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8.素の第二王子 前
しおりを挟む同じ馬車に乗っている相手が誰なのか、自覚すればするほど、どう振る舞っていいのか分からなくなる。目のやり場に困り、正面に座る護衛の騎士服を見た。おそらく、第二王子と同じ物を身に着けている。
「あ、この服? 街に降りるならこうしろと、兄様がうるさかったんだ。分からなくはないんだけどね。僕は君とふたりきりになりたかったのに、護衛がふたりもついて……」
そっと隣を見やると、やれやれといった様子で首を振る第二王子がいるが、護衛は微笑んでいる。この姿の王子に慣れていて、行き先に危険はないと、分かっているようだった。
「まあ、これからふたりきりになれるんだけどね。今向かってるティールームは王家御用達で、よく使ってるから安心して。個室を取ってあるし、護衛は外に立たせるよ」
「……お気遣い、ありがとうございます」
第二王子とはいえ、男性と個室にふたりきりになると宣言された。元婚約者であれば一度は断りたくなるところだが、今日の相手は王子だ。
夜会の時も、ダンスに紛れて臀部に触れてくることはなかった。いやらしいことは起きないと、信じていいのかもしれない。
(逃げることも、できないけれど)
「そろそろ着きます」
「ありがとう、サミュエル」
進行方向に見える窓がノックされ、低くて太い声が馬車の外から聞こえた。御者の横に乗っているという、もうひとりの護衛だろう。
馬車が停まったのは、街から少し森へ入った王都の外れ、オリヴィアが来たことのないエリアだった。鳥のさえずりや川の水音がよく耳に届く。王都からそう遠くはないはずだが、知らない静けさに息を呑んだ。
「オリヴィア、お手を」
「……ありがとうございます、失礼いたします」
ダンスのエスコートと同じように差し出された第二王子の手に、そっと重ねた。ふらつくこともなく馬車を降りたものの、手を離されない。
後ろには護衛もいて声を掛けようとするも、目に入る王子の横顔は心なしか楽しそうで、そのまま手を任せて歩いた。
(殿下は、私と何がしたいんでしょう?)
相変わらず、目の前にいる第二王子は王族らしくない。父と兄への振る舞いを見るに、締めるところでは締められる方だ。そうでなければ、成果を期待される他国への留学など任されないだろう。
(学院を出ていない私で、殿下とお話が成立するのかどうか……)
招待を断らないと聞かされて以来、考えてきたことだ。マーサとも話してみたが、答えは当然出ず、落ち着かなかった。
きっと王子は、オリヴィアが学院出身ではないことを知っているはずだが、教育を何も受けていないことまでは知らないだろう。
そもそも、オリヴィアがまともに話したことのある男性は、父、兄、そして元婚約者くらいで、あとは執事と、夜会ですれ違った貴族令息との挨拶程度だ。
整備された小路を進むと、プレスコット侯爵邸より一回りほど小さな館が見えてきた。
森の中にあっても浮いているようには思えず、白い壁は少しくすんで、蔦が張っている。窓枠の下には花壇もあり、どの花も色とりどりに咲き誇っていた。
第二王子がためらいなく館の扉を開く。来客を知らせるベルは鳥のさえずりにも似ていて、森に佇むこの館にぴったりだった。
人払いがされているようで他に客もおらず、出迎えに現れた給仕係もふたりと、最低限しかいないようだ。
「第二王子殿下、お待ちしておりました」
「やあ、アレン。元気そうで何より」
「ええ、おかげさまで繁盛しております。いつものお部屋へどうぞ」
「五年振りでも、覚えていてくれたのか」
「当然のことですよ」
「ありがとう。さ、行こう、オリヴィア」
慣れているのだろう、オリヴィアの手を握ったまま、第二王子が通路をずんずんと進む。突き当たりの開かれた扉の先には天蓋があり、王子はカーテンを持ち上げながらオリヴィアを先に通してくれた。
半円を描くように設置されたソファに着席するとすぐ、紅茶と焼菓子が中央のテーブルに運ばれてくる。この手筈で給仕されるのを、きっとオリヴィアだけが知らない。
普段、屋敷で食べる焼菓子とは比べられないほどの種類の多さと、紅茶から漂う香りの良さに驚いていると、給仕係が下がりカーテンが閉じられる。
ふたりきりになれたことに安堵したような王子が、濃い蒼い瞳のまま柔らかく微笑んでいた。
「ここのお茶は本当に美味しいよ。お菓子は余れば持って帰っていいから、遠慮しないで」
「ありがとうございます」
(持って帰ることは、できないけれど)
促されたものの、高位である第二王子より先に手をつけることはできない。オルブライト王家の前での粗相など、父に報告されたら、どんな罰が下るか分からない。
こういった場でのマナーは、本を見ながらマーサと練習したものの、オリヴィアには同年代との茶会に出席した経験がない。マナーを実践する機会がなかったため、どうしても緊張が強まってしまう。
「ここでのことは、ふたりだけの秘密だよ。プレスコット侯爵にも言わない。約束する。咎めることもないから、どうか気を楽に」
(っ……)
人の心を読めるのだろうか、オリヴィアは戸惑うばかりで何も言葉を発せられなかった。調べられているのだから当然だと思うべきで、いちいち驚いているほうが不敬だ。
膝から手を動かそうとしないオリヴィアを察してくれたのか、王子がティーカップを運び紅茶を啜る。その動作を真似るように、オリヴィアも口をつけた。
(んっ……!)
