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<2>定食屋にて
しおりを挟む「先輩って飲みます?」
「弱いけどたまに。飲みたいなら付き合うよ」
「いや、気分じゃないならご飯屋さんにしましょ」
図書館から学外へ歩く間、他にも好き嫌いやアレルギーなどヒアリングされた。見た目に反して、気遣いがすごく細かい。
特に食べたいものの希望もなく、神坂にお店のチョイスを任せた。神坂が迷わずに選んだのは、大学が面した大通りから一本入った、隠れ家のようなカフェだった。
(いかにもデートで使いそうな……)
外見を観察していると、神坂は特に気にすることなく木製のドアを潜った。何度も来ているのだろうか。
「いらっしゃいませ、あれ、神坂くん」
神坂を知っている店員に、僕もぺこっと会釈をした。
狭い店内には、木製カウンターとバーチェアが五席ほど。カウンターにはフルーツフレーバーの瓶、壁にはティーカップや紅茶の缶がおしゃれに飾られていて、いかにも写真映えしそうだった。
「ふたり、いけます?」
「二階へどうぞ」
階段を上ると、一階の倍ほどの広さがあった。天井が高く梁が剥き出しになっていて、余計に広く感じる。
見回せば、調味料と呼び出しベルが置かれた木製テーブルが三台、イスは十脚もない、こじんまりとしたカフェだ。
頭の高さと同じくらいまで成長した観葉植物が窓際にあり、木製の家具と雰囲気が合っている。
ナチュラルテイストの、居心地の良さそうなお店だ。
見た目は厳つくても根は優しい神坂がここの常連なら、店員と知り合いなのも頷ける。この小規模だ、店員がお客の顔や名前を覚えていてもおかしくない。
明るい窓側の角席に着いて荷物を置こうとすると、神坂が荷物カゴを勧めてくれ、ありがたく受け取った。
「すみません、バイト先で」
「ああ、そういうこと」
バイトのたびに顔を合わせているのなら、店員と親し気に見えて当然だ。
ただ、あの店員の反応は、神坂がバイト以外で来るのは珍しいと言っているようなものだった。
(知り合いのいるところに、わざわざ連れてきた……? いや、選択肢がなかっただけかな)
ここを選んだのは神坂で、ご飯屋さんにしようと言ったのも神坂だ。僕が考えても、神坂の真意は分からない。
変な期待を持たないように、自分を戒める。神坂は僕を、勉強に付き合ってくれる先輩としか見ていない。
「店長しかいないんですよ、この時間なら」
「うん?」
「学生バイトがいたらちょっと面倒だなって。俺が誰といるか、気になるってよく言われます」
「バイト仲間に?」
「まあこの規模なんでなかなか一緒に入ることもないんですけど、特に女子からは」
「ああ……」
納得できてしまう。神坂はこの見た目で、この細やかさを持つ。
とっつきにくい第一印象はあるものの、話してみれば全く怖くない。むしろお手本のような好青年だ。
女子からすれば超が付くほどの優良物件で、誰もが友達に、いやそれ以上の関係になりたいと思うだろう。
眉間に皺を寄せる神坂は、切れ目な上に鍛えた身体もあって凄みが増す。絡んでくる女子学生の話題は、これ以上出さない方がいい。
「ここ、美味しいんでしょ?」
「それはもちろん」
「おすすめは? 賄いで食べたりする?」
「シフトのたび毎回食べてますよ。飲食でバイトするメリットじゃないですか。家で作るの面倒ですし」
「やっぱりそうだよね」
「この辺りですかね、定番でよく出るのは。それ以外も美味しいです」
メニューをめくりながら、神坂は楽し気に唐揚げ定食や生姜焼き定食を勧めてきた。他にも焼き魚やハンバーグなど、がっつりお腹が膨れるものが並ぶ。
おしゃれなカフェの装いだが中身は定食屋で、男性が好みそうなものが多い。味噌汁と日替わりの小鉢がふたつついて、当たり前だが自炊よりも整っている。
「じゃあ、これで」
「他はいいですか? コーヒーとか」
「もらおうかな」
「じゃ、注文行ってきます。普通はそのベルで呼ぶんですけどね」
メニューを立て掛けた後、神坂が注文をしに階段を降りていった。
ここは神坂のバイト先で、こうするのが普通なのかもしれない。チェーン店ではない分、余計に神坂の気遣いが目立つ。
「ふう……」
改めて意識してしまった、メニューをめくった神坂の骨張った薬指に指輪はなかった。ただただ先輩として誘われただけだろう。
まさか恋愛対象として見られているとは、夢にも思わないはずだ。
戻ってきた神坂は、水の入ったグラスとおしぼりを運んできた。目の前にひとセット、配ってくれる。
バイト中なら誰でもやるだろうが、神坂は自ら言い出したような気がする。そんなやり取りが、目に見えてしまう。
「店長が、コーヒーはサービスしてくれるそうです。身内割引で」
「やった、ありがとう」
座った神坂が、ぐいっと水を飲み干してしまった。外は暑かったし、その気持ちは分かる。
上を向いた神坂の、首筋に目が留まった。腕や手と同じように筋張っていて、顎を落とすとぼこっと張り出した喉仏が戻り、男の中の男感が強い。
神坂に、どきっとしたことに気付かれるわけにはいかない。すっと逸らした目線の先にある窓からは、道路が見えるものの、歩く人はまばらだ。
「分かりにくいところにあるんで、混まなくて気に入ってるんです」
