駒扱いの令嬢は王家の駒に絆される

垣崎 奏

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12.仮面舞踏会 中 ◇

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「疲れてない?」
「お気遣い、ありがとうございます」
「少し、休みに行こうか」

 オリヴィアは、「疲れた」と言わない。ハンフリーが聞いたところで、返ってくるのは感謝の言葉だけだ。
 きっと、そう言うように躾けられたか、そう答えるのが楽だと経験的に知っているかだろう。どちらにせよ、オリヴィアが育った環境のせいだ。

 預けてもらった片手を確認しつつ、そっとホールから離れた。
 仮面舞踏会での休憩といえば、客室で男女ふたりきりになることだが、オリヴィアは知らないのだろう。まだ早い時間で、人気の少ない廊下の先へ進んでも、まったく抵抗されない。

「……客室に、ついてくるんだね」
「正体を分かった上でエスコートされて、抵抗できる令嬢がいますでしょうか」
「それは、そうかも」

 ハンフリーは、さっと周囲を見て選んだ部屋が空室であることを確認して、オリヴィアとともに中へ入った。扉を閉め、鍵を掛ける。

 オリヴィアの手を離し、部屋の中に妙なものがないか確かめた後、仮面を外した。扉の近くに立ったままの彼女のものも外し、扉のすぐそばにあったサイドテーブルに音を立てずに置いた。

 薄いショールを羽織っただけの肩に触れ、力を加えて扉へ押し付けた。驚いた様子すら見せないオリヴィアに、耳に息が掛かるほど、顔を寄せた。

 オリヴィアは、扉側にいる。部屋を確認する間、手を離しもした。今も、後ろ手で鍵を開けて逃げ出せる位置にいる。これだけ距離を詰めても、オリヴィアは引かず、ハンフリーから離れようとしない。動く意思を、全く感じられない。

「……僕が、何をしたいのか分かる?」
「とっくにお気付きでしょう、私の父と兄、それから元婚約者が好色なことに」

 その煽るような言い方が、引っかかった。
 ハンフリーが知る限り、プレスコット侯爵家の男性は、女性関係にいい噂がない。オリヴィアの元婚約者が嫡男のフェルドン辺境伯家も、似たようなものだ。だがそれを、オリヴィアが知っているとは考えていなかった。

(気付いていた……?)

 オリヴィアの表情を確認するために、一歩後ろへ下がった。目に入ったオリヴィアは、普段と何も変わらない。

(いや、変わらないように、耐えている?)

「まだ何もされていませんが、少々怖くはなってきました。最近は外出の機会が大幅に増え、ふたりともずっと不機嫌です」

(『大幅に増え』?)

 ハンフリーが屋敷の外へ連れ出す回数が、どうやら多いらしい。これでも公務の間を縫っているため、男女関係としては少ないほうだと思っていた。

「それは……」
「私を外に出したくなかったんでしょうね。貴族令嬢として、また令息の婚約者として、必要最低限をこなすように仕向けていたんでしょう。その最低限すらできていない私ですが……」
「そんなことはないだろう? 君は十分……」

(与えられた環境の中で、もがいているだろう?)

 言い掛けて、口を噤んだ。
 留学に行っていたハンフリーがオリヴィアについて知っていることは、この半年対面した分だけではなく、当然裏で調べた内容も含んでいる。オリヴィアがハンフリーについて想像できるのは、対面で知り得たことのみだ。

 ハンフリーが今この場で何を言っても、プレスコット侯爵や嫡男に生まれてからずっと虐げられてきた、オリヴィアの意識を変えるのは難しい。もっとじっくり、時間を掛けるべきだ。

「……申し訳ありませんが、今日の格好もよくは思っていないかと」

(ということは、仮面舞踏会へ行くオリヴィアのドレス姿を、侯爵とメイナードは見たんだな……)

 おそらくマーサがずっと隠してきたオリヴィアの女性らしい体型を、一番知られたくない相手に見られたことになる。もしこの場にプレスコット家の差し金が居れば、姿を知るオリヴィアを見つけ、変装したハンフリーに辿り着いてしまう。

 レナルドとサミュエルも連れて来ているし、この場での直接的な被害はないだろうが、もし明らかになれば問題だ。
 仮面舞踏会へ行くイメージのない王家のひとりが、肌の綺麗な艶っぽい女性を連れていたとなれば、いくらハンフリーが独身で婚約者も未確定だとしても、貴族社会からの反発を受けるだろう。