あまりの美味しさに、目を見開いてしまった。王子の言うことは、誇張ではなかったらしい。
少し考えれば、当たり前のことだ。このティールームは王家御用達で、オリヴィアが普段飲む紅茶と同じものが出されているわけがない。目の前に積まれた焼菓子も、同じことが言える。
マーサにも、食べさせてあげたい。ただ、この外出は父と兄も知っていて、帰宅次第、報告を求められる。土産など持って帰れば、食事抜きの罰が下る。
「ねえ、オリヴィア。何を考えているの?」
夜会で踊った時と、同じ質問だった。急に名前を呼び捨てされても、もう何も思わなかった。第二王子の優しい蒼い目は、オリヴィアの意見を聞こうとしてくれる。
「……とても美味しいので、仲の良い使用人にも食べさせてあげたいと」
「君が直接持って帰っても、取り上げられる?」
(っ……)
第二王子は夜会の時も、オリヴィアには唯一マーサがいると、知っているようだった。直接対面するのは二度目で、まともに話すのは今日が初めてと言っていい。
王家によってプレスコット侯爵家は何かしら調査されたはずだが、持ち帰ったものを取り上げられることまで、分かってしまうのだろうか。
この部屋には、オリヴィアと第二王子のふたりしかいない。何か、言葉を返さなければ。知られているのなら、認めるしかない。
「……残念ながら」
「そっか、ちょっと考えてみるよ」
顎に手を当てた第二王子は、すぐに給仕係を呼び、何やらオリヴィアには聞き取れないトーンで会話をして、下がらせた。にこやかに笑いながら、さらにオリヴィアに尋ねてくる。
「他に、今思っていることは?」
夜会の時もそうだった。この方は、オリヴィアの意見を聞こうとしてくれる。マーサほど気楽に話せるわけでは当然ないが、「咎めることはない」という言葉を、信じてもいいのだろうか。
「……殿下が、個室で何をされたいのかと」
「ああ、手は出さないよ。国家と名字に誓って」
両手を顔の横に持ち上げてアピールをしながら、第二王子は答えた。懸念をしっかりと当てられて、オリヴィアは淑女らしくなく驚いて、もともと伸ばしていた背筋をさらに伸ばした。
王家である第二王子の名字はオルブライト、国名と同じで、オリヴィアの認識が正しければ、誇りと責任の名だ。座ってからずっと王子の視線を感じていたが、すっと目線を外してくれるのが分かった。
「その不安は、先に解いておくべきだった。申し訳ない。怖ければ、護衛か給仕係を部屋に入れるよ」
「いえ、そこまでは……」
「そう?」
「はい、殿下のなさりたいように」
(高位の方に、謝られた……)
これは、受け入れていいような気がする。パニックにならないということは、そう感じている証拠だ。未婚の男女が個室にふたりきりで、オリヴィアの疑念は持っていてもおかしくないものだったから、王子は謝ってくれたのだろう。
いやらしい目を向けられていたわけではなかった。第二王子からの眼差しはずっと、あたたかく見守ってくれるような、不快感のないものだった。元婚約者や兄に手や肩に触れられた時のような悪寒を、王子の手から感じることはなかった。
(男性でも、人によるの……?)
「留学から帰ってきたばかりの第二王子から、特に親しいわけでもないのに招待を受けるなんて、考えてもなかったよね」
そう言いながら紅茶を啜る第二王子は、確かにオリヴィアにとっては遠い人だった。
夜会などで同じ会場にいて挨拶はしても、認識はされていなかっただろう。個室でふたりで過ごすなど、考えたこともなかったのは事実だ。
「ただ、君が気になって、喋ってみたいだけなんだ。義姉様が茶会に呼んでも出席しないと聞いて、爵位は近いのにどうしてだろうと思ってたところに、この前の夜会があって。今回の手紙を届けるのもちょっとした手を使ったし、いろいろと君が不自由してるんじゃないかと思ってね」
(王太子妃殿下からの招待なんて、聞いたことがない。お父様が、教えてくれなかったものね……)
オリヴィアの元に、手紙の原本は届かない。全て父や兄が先に開封し、返事を要するもののみオリヴィアに内容が伝えられ、指示通りの文章を書かされる。
王太子妃からの招待状は、家族の元で処理され、オリヴィアには伝えられなかった手紙のひとつなのだろう。
「……ご興味を持っていただき、ありがとうございます」
「当たってる?」
「比べられるほど、他の家庭を知りません」
「なるほど、そう答えるんだね」
第二王子が再度オリヴィアを見て、微笑んだ。その蒼い瞳は相変わらず優しく、オリヴィアは繰り返し向けられることに戸惑うばかりだった。
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