「あー、分かる」
「従業員としてはダメでしょうけど。暇なのがいいって言ってるようなものなので」
「まあね、でも僕はいいところだと思う。女性も来やすそうだし」
「それが店長の目指してる店です。『女性ひとりでもがっつり定食』。実際、営業に回ってそうなスーツの女性が多いですもん」
「なるほどね」
メニューには、ご飯やサラダの増減も記載があった。ナチュラルテイストなのも、女性客を意識しているからなのだろう。
大学からこの近さなのに、店内は混んでこない。下階からも声がするが、遠く小さい。
知る人ぞ知る感じで、ひとりはもちろん、少人数がゆっくりしゃべるのに良さそうだった。
「前から思ってたんですけど、先輩の名前ってかっこいいですね。『葉旺』って」
(っ、神坂から名前で呼ばれるの、心臓に悪いな……)
耳馴染みのない珍しい名前なのは自覚もある。
図書館では勉強に徹していたし、きっと連絡先を交換して漢字を知ってからずっと、聞きたかったのだろう。
「『顔は可愛いのに』?」
「そうやって言われたんですか」
「まあね」
「……確かに、可愛くは見えますけど」
神坂が不満そうに、目を細めながら口を尖らせる。
意外と表情豊かなのだ。がっしりした身体と短髪で、自習スペースでも真面目に勉強している姿しか見なかった。勝手にポーカーフェイスだと決めつけていた。
「由来は何かあるんです?」
「中国語で『好き』を『ハオ』って読むんだ。母親が中国人で、漢字は父親が当てた」
「なるほど」
お互いのことが好きで好きで仕方なくて、愛し合った結果できるのが子どもだから、というところまで名前の意味としては含まれているらしいが、他人にそこまで話したことはない。
ちなみに、両親は今も仲が良い。子どもがいるとふたりきりになれないという理由で、僕はひとりっ子だ。
「神坂は? なんで『恭弥』?」
「んー……」
普段は明るい神坂が、目線を下げた。
それだけで画になるほど神坂は整っているが、その寂しげな表情が焼き付いた。今まで僕が見てきた神坂には、なかったものだ。
「ちゃんと聞いたことなくて。小学校の宿題で出た時も答えてもらえなかったな……、でも、響きも漢字も気に入ってます」
思い出したくなかったことなのかもしれない。付け足した台詞には、僕に関わってほしくないと突き付けるような含みもあった。
ずっと、神坂は僕の好みの男だ。その姿を追って、幸運なことに一緒に勉強する仲になって、食事にも来ている。この関係を、壊したくない。
「かっこいいよね、『恭弥』」
「先輩にそう思われるならよかったです」
(……うん?)
言葉の真意を知りたいが、深入りしすぎるのは避けたい。
切れてしまった会話を続けようと言葉を探しているうちに、誰かが階段を上ってくる。振り返るとカウンターにいた店員で、おそらく店長だろう。
「いいよ、座ってて」
「すみません」
「今日はお客さんなんだから、ゆっくりしていって」
「ありがとうございます」
(おお……!)
目の前に置かれた定食は、木製のトレーと食器に載せられていて、まずその盛り付けの美しさに見入ってしまった。
女性受けを狙っているだけあって、揚げ物よりも鮮やかで新鮮そうなサラダに惹かれた。ご飯も五穀米だろうか、白米以外のものも混ぜられている。
香り高い味噌汁は、きっと丁寧に出汁が取られているのだろう。僕の注文した唐揚げは、まだぱちぱちと音が鳴っていそうなほどだ。
食べる前から分かる。絶対に美味しい。もっと早くにこのお店を知っていたかった。大学から徒歩数分の距離だ、きっとひとりで何度も通っただろう。
◇
初めてご飯に誘われて以来、試験も終わり夏休みに入ったのに、金曜の夜を一緒に過ごすのが当たり前になってしまった。
試験勉強がなくても、僕と神坂は図書館で隣に座って勉強して、神坂のバイト先で定食を食べてコーヒーを飲む。
(いつ会っても笑ってるんだよな……)
神坂は優しくて、あれ以来寂しそうな表情を見せない。不機嫌なこともなく、当たられることもない。不特定多数の来る飲食店のバイトで、嫌なことも当然あるだろうに。
バイト先にお邪魔すれば、僕が口を開かずとも季節のおすすめメニューを提案して、リードしてくれる。居心地が良すぎて、神坂の誘いを拒否するつもりは少しも湧かなかった。
どうしてそんなに感じがいいのかと聞けば、中学をアメリカで過ごしたと明かしてくれた。
元々おとなしいタイプでもなかったが、主体性とか積極性、あとは感情のコントロールや主張の大切さも学んだらしい。高校で日本に戻ってきて、同い年の幼さに驚いたそうだ。
確かに、強面の第一印象はともかく、思いやりとあっさりさのバランスが取れている神坂の性格には、欧米っぽさがあるのかもしれない。
口元を大きな手で覆っていたし、あまり大きな声で言っている話ではないのだろう。大学や高校で留学経験のある人は僕の周囲にも何人かいるが、神坂はたぶん、親の仕事の関係だったのだ。
そして、それを神坂本人はあまりよく思っていない。
僕がサポートしていたとしても、あの理系の講義についていける神坂が国際学部へ入学していたのが、少し腑に落ちた。
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