滅亡の畔

藤見暁良

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二章

◇衣裳◇

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 ゆらゆらと湖面が、揺れる――――。

 見上げた水面はまるで万華鏡――――キラキラしている。

 その光を掴むように、水面に向かって手を伸ばす――――。

 あぁ――――早く岸へ戻らなければ。

 戻らなければ――――。

 ◇ ◇ ◇

 ――――ピンポーン、ピンポーン!

 インターフォンの音が広い部屋中に響き渡る。夢の中から引き戻された私は、外れたバネみたいに跳ね起きた。
「あ、時間!」
 慌てて時計を確認すると、約束の十八時の十分前だった。
「はぁ……良かった……」
 取り合えず寝過ごしてはいないようだ。
 ベッドのスプリングが心地良かったせいか、目下の不安から解放された安心感か、二時間だけとはいえ、久々に気持ちよく眠れた。
 もっと欲を言えば、あのまま寝ていたかったかもしれない――――。

「いやいや……甘えは禁物」
 新しい人生の門出だ。最初が肝心である。
 何より今自分が置かれている環境は、人が与えてくれたものの上で成り立っている。
 決して自分の力ではない――――。

「シスル様。お迎えに参りました」
「はい! 今出ます!」
 インターフォンを鳴らしてから、私が直ぐに出ないものだから、痺れを切らして声を掛けてきたのかもしれない。申し訳なく思いつつ、急いでドアに向う。

「すみません。寝起きでした」
「いえ、そうかとは思いました。出れますか?」
「はい。大丈夫です……あ」
 大丈夫とは言ったものの、飛び起きたばかりで鏡も見ていない。頭とか寝ぐせで爆発していないだろうか。
 戸惑いながら手で髪を触って寝ぐせの確認しようとすると、ドア越しから男性が声を掛けてきた。
「お待ちしておりますので、準備が整ったら出てきて下さい」
「はい……ありがとうございます」

 何もかもお見通しなんですね――――。
 部屋に監視カメラでも設置されていそうな気がして思わず見渡してしまうが、あったとしてもそんな簡単には見つからないだろう。
「それより先に、支度しなきゃ」
 約束の時間より早めに迎えに来てくれたのも、こういうことを想定してなのだろう。本当に抜かりがない。

 鏡を見たが、髪型は然程乱れていなかった。だけどこれから『主様』とやらに会うのかもしれないので、身なりはきちんとしておいた方が良いだろう。
 簡単に髪を梳いて服の皺も伸ばすと、急ぎ足で男性の元へ向かった。

「すみません。お待たせしました!」
 ドアを開けると同時に、深々と頭を下げて謝った。すると男性は、また少し柔らかい口調でフォローをしてくれた。
「焦らせてしまいましたかね。気にしないで下さい」
「すみません……」
「そんなに頭を振ると、折角整えた髪がまた乱れてしまいますよ」
 確かにそうだった――――。男性を待たせてまで髪型を直したのに、これでは意味がない。
 自分の考えなしの行動が恥ずかしくなる。だけど同時に、男性の心使いが胸に沁みた。
「あ、すみません」
「参りましょうか」
 男性は少し意味深な笑みを口元に浮かべ、エレベーターに向かって歩き出した。


「シスル様の口癖なんですね」
 エレベーターに乗った途端、開口一番に男性が言ってきた。
「え? 口癖……」
「すみません……て。でもまぁ仕方ないですよね」
「すみません……」
 また言ってしまった私に、男性はそれ以上何も言わなかった。
 人の顔色を伺ってしまう癖が付いているせいか、つい『すみません』と反射的に言ってしまう。余り言いすぎるのも良くないと、バイト先でも注意されたことがあった。

『でもまぁ仕方ないですよね』――――その言葉の真意は分からないけど、男性の一言一言に救われている自分がいる――――。


 ◇ ◇ ◇

 チーン!
 エレベーターが目的の階に着いたことを知らせる。到着まで思いのほか、時間がかかった。最上階は三十階までかと思ったら、どうやら更に上の階が存在していた。
 改めて見ると、一番上に『N』と表示されたボタンが存在している。

『N』階――――ここでプロジェクトが始まるんだ。そして『主』がいる場所――――。

「着きました。参りましょう」
「はい……」
『主』とのご対面に、否応なしに緊張感が高まる。喉が渇いてきて、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「シスル様、これから皆さんとお会いする前に、着替えをして頂きます」
「着替えですか?」
「はい。ここが更衣室になっております。着替えて頂く衣裳もご用意してありますので、そちらに着替えて頂くようにお願い致します」
「……分かりました」
 やっぱりまた。謎が発生した――――。だけどいちいち細かいことを確認していたら、切りがなさそうだ。取り合えず言われたまま、着替えるしかない。

 更衣室の中に入ると、プライベートルームよりは流石に狭かった。そして照明も薄暗い。
 部屋の中にはロッカーとかはなく、テーブルの上に黒い衣裳がたたまれているだけである。
 その衣裳はマントみたいで、着替えるというよりは被るだけでよさそうな作りをしていたが、一番気になったのは顔を隠す被り物だった。まるで舞台の裏方の黒子のようだ。
「なんか秘密結社とかの集まりみたい……」
 実際、秘密結社なのかもしれないけど――――かなりの徹底ぶりだと思った。

 確かに男性はさっき『皆さんとお会いする』と言っていた。
 ――――ということは、私以外にもプロジェクトの参加者がいるというだ。コードネームまで付けられている訳だし、互いの素性を分からないようにするために、顔を隠すのかもしれない。
 基本人見知りだし、顔が隠れている方が安心ではある。

 着慣れない衣裳に少し時間を取ったが、何とか装着する。
 テーブルの前には大きな鏡で黒尽くめの自分の姿を確認すると見るからに怪しくて、この姿をあの綺麗な男性に見せるのがちょっと恥ずかしく思えた。
「でも、用意したのはあの人なんだよね」
 それに他の人も同じものを着ている筈だし、ここで恥じらってもしょうがない。
 どうせ顔も見えないし――――。

 少し照れながら男性の所へ戻ったが、案の定私の姿に無反応だった。反応があったとしても、複雑な気分になるだろうけど。
「では、主の元へ参ります……」
「はい……」

 いよいよ、プロジェクトの全貌が明らかになる――――。
 緊張感がマックスになり、絨毯を踏む足が竦んで躓きそうになった。

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