駒扱いの令嬢は王家の駒に絆される

垣崎 奏

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22.オリヴィアの過労 後 ◇

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 執務室の扉がノックされ、「どうぞ」と許可を出すと、入ってきたのはマーサだった。エプロンの裾を押さえ必死に涙を堪えているような表情に、たまたま執務室にいたテッドが珍しく目を見開いて、ハンフリーの許可も取らずにマーサに近寄った。

「とりあえず、座って。ゆっくり話をしよう、マーサ」

 こくこくと頷きながらソファに腰掛けたマーサを見て、テッドが紅茶を用意した。動揺しても忘れることなく、ハンフリーの分も注いでくれるのはさすがだ。

「オリヴィアは、もう一度眠ったのかな」
「はい、今はお休みになられています」
「うん、そのほうがいいだろうね」

 マーサがひとりで来ることは、これまでも何度かあった。オリヴィアについて、この家で一番詳しいのはマーサだ。何か気になることがあれば、報告するように頼んでいた。マーサはテッドの出した紅茶には手をつけず、浅く息を吸ったあと、声を絞り出した。

「……お嬢様に、私の言葉が届きませんでした。咎められているように感じたと、おっしゃいました。当主様のお言葉も、選択肢がなく、前当主と同じだと……」

(そうか、あの言い回しを、そう捉えたのか)

 ハンフリーとしては、あの言葉は本心だった。
 休みたいときには休んでほしいのだが、おそらくオリヴィアは、気の抜き方を知らない。屋敷の私室に籠っていたとしても、常に元侯爵とその息子の目を気にして、緊張を保っていたはずだ。

 家族の影響は、オリヴィアの言葉にも残り続けている。オリヴィアは事あるごとに、何についても謝ろうとする。感謝されることもあるが、多くはない。
 だから、戸惑って焦ったり体調が悪かったりすると、口癖のように「申し訳ありません」と発せられる。その言葉が、オリヴィアにとって魔法の言葉だったのも、ハンフリーは理解していた。

 環境が、疲れに気付きにくく発熱しやすいオリヴィアの体質を招いている。当然、マーサもテッドもその環境に慣れていて、ハンフリーが来たからといって、すぐに習慣を変えられるわけではない。

 以前とは異なること、例えば少し領地管理に関わってみることで、オーウェン公爵家として進むことに馴染んでほしいと思っていたが、結果的に急ぎ過ぎたようだ。

「お疲れになったときに出される熱も、今回は酷く高いので、うわ言でしょう。きっと、頭がきちんと回っていないのです」

(うん、そうだろうね)

 マーサの気持ちも、分からなくはない。
 今のオリヴィアは、さっき様子を見に行ったときも焦点が合っていなかった。あの約束もあってないようなものだ。約束をさせるなら、もっと意識のはっきりしている状態で、オリヴィア本人に考えさせなければ意味がない。

(……賭けてみるか)

 解熱したあとのオリヴィアなら、ハンフリーが何を求めているか、思案し辿り着いてくれるだろう。ここはひとつ、オリヴィアの賢さを信じてみたい。

「ひとまず、体調が落ち着くまでは当たり障りのないように。回復して、医者の許可が出たあとに何をしたがるか、見てみよう」
「それは……」
「オリヴィアは、聡い。僕が声を掛けなくても、この屋敷に留まるために何をするべきか、見つけるはずだ。彼女にだけ奉仕活動がないことも、意識していたしね」
「当主様、失礼ですが、どういったお考えでしょうか」

 マーサが不思議に思うのも当然だ。今までのハンフリーは、オリヴィアに対してとにかく押してきたのだから。

「少し、距離を置く。兄様にせっつかれてもいるし、旧プレスコット侯爵領を無事にオーウェン公爵領とするためにも、式の日取りの調整に王宮へ行ってこようかな」
「本気ですか?」

 マーサがいかにも悲痛の表情を浮かべ、ハンフリーを見てくる。テッドはすぐそばに立っているが、ハンフリーの意図を汲み取ったのか、目を伏せている。

 オリヴィアの気持ちを待ちたかったのも、王太子オーブリーが焦れてきているのも本当の話だ。ハンフリーにとっては、ふたりとも大事な人に違いないが、公爵邸に移ってからは特に、兄に気を遣ってもらっていた。

