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20.披露の翌朝
しおりを挟むオリヴィアが気付いた時には、私室のベッドの上にいた。カーテンの隙間から差し込む陽はすでに高く、疲れて眠り込んでしまったのだろう。
記憶が途切れている。案の定、馬車の中で眠ってしまったのだ。覚醒してくるとはっとして、公爵に対して不敬だったと焦り、若干ふらつきながら呼び鈴を鳴らした。
「お目覚めですか、お嬢様」
「マーサ、大変。なんて失礼なことを」
「大丈夫ですよ、お嬢様。当主様は昨日、にこやかに笑いながら戻って来られました。お嬢様をここまで運んでくださったのも当主様です。本日はゆっくりお休みになるようにと、言付かっております」
「報告に、行かないと……」
「お嬢様、もう報告する相手はいませんよ。当主様と帰ってこられたのですから、報告は要りません」
「でもっ」
「大丈夫です、ゆっくり慣れていきましょう」
マーサに諭され、起こした身体をベッドに戻した。手を握ってくれ、何度も繰り返し、昨晩の公爵の様子を話してくれた。
それでもオリヴィアは、父も兄もいない屋敷に第二王子だった公爵がいて、無事に披露の夜会が終わったことが現実だと、なかなか信じられなかった。
(もう何日も、ここに住まれているのも分かっているのに……)
公爵とは毎朝顔を合わせているため、父と兄がいないのは理解している。
それでも焦ったり慌てたりすると、怒鳴り声や触れられた時の鳥肌が蘇ってしまう。家族は屋敷にはいないし、王宮で奉仕活動にあたっているはずで、今のオリヴィアとの接点はない。
(昨日だって、使用人として紛れ込もうと思えば……、いやきっと、閣下や殿下が遠ざけてくれたはず)
扉がノックされる音で、オリヴィアの思考は止まり、身体に力が入った。開かれた隙間から見えたのは、ドリーだ。
「公爵閣下がお見えです。お通ししても?」
「……はい」
入ってきた公爵は、騎士服でも礼服でもなく普段着で、今まで以上に柔らかい雰囲気をまとっていた。オリヴィアがその姿を見たのは初めてで、今日は公爵も休養を取っているのだと分かる。
「おはよう、オリヴィア」
「おはようございます、閣下」
「あ、そのままでいいよ」
せめてソファに移動してから入ってもらえばよかったし、夜着から普段着に着替えるまで待ってもらえばよかった。優しい瞳はいつも通りで、オリヴィアの格好を気にしていなさそうなのが救いだ。
ソファに腰を下ろした公爵は、マーサの用意した紅茶を一口啜ってからオリヴィアのほうを向いて、穏やかな声を聞かせてくれた。
「オリヴィア、体調は悪くない?」
「体調、ですか……?」
「昨日、無理に連れ回したからね。疲れが強く出ていないかと思って」
「特に問題ありません。このような時間まで眠ってしまい、申し訳ありません」
「いいよ、怒ってない。僕も今日は休みにしてあるし」
「ここまで運んでいただいたと聞きました。お手を煩わせ、申し訳ありません」
「オリヴィア」
ティーカップを置いた公爵が立ち上がり、オリヴィアは思わずキルトを胸の辺りまで引き寄せた。
公爵は、ベッドのそばまで来ると膝をついて、キルトを握りしめていたオリヴィアの手を取った。元王族、この屋敷の当主とは思えない公爵の動きに、オリヴィアは再度驚いて、固まってしまう。
「君が謝らないといけないようなことは、何ひとつしていないよ。むしろ、体力を思いやらずに踊り続けたり、君の手以外に勝手に触れたりした、僕のほうが謝るべきだ。申し訳ない」
オリヴィアの甲を唇に当て、謝意を示した蒼色の瞳から、目を逸らせなかった。
(高位の方に、謝られるなんて……!)
何か言葉を発しないとと思っても、何も出てこない。想定していないことに返せないのは、今までもそうだった。だから、ひたすら謝ることで許されてきた。
「あ……、よかった、肩の痕、残ってるね。次のドレスに、希望はある?」
「……いえ」
「分かった、ありがとう。今日はゆっくり休んで」
「……お気遣い、ありがとうございます」
もう一度手の甲にキスをしてから、公爵はオリヴィアの私室から出て行った。見送るために礼をしたマーサが、手鏡を持って近くに寄ってくれる。
「お嬢様、ここに、赤い痕があります」
「本当ね」
「虫に刺されたのかと思ったのですが、眠っていたお嬢様が不快そうではなかったので、様子を見ていました。当主様がつけられたのですね」
「閣下が……?」
「キスマークとも呼ばれますよ。本来であれば、初夜以降に見られるものですが」
「初夜、以降……」
「ご安心ください。昨日の当主様は、お嬢様を奪ってはいませんので」
公爵がオリヴィアと同じベッドに入ったのは、仮面舞踏会の日だけで、あの日、帰宅後に湯浴みをさせてくれたのは当然マーサだった。「思いが通じて、よかったですね」と、声を掛けられたのを覚えている。
確かに、父や兄、元婚約者には触れられたくなかった。ぞわぞわして鳥肌が立つ感覚を、公爵からはずっと感じない。
当時はまだ第二王子だった公爵がオリヴィアを連れて、貴族の遊び場である仮面舞踏会へ行ったあの時、同じ屋敷に住むことになるとは、まったく予想していなかった。
(ん、あれ……?)
あの日身に着けていたのは当然公爵から贈られたドレスだが、あの時も、コルセットは異なっていた。はっきりと身体の凹凸が分かるものだった。
公爵から贈られたものはどれもオリヴィアの好みを正確に反映していて、高価なものを受け取っていいのかと遠慮したい気持ちと、素直に嬉しい気持ちがせめぎ合った。
父や兄と違って、基本的に屋敷にいて、外出する時は帰宅時間を教えてくれる。
午後の時間に余裕があると、オリヴィアと昼食をとって、中庭や庭園への散歩に連れて行ってくれる。
結婚はオリヴィアの気持ちが整うまでしないと、権力があるのにその力を行使しなかった。
(あれ……?)
こんな急に、熱っぽくなることはなかった。身体中が火照ってきて、ぱたぱたと手で顔を扇いでしまう。
「お嬢様、いかがいたしました? 頬が赤いように思います。眠られますか?」
「ううん。少し、考え事をしていただけ。まとまったら、また聞いてほしい」
「かしこまりました」
公爵からもらうあたたかい、熱いほどの気持ちを、マーサにすら、上手く説明できる気がしなかった。
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