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騎士<6>
トリシャをアーチボルド伯爵邸へ連れてきて、同じ屋敷で住み始めて一年が経った。
(どうしたものか……)
屋敷内でのトリシャの立ち位置は間違いなく妻で、ニコラスに仕える者も皆受け入れているが、正式に結婚したわけではなく、好意を口にしたこともない。
トリシャはおそらく愛人だと思っているし、それが一般的に妥当だということも、重々分かっていた。
結婚の手続きを取ってもいいように思えてくる。ニコラスの周囲にいる人には受け入れられるだろう。だが、トリシャはサーカスにいたため貴族ではなく、正式に妻に据えようとすれば身分の関係で問題だらけである。
クロフォードが褒賞に愛人として娼婦を望んでいるのは、面倒な貴族のしきたりを避けるためだ。愛人と分かり切った関係を築けば、そういったものから逃げられる。
貴族同士の婚約が成立すれば、茶会や夜会、食事会など、特に用もないのに出席を迫られる。子どもの頃からそういったものに触れ、好き嫌い関係なく当主や次期当主であれば出席するのがマナーだ。
ニコラスもクロフォードも貴族出身の騎士で、休日が合えば実家主催の夜会に出席することはあった。その面倒くささや怠さを知っている。騎士として職務に当たっている方がずっと楽だ。
ただ、ニコラスは同じ屋根の下に住みベッドに上げる唯一の女性を愛人にしておくことに、罪悪感を覚えつつあった。
父は、唯一の女性である継母を大切にしていたが子宝に恵まれず、オースティン侯爵家の嫡子は兄のみだった。父の血を引く子が別の女性から生まれることは、継母も受け入れていた。貴族には、それを継ぐ子どもがいることも、社交界での影響力を増す大きな要素だ。
ニコラスは実母には会ったこともなく、連絡手段もない。聞いた話によれば、父から大金を渡され遠くへ旅立ったそうだ。
心のどこかで、侯爵夫妻の信頼関係に憧れていたのかもしれない。
手に入れた女性が貴族令嬢ではなく踊り子だっただけで、ニコラスにとっての唯一であることに変わりはない。名実ともに、トリシャを妻と呼びたい。
きっとトリシャなら、サーカスから買い上げたことを引き合いに、今の生活でも十分だと言うだろう。その事実だけでは、ニコラスが満たされなくなってきた。
妻として認められれば、ニコラスの唯一無二の存在として、トリシャにまともな肩書きがつく。
(トリシャには、僕しかあげられるものがない)
元踊り子のトリシャは、薬のせいで妊娠できない。現にニコラスは全く避妊をしていないが、トリシャの身体に変化はない。
伯爵位を残すなら、後継について考えなければならない。
屋敷内には優秀な働き手がいて生活には困らないが、結婚しトリシャを妻と呼ぶなら、ニコラスの実家への挨拶など貴族的な振る舞いを覚えてもらわなければならない。
クロフォードにも、伯爵当主として夜会に出席するよう、国王からも圧が掛かっていると聞く。
(それなら、いっそのことどこかの養子に…………、いや、待て?)
サーカスにいる踊り子は、その出自を明らかにされていない。稀に、先祖還りや突然変異で珍しい髪や瞳の色を持つ貴族の子女がいると噂になることもある。
騎士として働いていれば、貴族社会の裏側が見える時もある。国の中枢に仕える使用人や給仕係の噂話が聞こえてくるのだ。
◇
「トリシャ」
「はい、なんでしょう、ニック様」
かしこまって聞くと、少し揶揄うように言葉が返ってきた。微笑んで、抱き寄せる。
「聞かれたくないことかもしれないけど、いいかな」
「ニック様に必要なのであれば」
トリシャは、いつでもニコラス優先で動く。一年経った今も変わらない。
「ご両親について、覚えていることはある?」
伯爵家で暮らすようになってから、少しずつ表情が豊かになったトリシャが、眉間に皺を寄せる。やはり、あまり期待はできない。
「……多くはありません。髪と目が珍しく、サーカスで踊り子として生きるしかないと言われていたことくらいです」
「トリシャって名前は、本名? それとも舞台上での名前?」
そっと美しい髪を撫でながら、質問を続ける。使用人によって貴族令嬢が使うような高級品での手入れが加わり、その銀髪はより一層滑らかに光るようになった。
「……皆がトリシャと呼んでいたので定かではありませんが、違う名前で呼ばれていた気もします。まだサーカスに入る前のことです」
「その頃のことで、他に覚えてることはある?」
「ほとんどないですが……」
「うん」
トリシャが無意識だろう、息をゆっくりと吸った。希望を言うことに慣れてきているが、まだまだ勇気が必要で、口にするか迷った時のトリシャの癖だ。
「父親は黒髪で、黒目をした普通の人でした。オーナーとは知り合いだったようです」
「ありがとう」
(それなら、やっぱり貴族の可能性もあるか?)