(兄様は、十分わがままを聞いてくれた。もう、国政的にも待たせられない)

「オリヴィアから、僕の話が出たら手紙を書いて」
「お言葉ですが、今お屋敷を離れられたらますますお嬢様は……っ」

(分かってる、分かってるよ。自分を責めて追い詰めると言いたいんだろう? 僕も、辛くないわけじゃないんだ)

 瞳に感情が映って威圧しないように、一度紅茶を啜って気分を落ち着けてから、再度マーサに向き合う。

「マーサ、よく聞いて。この屋敷にはすでに、そこらじゅうに僕の痕跡がある。どこにいても、思い出すきっかけがあるはずだ。今まで砕いてきた心が、あの一言だけでひっくり返るとは思わない。僕はオリヴィアに、そんな向き合い方をしたつもりはない」
「っ……」
「マーサ、君も同じだろう? ずっと、オリヴィアの味方で居続けたんだ。ここはたぶん、信じて待ってあげる番だよ」

 マーサは下唇を噛み、何も言い返してこない。ハンフリーよりもいくつか年上の使用人も、本当はそうすべきだと分かっているのだ。

 今回、一番責任を感じているのはマーサだろう。オリヴィアの身の回りの世話をして、当然その体質も分かっていて、体調面にも気を配っていたはずだ。
 ハンフリーが来たことで関わる使用人や護衛も増え、マーサ自身、余裕がなくなっていたのかもしれない。その点については、ハンフリーも反省している。

「さっき、僕の話題が出たら手紙を書いてと言ったけど、撤回する。一週間で戻るから、よっぽどの事が起きない限り連絡は要らない。オリヴィアに何か判断を求めるかどうかも含めて、屋敷のことはテッドに任せる」
「かしこまりました」 

 テッドの返事を聞いてから、マーサとテッドを執務室に残し、ハンフリーは庭園へ出た。レナルドとサミュエルがついてくるが、話しかけてはこない。きっと、瞳の色の想像がついているのだろう。相当に、濃くなってしまっているはずだ。

 兄であるオーブリーも、同じように瞳の色が感情の興奮度合いで変化するが、ハンフリーほど分かりやすくはないし、公の場で意図的に周囲を威圧するのも上手い。
 昔なぜなのか尋ねたときは、「婚約者を決められたら、上達するかも」と言われ、茶化されたのだと思っていた。

(唯一、手に入れたい人ができると、嫌でも感情の揺れ幅は大きくなるから……、それを乗り越えた兄様は、瞳の色が安定して当然なんだ)

 公表はしていなくとも、婚約関係にあるハンフリーとオリヴィアの結婚式は、早いほうがいい。
 旧プレスコット侯爵領をオーウェン公爵領とし周知するために、そして王家が属国五ヶ国との戦争を辺境伯領を手放しただけで治めたと公言するために、必要な行事なのは分かっている。

 今回、旧フェルドン辺境伯邸を落とさせたのは、その土産のようなものだ。ハンフリーが故意に辺境伯領の守備を漏らし、属国にはその穴を攻めてもらった。
 駆けつけた国王軍とも対峙し、オルブライト国には勝てないと属国は気付いたに違いなく、オルブライト王家の罠にまんまと嵌まったのも察しただろう。

 聴取で対面した限り、元侯爵ロバートは口が軽く、感情の制御が下手だった。逆に元辺境伯アーロンはおとなしく、王家の判断に従う素振りを見せていた。
 近隣の領地で、きっとこのふたりに当主が移る前から交流はあったのだろう。だからこそ、この領地に元王族のハンフリーが来た重みが増す。
 属国をよく知るハンフリーが、元辺境伯領、つまり現属国領に最も近い旧プレスコット侯爵領を、オーウェン公爵領として治めるのだ。牽制以外の何物でもない。

(兄様は、どこまで知って攻めさせたんだろうか……、色欲の公言を問題視しただけなら、少し大袈裟過ぎた気もするし)

 何があったにせよ、ここで一度、オーブリーと話しておく必要はある。聴取が終わってからはバタバタと、このオーウェン公爵邸に移る準備を最優先にしていたため、王宮で確認したいことも残っていた。
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