮の廊下を進む。執務室から十分に離れ、私的な区画に入ってから、話しかけられた。
「婚約者ですって、女嫌いのハンフリー様に、婚約者!」
「嫌いってほどじゃない。あと、言われるとは思ってたよ? ただ、あそこまで直接的に来るとは……」
「ハンフリー様、ご自身がもう二十三であることをお忘れで? 王太子殿下はそのご年齢ですでにお子様を」
「いや、属国に行ってたからだろ。そこを引き合いに出されたくはない」
「冗談です。受け流せないなど、さすがのハンフリー様もお疲れですね」
多少むっとはしたものの、このふたりの言葉に、ハンフリーが気分を害することは滅多にない。仲の良い同性同士、敬意を持ちつつじゃれ合っているだけだ。
他愛のない話を続けつつ私室に入ると、知らない匂いがした。
五年が経っていることもあり、軒並み家具が新調されている。ハンフリーの私室に違いはないのだが、客室と言ってもいいほどに、知らない部屋になっていた。
(落ち着かない……、慣れるしかないけど。これもきっと兄様の厚意だし)
真新しいソファに深く腰を下ろし、レナルドがすっと出してくれた紅茶を一口飲み、唯一記憶と変わりのない天井を見てしばらく呆けた。ゆっくりと呼吸を意識した後、身体を戻す。
ふと目に入った、壁に吊るされた夜会用の礼服を着てみることにした。当日までに、サイズを合わせる必要がある。試着は早いほうがいい。
「サイズはいつ測られたのですか」
「いつも通り、兄様のだよ。ところどころ含みがあるから、そこを合わせて」
「腕がなります」
「何でも得意な護衛がいて助かるよ、本当に」
(僕の礼服はいつも、急ぎになるから)
レナルドは騎士の割に、小柄で手先が器用だ。ハンフリーの湯浴みや召し換えも、基本はレナルドが担当してくれる。
「何もそんな、帰国後すぐにしなくてもいいのではと、毎回思いますが……」
「準備期間を取ると謀る時間も取れるからな。それを避けたいんだろ」
「承知しております、失礼しました」
サミュエルはいかにも騎士らしい体躯で、鍛えられた厚みのある筋肉が詰襟の騎士服を着ていても分かる。水や食事など物資の運搬を主に担当しているが、細かい作業ができないわけではない。
レナルドもサミュエルも、それぞれ得意を活かしてハンフリーの側にいてくれる。
「そうだ、サミュエル。妻子には会わなくていいのか?」
「会いますよ。夜会が終わってから、休暇をください」
「ああ、もちろん。レナルドは?」
「そうですね。幼馴染の妹が面会を希望しているらしいので、実家も含め回ってきます。数日空けられたらと」
「『幼馴染の妹』?」
「婚約話ですよ。全く、騎士らしくもないし、戻る頃には二十代後半になる俺を待つなと、あれほど言ったのに……」
「慕われているのか、いいじゃないか」
(そうか……)
話し振りからして、レナルドはその幼馴染の妹から、ずっと想われていたのだろう。サミュエルは二児の父で、成長の早い乳幼児期の育児とハンフリーの護衛を天秤に掛け、仕事を選んだ。
どちらも一騎士の選択で、仕えられる側のハンフリーが何か意見する場面ではない。このふたりが望む褒賞を、父なら間違いなく与えてくれるだろう。
◇
帰国を祝う夜会でも、軽装のレナルドとサミュエルが、ハンフリーの周囲を少し離れて警備していた。
ハンフリーは戦場に出られるほどの訓練を受けていて、大抵の貴族には負けないため、夜会では護衛は要らないと断っている。だが、第二王子であるハンフリーの礼服が夜会中に何らかの理由で汚れたりほつれたりした場合に、慣れた使用人がいないのは困る。
レナルドとサミュエルは、夜会時もハンフリーの周囲を警戒するが、あくまで使用人として会場に入るため、護衛騎士としては扱われない。
そして当然、ふたりは事の顛末を見ている。
「楽しかったですか?」
「そう見えた?」
「とても。留学初期のようでしたよ」
「ああ……、確かに、久々晴れた感じがした。あの侯爵家は当主と嫡男にいい噂がなかったし、目の前で婚約破棄された令嬢はどうかと思ったけど、言い寄ってくる令嬢とは雰囲気が違った。声を掛けて正解だった」
「気に入ったと?」
(……あれだけで、認めていいものか?)