 それであれば、何が何でも、むしろ噂になるほうが好都合だと思えるほどに、今、オリヴィアを手に入れるしかない。

 薬剤で瞳の色を変えていてよかった。いくら威圧に屈していなかったオリヴィアでも、一対一で濃くなったこの瞳を見れば、震えてしまうだろう。

(何かあっても、悪くは言わせない。もう、僕からは逃げられないよ、オリヴィア)

「……君は、令嬢たちに馴染めないことも分かっていて、他人の選んだあの時代遅れのドレスを身につけていたんだね?」
「デビュタントの前から婚約者は決まっていたようですし、それが父と兄の希望でしたから」

(希望というか、オリヴィアに対しての指示だったんだろう?)

 首の詰まったドレスを、オリヴィアが選んでいたわけではないことが確定した。センスの悪さは、オリヴィア自身のものではない。
オリヴィアは、侯爵から指定されたドレスを身に着けていると思っているだろう。おそらく、その手配の過程までは知らされていない。

 マーサがデザインの選定に絡んでいたとすれば、侯爵と嫡男に文句を言われないものを選んでいたはずだ。どちらにせよオリヴィアは、他の令息たちが惹かれないような見た目を作られていた。

(今日の美しい姿を見られて、本当によかった)

「……あいつらは、君が虐げられる姿を見て楽しみたかった?」
「おそらく」
「孤立させた上で、助けを呼べない君を、いたぶるつもりだった?」
「…………」

(ここでの無言は、肯定しているのと同じだよ、オリヴィア。君は、侯爵やメイナードの意図に、本当に気付いていたんだね)

 そんな中で寝起きするというのは、一体どれほど不安だっただろう。

 属国にいた頃、寝込みを襲われたこともあるが、レナルドとサミュエルのどちらかが常に同室だった。ハンフリーに与えられた一人部屋を護衛が使い、護衛ふたりに宛がわれた二人部屋をハンフリーともう片方の護衛で使っていた。ハンフリーをひとりにしないためだ。

 同じ屋根の下で、オリヴィアにはマーサしか味方がいなかった。使用人には使用人部屋があるのが一般的で、オリヴィアやマーサが望んでも同室にはいられない。

 ここ最近はハンフリーが絡んでいるのもあって、いつ手を出されてもおかしくなかったのではないか。あのふたりが、鍵付きの私室を与えているとは思えない。もし与えていても、合鍵を自由に持ち出し使えただろう。

 引き寄せて頭を撫でてあげたいところだが、ハンフリーは立場上、まだオリヴィアに好意を伝えることすらできない。別人になれる仮面舞踏会だから余計に、今伝えるべきではない。

 オリヴィアは、婚約を破棄された令嬢だ。貴族の政略結婚とはいえ、結婚に対して良いイメージは持っていないだろう。
 王家に生まれたひとりの男として、出生や柵を取り払った上で、心から安心できる環境を準備してあげたい。きっと、それがオリヴィアを手に入れる最善だ。

「……君がここについてきてくれたということは、僕はあいつらよりマシだと思ってもらえてるんだね?」
「万が一は防がれるでしょうし、当然、情報管理にも長けていらっしゃいます。こうして、私の意思を確認してくださっているのも、その証拠になり得ます」

 普段とは違って、考えているような間もなく、言葉が返ってくる。
 間違いない。どこで仮面舞踏会がそういう場だと知識を得たのかは分からないが、オリヴィアは、ハンフリーに抱かれるつもりで、今日の仮面舞踏会についてきた。

「……初めてを、僕に、奪われたい?」
「兄にされるよりは」

 その瞳に映るのは、諦めだ。決して、ハンフリーを求めているわけではない。
 オリヴィアにとって、父の侯爵や兄の嫡男と比べて抱かれてもいいと思える相手なら、大切にするべき処女喪失ですら、捧げる相手は誰でもいいのだ。

(くっ……)

「……オリヴィア」

 耳元で小さく名を呼んでから、ぐっと手を引く。素直に倒れてくる彼女を、ぎゅっと抱き締める。

「できるだけ、優しくする」

(絶対に、手に入れてみせる)

 覚悟が滲んで震えた声が、オリヴィアに気付かれていないことを願った。肩を支えて離れ、見えたオリヴィアの表情は、諦めから変わっていなかった。
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