サーカスのオーナーと直接話せるほどの、知り合いになれる身分はそう多くない。平民出身であれば、認めたくはないが、アーベルのように捨て置かれると考えた方が自然だ。
トリシャと呼ばれる令嬢の本名は、パトリシアであることが多い。サーカスに売る以上、娘は亡くなったことにしているはずだ。
親の年齢を絞り込むことは難しいものの、黒髪黒目の当主と記録上亡くなっている娘の組み合わせを探せば、何か当たるかもしれない。
◇
夜会でも、元踊り子のトリシャはやはりその容姿で目立つ。グローヴナー公爵に誘われれば、同伴するしかない。公爵への挨拶を終えた後は、適当にフィンガーフードを摘まみ時間を潰していた。
ぐるり会場となったホールを見回していると、同じく非番で同じグローヴナー公爵領に住むクロフォードを見つけた。目が合うと、ずんずんと近づいてくる。
「ニコラス、今日、お前の兄貴の動きが妙だぞ」
「は?」
「お前、踊り子ちゃんしか見えてなさそうだったから声を掛けた。ほんとに見えてなかったのか」
クロフォードに向けて肩をすくめる。トリシャは腕を掛けてくれていたが、腰を引き寄せ身体を近づけた。愛人連れであれば、この距離でも不自然な作法ではない。
オースティン侯爵当主であるニコラスの父は、庶子であるニコラスにも平等に教育を受けさせてくれた。結果、騎士学校を卒業し褒賞を得るまでになったが、四歳上の嫡男である兄がそれをよく思っていないのは知っていた。父が平等に扱うほど、ニコラスの成績が上がり勝ったからだ。
「貴族の婚姻なんて、政略まみれで容姿は関係ないけど、お前は違っただろ? 男の欲なんて分かりやすいからな。俺も張っておく」
「……ありがとう」
クロフォードはトリシャに非礼を詫び挨拶した後、さっと離れていった。トリシャの出生について調べるに当たり、その社交性と危機察知を活かす協力もしてもらった。
黒髪黒目の貴族を、クロフォードが当たりをつけた。今回の夜会では、トリシャへの反応を見たいと思っていた。
トリシャを確認すると、その見目に目を逸らす者がほとんどだが、じっと見つめてくる者もいた。欲情的ではなく、記憶を辿るような真剣な目に見えた。
腹も膨れ、ダンスの邪魔にならないよう、ベンチを探しつつ廊下を歩く。庭園に出るにはどの道からだったかと、ニコラスが考えながら足を出していると、正面から覚えのある顔を先頭に令息の集団が近づいてきた。ニコラスとトリシャを避けることもなく、道を塞がれた。
「……兄様」
「ニコラス、久しぶり。そちらは?」
「トリシャと言います」
「ああ、褒賞の……、ジークムント・オースティンだ。よろしく」
クロフォードからの警告があったところだ。何か良からぬ動きをしてもおかしくない。警戒していることを伝えるために、トリシャの腰に回した腕へぎゅっと力を込める。
軽く頭を下げていたトリシャがすっと真っ直ぐ立ったのを待った後、ジークムントがニコラスの横を通り抜けようとする。肩に手を置かれ、低い声で囁かれた。
「踊り子とは……、変わった見た目など、サーカスで見るから価値となるものを」
「兄様」
「まあいい。どうせ愛人だ。褒賞とは言え一年も共にいれば、恩義は果たしただろう。早く結婚相手を探せよ」
肩を軽く二回叩かれ、ジークムントが去っていった。
オースティン侯爵家の次期当主であるため、その取り巻きは多い。貴族社会での基盤作りのため、侯爵家という地位に惹かれている者がほとんどだ。適切な距離を保つ必要があるが、その入れ知恵は少し心配になる。
「何を言われても、私は慣れていますから」
「っ、聞こえた?」
「いえ……、でも、予想はつきます」
「慣れなくていいよ、あんな言葉。僕にはトリシャだけ、トリシャしか要らないんだ」
「ありがとうございます、ニック様」
夜会の場でなければ、顎を上げさせ額にキスを落としているところだ。人の少ない廊下にいるとはいえ、トリシャはただでさえ目立つ。腰からは手を離さず、その銀髪を一房取り、口付けるに留めた。
◇
日中の仕事が早く終わり、すぐにでも帰ってトリシャに会いたいところだか、夜会で見た黒髪の貴族が気になった。
バディとして全く同じ勤務をするクロフォードにも、昼飯を奢る約束をして付き合ってもらい、確認を取った。騎士として秘密裏にやれる調査には限りがあるが、確認できる資料に手掛かりはあった。
パトリシア・メンツェルという子爵令嬢が、十歳で亡くなっている。見目について言及されておらず、病死と書かれていた。
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