第二王子として、特にこの五年は、私情での色事からは遠ざかっていた。久しぶりに見た自国の貴族令嬢は、思った通り、鬱陶しいほどハンフリーに絡んできた。
オリヴィアの後、夜会の主催であるオーブリーの顔を立てるためにも数名と踊ったが、すっぴんが分からないほどに濃いメイク、これでもかと振られた香水の匂い、どうしても目に入る肌の露出で、気分が悪かった。
どれも、オリヴィアとのダンス中には感じなかったことだ。
珍しく夜会に出席する令嬢がいるとは、オーブリーに聞いていた。名前を聞いたわけではなかったが、夜会で一目見て理解できるほど、特徴的だった。
(泣き出してもおかしくないくらい、嫌な目線があんなに集まってたのに)
肌を一切見せない時代遅れのドレスを身にまとい、薄いメイクと体型で幼く見えるが、瞳に宿る意思は確固たるものがあった。
間者ができるほどに慎重なハンフリーが、あの場で瞬間的に手を取ることを決めるほどに、婚約を破棄されたばかりのオリヴィアには他の令嬢と異なる何かがあった。
派手好き、女好きだと有名で、夜会や茶会にも頻繁に出席するプレスコット侯爵当主とその嫡男とは異なり、オリヴィアは婚約者が出席しなければならない席に同伴するだけで、社交をほぼ行わない令嬢だ。王族であるハンフリーが、オリヴィアを見たのは初めてだった。
オーブリーの妻、公爵家出身の王太子妃は、彼女の母がよく子連れの茶会を開いていた影響もあって、幼い頃から社交が好きだった。
親同士仲が良く、爵位も近い。幼馴染として会っていたハンフリーは、それなりに自国の令嬢ともその場で面識があった。
侯爵令嬢で爵位も十分足りているにも関わらず、昔から茶会にすら姿を見せない、学院にも通っていないオリヴィアを気に掛け、「招待状が届いていないのでは」と、義姉が心配しているのは知っていた。
オリヴィアにしてみればあの問い方はいきなりだったろうが、その予想は当たっていた。プレスコット侯爵や嫡男が社交に顔を出せるのだから、招待状自体は届いているが、オリヴィア宛てのものが本人に届いていない。
侯爵が処理していると考えるのが妥当だろう。王太子オーブリーが主催で開かれる夜会が滅多になく、五年振りに自国へ戻った第二王子ハンフリーが主役だったこともあり、今回はプレスコット侯爵家の立場では招待を断れなかったのだ。
(学院に通っていなかったとしても、世間知らずな感じもしなかったし、むしろ僕の態度を気にしてくれた)
成人してオルブライト王家として貴族の前に立つようになって、レナルドとサミュエル以外から、面と向かって言葉遣いに言及された記憶はない。
社交に慣れていないはずだが、高位のハンフリーに対して、オリヴィアが臆した様子はなかった。
むしろ、瞳の色が変化することに気付かれた。王家に遺伝するその瞳は、血縁を除くと、近くに仕える者しか知らない。レナルドやサミュエルは知っていて、瞳が濃い時には話しかけてこない。
(兄様の威圧に、フェルドン辺境伯嫡男は腰を抜かしていたのにな……)
すでに、口頭ではあるが、オリヴィアをティールームへ誘った。
後々の関係がどうなるかは分からないが、オリヴィアは女性で未婚だ。ふたりで出掛けたいのであれば、その意識は持っていないと失礼だろう。
目の前で礼服の調整を始めていたレナルドに、声を掛ける。ハンフリーが考える時に黙るのは、いつものことだ。返事を待つ間に何か作業をしたからと言って、咎めるハンフリーではない。
「……ちょっと探りを入れるよ。たぶん兄様は止めないし」
「そうですね、王太子殿下に限らず、国王陛下も喜ばれますよ。婚約に繋がるかもしれませんからね」
「気が早いよ」
「失礼しました」
サミュエルも、会話を聞いて微笑んでいる。このふたりは、勘違いをすることもない。ハンフリーが気に掛けるということは、場合によってはその家を潰すこともあり得る。
ハンフリーがこの五年、留学と見せかけて行なっていたのは属国への内政干渉で、王族という地位と留学生という立場を使って、五ヶ国の正式な同盟と戦争準備を遅らせていた。
良い噂のない国内貴族をひとつ調査し尽くすなど、造作もない。
(オリヴィアのためにやれることがあるなら、全うさせてもらおうかな。他の貴族の反応も気になったし)
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