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M-43.木曜の予定 1
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先週行った初めてのスタジオは、素直に楽しかった。音を合わせる面白さを知ってしまった。学校では周りを気にして目線を下げてきたけど、スタジオだと目の前が開ける感じがした。きっと、回数を重ねれば、もっと深くハマっていくんだろう。
でも残念なことに、裏道を使えなくなってからは、音を出した練習はできなくなった。ギターの弦の張り替えとフレットに触れるくらいしかできていない。スタジオへ行くにしても、ギターも歌も上手くなっていることはない。むしろ、下手になっているはず。
指を動かす練習はできても、実際の音を出せないとメロディも上手く浮かばない。歌詞の元になるルーズリーフは溜まってきてるから、どこかで見直して、歌詞に起こしたいとは思っているんだけど。
妃菜ちゃんにはもう、曲を作ることもバレてるし、そういう理由でフロイデに誘うのもありかもしれない。自分の部屋で日記は書けても、場所を移さないといまいち歌詞にまとまらないのには、自覚がある。自習室だと勉強するところのイメージが強くて、他にテーブルのある場所はカフェくらい。琴音さんも、オレがあのカウンターで曲を書いてるのを知っている人だ。バイト終わりのあの時間、そういう使い方にするのもいいかもしれない。
(一緒にいても、書けると思ってるのが不思議だ…)
そんなことを考えながら、学校から家に帰って、ギターを背負ってトートバッグを持つ。おにぎりが入れられた膨らみも見えた。
スタジオは中央駅近くにある。当たり前のようにシューペに自転車を停める。集合場所でもあるそこには、妃菜ちゃんがやっぱり先に居た。「お疲れ様」といつも通りに声をかけると、同じように返ってくる。
大学生の尊さんの学生生活はよく分からないけど、他はみんなテスト期間、西高はもう一週間前に入っているはず。妃菜ちゃんも北原も、放課後の時間を勉強以外に使ってもいいって思ってる人だから、たぶん成績は良い。
航さんなんて、もうとっくに受験期だから、あくまでバンドは息抜きとして考えてるのかも。それなら、ステージに立つなんて話はしばらく避けられるはず。少なくとも、航さんの受験が終わるまでは。
「妃菜ちゃん、テス勉は大丈夫?」
「うん、ひとりでもできるから。こっちの方が時間過ぎるの早いし」
妃菜ちゃんのその言い方に、ゆっくり息を吐いた。この前、たぶん家で何があったのを言い掛けた妃菜ちゃんは、今ではもう普通に戻ってた。安心していいわけじゃないのも感じてはいたけど、原因が家だったのは断定していいんだろう。
前が三号室だったことを覚えているのは、初回で印象が強かったから。今日は一号室で、航さんの案内について行くと、立ち入り禁止の看板の前にある、一番奥の部屋だった。
防音扉を開けると、妃菜ちゃんは真っ直ぐキーボードのイスに座る。ドラムセットの方を見ると、すでにマイクの準備が終わっていた。時間に余裕があるからと、尊さんが主にやってくれたらしい。
「ありがとうございます」
「いいよ、覚える気があるなら別だけど」
「あ、はい。やってみたいです」
「そう? じゃあ今度は置いておくよ」
オレがギターを出し始めた頃に、北原が入ってくる。防音扉をしっかり閉めてから、その顔が妃菜ちゃんに向いた。
「長谷川って、自転車?」
「うん」
「どうりで…、スタジオ行くなら同じ電車だろうなって思ってたんだけど」
「あいつに絡まれたくなくて、できるだけ誰の視界にも入らないように教室出るから」
「何それ、忍者?」
「なれたら楽かもね」
(ああ、嫌だ……)
どうやっても、この黒い感情と向き合わないといけない。ここがスタジオで、バンドメンバーには北原が居て、妃菜ちゃんも一緒で、北原と妃菜ちゃんはクラスメイトだ。仲良く話しててもおかしくはないのに、受け入れられない自分がいる。ふたりとも、普通のことをしているだけなのに。
目はずっと逸らしているのに、耳は逸らせない。北原の準備が終わって音を鳴らし始めるまで、そこまで時間のかからないはずのチューニングをひたすらやっていた。
☆
「前野、これからもスタジオ来るなら、料金割るのに含めていいか?」
「はい、むしろ気になってたんで」
「実家、金持ち?」
「いや、バイトしてます」
父さんが自分で店をやってるくらいだし、一般的には余裕があるって言えるんだろうけど、別に言わなくていい。バイトをし始めてからは、お小遣いももらってないから、親からもらえるもので自由に過ごしてるわけじゃない。嘘はついてない。
「東高で?」
「航さんもじゃないんですか」
「あ、バレた? 長谷川さんはいいよ。演者じゃなくて、聴いて欲しくて居てもらってるから」
「え」
「女子に払わせるほどじゃねえしな」
妃菜ちゃんが助けを求めてオレを見てくるけど、オレも妃菜ちゃんに払わせるつもりはなかった。だって、オレが弾きたくてここには来てるんだし。諦めたようにバッグを持つ妃菜ちゃんが、ちょっと拗ねてて可愛いと思ったのは、誰にもバレていないはず。
「ねえ、時間ある? 時間というか、ご飯食べて帰っても怒られない?」
「え? まあ…」
「スタジオでやる曲とか、決めたいんだよね」
妃菜ちゃんとふたりで居られる時間が減るから、嫌だと思った。ただ、スタジオでギターを弾くために必要な時間なのも分かった。実際、スタジオは無限に入れるわけじゃなくて、入れば入るほどお金がかかる。楽器を弾いて合わせるだけの時間にする方が有意義だ。
「さっきやった曲、録音したから曲のとこだけ切って送る」
「おー、さすがっすね、航さん」
「前野が思ってたより上手いからな」
「え」
「自信持てよ。そこらの軽音部より、歌もギターも上手いよ。基礎練ちゃんとやってるのが見える」
やっぱり、目の前が開けた感じがする。邪魔な思考なく、嬉しいと思えた。例えば、ああいうことがなければもっと楽しかったのにって感じることが、このメンバーでのスタジオには今のところない。ギターを弾いて歌う以外に、音を合わせる面白さがここにはある。
(基礎練、今できるところないんだよね……)
応援ありがとうございます!
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